資産『運』用

梅屋 啓

第1話 運のご利用は二十歳から

「いらっしゃいませ!」


 俺が自動ドアをくぐって適度に冷房の効いた建物の中に足を踏み入れると、白いブラウスの上にチェックのベストをぴしっと着こなした二十代半ばの女性が笑顔で頭を下げた。

 まるで腰以外に間接が存在しないんじゃないかと思わせるスマートな動きで顔を上げた女性に、俺はショルダーバッグから取り出したハガキを差し出した。


「これ、家に届いてたんですけど。ここの銀行で間違いないですよね」


 女性は「拝見いたします」と言って両手でハガキを受け取り、両面を素早く確認するとアイメイクばっちりの力強い目線をこちらに向けた。


相沢拓斗あいざわたくと様。成人、おめでとうございます。四葉銀行へのご来店、誠にありがとうございます」


 四葉銀行から一通のハガキが届いたのは二十歳の誕生日を迎えた翌日だった。

 宛名も住所も、俺自身で間違いなかったし、何よりこの四葉銀行はバイトの給与振込や家賃の引落で日頃から頻繁に利用している銀行だったから不信感は全くなかった。だが「親展」と書かれたそのハガキを左下の矢印からぺりぺりと剥がして中の文面を読んだとき、正直言って何のことだかさっぱり理解ができなかった。


『資産運運用のお知らせ』


 絶対に誤植だと思った。二十歳になった記念に今流行りのFXの案内でも来たのだろうと思った。そのままゴミ箱に放り投げてもよかったのだが『資産運運用』という言葉の響きがちょっとだけ面白かったので、一応中身は確認することにしたんだ。


 その上で改めて思った。


 誤植ではなく、


 巧妙な悪戯ではないかと。


 明日が土日だったらこのハガキはそのままゴミとして処理されていたことだろう。

 だが偶然にも明日は平日で、しかもバイトも休み、更にはこれといった予定もない。もっと言えば友達もいなけりゃ彼女もいない、夢も希望もないフリーター。駅前でパチンコでもするついでに銀行に寄るくらい全く問題なかった。もし悪戯だったら教えてあげることで何かお礼の品が頂けるかもしれないし。そんな軽い気持ちで、最寄駅からほど近いこの銀行に足を踏み入れた俺は今、銀行奥の個室で一人、見るからに高級そうな革張りの黒い椅子に座らされている。


「相沢様、大変お待たせいたしました」


 重たそうな木目調のドアを開けて入ってきたのは五十代半ばのメガネをかけた男性行員だった。明るめの青いジャケットにベージュのスラックス。髪はオールバックでキレイにまとめられ、手には書類の束を抱えていた。


「本日はご来店ありがとうございます。今回相沢様を担当させて頂きます神木かみきと申します」


 神木と名乗るその男性は、丁寧な口調でそう言いながら名刺を差し出した。名刺交換なんてしたことのない俺は、小声で「どうも」と言いながらぎこちない動作で両手を差し出し名刺を受け取る。神木は手にしていた書類の束をテーブルの上でキレイに並べると「失礼します」と言って俺の向かい側に腰を下ろした。


「それでは早速、資産運運用に関してのご契約内容を説明……」


「ちょ、ちょっといいですか」


「はい?」


 俺が言葉を遮るように口を挟むと、神木は目を丸くしてこちらを見た。


「えっと。今、何て」


「ですから資産運運用のご契約を……」


「資産運用ではなく、ですか」


「いえ、資産、運、運用でございます」


「あの……資産、運、運用っていうのは……」


 俺がそう言うと神木は、ぎょろりとした目を先ほどよりさらに丸くして口を半開きにした。


「ご存じない!これは大変失礼いたしましたぁ!」


 神木はそう言って深々と頭を下げると、持ってきたクリアファイルからカラー印刷のチラシを取り出して俺の前に差し出した。金色の、招き猫に似た巫女服のキャラクターが左手に御幣、右手にスマホを掲げていた。


――はじめての資産運運用に強い味方!アプリ版がついに登場!!――


 俺はもう、いつドッキリのプラカードが出てきてもいい心の準備を始めていた。


『資産運運用のご案内』


■運資産は日本に住む二十歳以上の方ならどなたでもご利用頂けます。

■運資産の初期残高はお客様が二十歳になるまでの素行を勘案して決定します。

■運資産は原則、投資額に比例して効果が大きくなりますが、効果を保証するものではありません。

■運資産投資は計画的に

~四葉銀行~


「……冗談ですよね」


 チラシの内容を流すように読んで、俺は神木の顔を見て言った。神木は少し困ったような表情を見せると、申し訳なさそうな声色で説明を始めた。


「相沢様。当行は、お客様を騙すような行為は一切行いません」


 そう言うと神木は右手を上げて、壁に貼られたポスターを指示した。ポスターには『絶対の信頼と安心を』という四葉銀行のスローガンが掲げられていた。


「で。結局、この運資産ていうのは、具体的に何ができるんですか」


 ここまで来たら、相手の話しに少し乗ってみようという余裕が出てきた。


「はい。当行の資産運運用では、お客様のニーズに応え、幅広いサービスを提供しております」


 神木はそう言いながら別のパンフレットを俺の前に差し出した。資産運運用の一例が並んでいる。おみくじで大吉を当てる。懸賞に当たる。パチンコで大当たりを引く。試験で得意な問題が出る。就職面接に合格する。ざっと見ただけでも、運に左右される項目が列挙されているのがわかる。要するに、資産運運用することによって強制的に運を引き寄せるということなのだろう。


 全然納得できない。


 全くもってピンとこない。


 運なんて形のない物を、どうやって操るというのだろうか。


 本当に騙されてないのか。だが四葉銀行は都市銀行の大手だ。顧客に対して詐欺をはたらくとは到底思えない。俺が難しい顔でパンフレットを眺めていると。神木がさらに一枚の書類を差し出してきた。左上に「アイザワタクト様」と書かれた白い紙には「運資産残高」の欄に500,000フォルトと記載されていた。


「こちらが相沢様がお持ちの運資産額でございます」


「このフォルトっていうのは運の単位ですか」


「はい。ローマ神話の幸運の女神フォルトゥナが語源でございます」


「1フォルトって、どれくらい?」


 俺が尋ねると神木は困った顔で首を傾げた。


「うーん。そうですねぇ。運の価値は人それぞれですので……」


 神木は困った顔のまま俺の運資産額が記載された書類の下部を指し示した。

そこにはQRコードが印刷されていた。


「相沢様。運の利用はどなた様でも無料で始めることができます。まずはこちらからアプリをダウンロードして頂きまして、実際にお使いになってみてはいかがでしょうか」


 よくできたドッキリだ。四葉銀行が二十歳の俺に企画したバースデーイベントだと思うことにした。このアプリをダウンロードしたら画面に「二十歳おめでとうございます。現金百万円をプレゼント!」とか出るかもしれない。俺はもう少し付き合ってみることにした。ポケットからスマホを取り出してバーコードリーダーを起動させ、QRコードを読み取った。表示されたURLをタップすると四葉銀行のホームページに飛んだ。画面には『資産運運用アプリ~EasyF~』の文字が現れる。ダウンロードボタンをタップするとアプリのインストールが開始された。


「ちなみにですけど、俺の資産額五十万ていうのは、多い方なんですか」


 アプリのインストールを待つ間、俺は神木になんとなく質問した。


「申し訳ございませんが、他のお客様のお取引に関する内容はお答えできないことになっておりまして……」


 神木は申し訳なさそうに頭を下げた。言われてみればその通りだ。誰がいくら預金しているかなんて、聞いても教えてくれるわけはない。


「こんなのあるなら、もっと早く教えてくれればよかったのにな」


 最初に見たチラシに記載されていた「初期残高は二十歳までの素行で決定する」が気になっていた。具体的に何がと言われるとよく分からないが、恐らく二十歳までの行いが良ければ初期残高が増える仕組みだろう。

 俺は高校時代、軽い気持ちでタバコを吸って補導されたことがある。それ以外でもバレてはないが酒も飲んだし、無免許で原付乗ったこともある。小さいことだが、俺の残高に響いているんだろうか。まあ。この話しが全て真実であると仮定した場合だけど。


「ご両親からは伺っていなかったのですか」


 神木がテーブルに置かれたチラシやパンフレットをクリアファイルにまとめ直しながら言った。


「親父は俺が小さい頃に家出てっちゃったんで、知らないんすよね。母親ともあんま仲よくなくて、高校出てすぐに家飛び出しちゃってから連絡取ってなくて」


「それは、失礼致しました」


「いや。別に」


「とはいえ。相沢様は真面目そうな方ですから、決してこの額は少ない方ではないかと思います。誰しも小さい頃から、ご家庭や学校で道徳的教育は受けていらっしゃいますから。普通に生活されていれば、それなりの資産はお持ちになれるはずですので」


 下手なお世辞だと思った。神木がそれを言い終えると同時にアプリのインストールが完了した。こうして、俺のスマホには運気を自在に操ることができるアプリ『EasyF』が導入されたのだった。

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