二十歳、初夏 2

 腕で目を覆ったままの哲の頭に触れて続きを促す。軽く息を吐いた哲は口元だけでうっすらと笑った。

「…初めてじゃ、ないんだろ?」

 絞り出すように繰り返された質問に、頷くだけで答えられたら楽だったけど、視界を閉ざしている哲にはそれじゃ伝わらない。曖昧な笑顔かなんかで誤魔化すことも出来ない。

 きっと、無かったことになど出来ない過去にオレ自身もちゃんと向き合わなければ許されないということなのだろう。哲がそれを望むなら何度でも。

 腹を決め、聞こえるように声を出す。

「うん。初めてじゃないよ」

 哲はこくんと喉を鳴らしてからもう一度口を開いた。

「どれくらい…?何度も、行ったの?」

「いや。…一度だけ」

 具体的な回数で事実の重みが変わるわけじゃない。そう思って一瞬空いた間が哲には不自然に思えたようだ。哲は腕を解き、顔を顰めてじっとオレを見た。

「嘘だ」

「嘘じゃない。今更嘘つかないよ。ホテルに行ったのは、一度だけ」

「じゃあ、タイセイの部屋でしてたんだ」

「違うよ」

「じゃあ、どこ?まさか相手の部屋?受験生なのに旅行とか行ってたの?」

 堰を切ったように質問を繰り出す哲はもうほとんど泣き出しそうな顔だ。きっと本当はずっと気にしていたんだろう。

 オレを好きだと言うただそれだけの強い気持ちで隣に戻ることを選んでくれた哲だけど、それですべてを超えていけるわけじゃない。こうして少しずつ癒え切らない傷を見せてくれるのは哲がまた少しずつオレに寄り掛かってきてくれていることの証拠でもあり、二人の未来にとってとても大事なことのはずだ。

「部屋にも旅行にも行ってない。一度だけ…、一回しか、してないから」

「…嘘」

「嘘じゃねぇって」

「本当に?」

「本当だよ」

 真っすぐ答えたオレの目をじっと見て、揺れていた瞳が答えを見つけたように光を鋭くした。

「そっか。女の子だから大事にしたんだ?」

 そんな訊き方をしたのは多分、少しだけ残る最後の疑念を、言い換えれば自分の弱さを、振り払うためだったんだと思う。

「哲。手出さないのが大事にするってことだって本気で思うんなら、オレすげぇ回数減らしてもいいよ。…まぁ、絶対しないとまでは言えないけど」

 好きだから身体を重ねたいと思う。とっくに知っていたはずのシンプルな答えにちゃんと辿り着き、ようやく哲は安堵の表情を浮かべて笑った。

「…ごめん」

「なんで謝るの」

「うん。…悪い癖だよね。わかってるんだけど…。やっぱり、たまに考えちゃうんだよ。タイセイ、本当にオレで満足なのかなって」

 こんなふうにオレを想って不安に揺れる哲がたまらなく愛おしい。信じて欲しい傷つけたくないと本気で思ってるはずなのにとんだ矛盾だ。

 哲の隣に寝転び、指の背でその頬を撫でた。

「満足かって言われたら、まぁ、微妙だけど」

「え…?」

「だってさ。あんなにしょっちゅうヤっててもまたすぐヤリたくなるんだぜ。自分でもどうかしてると思うよ」

 哲は軽く頷きながらくすくすと笑った。じわりと距離を詰めてキスをする。すぐに舌が濃密に絡み合い、もうお互いの存在しか感じられなくなる。

 そのまま服を脱がせようと滑らせたオレの手を、哲の手が止めた。

「なに?」

「あ…。風呂」

「え?」

「お風呂…、ジャグジー」

「…今入るの?」

「ん、せっかくだし」

 多分、今日は色々と葛藤した挙句にこんな展開になったけど、哲としてはそうしょっちゅうラブホテルに入る気なんてさらさらないんだろう。せっかくだし、というその顔は旅行先でその土地の名物を見つけて食べようと言うときの顔とよく似ている。

「じゃ、オレも入る」

「え、一緒に?」

「そりゃそうだろ」

 え?と戸惑ったままの哲の腕を引いて身体を引き起こし、嫌だと言われないうちにと急いでガラス張りのバスルームへ向かった。


 照明をあれこれ弄ったあとバスタブの脇に並んでしゃがみこんでどぼどぼと湯を張りながら、一緒にアメニティを物色する。石鹸類はまぁ普通だけど、入浴剤はいくつか種類があった。バスソルト、バラの花びら入り、泡風呂の素、そしてとろとろバスローション。一番あやしげなその説明文を読んでいたら哲が横から手を伸ばしてきて、オレの手から別の袋をさっと抜いた。

「これがいい、泡風呂。家じゃ出来ないし」

 いや、とろとろもなかなか家じゃ出来なくね?と思ったけど異論を唱える前に哲はその封を開けてしまった。

 流れ落ちる湯の下にさらさらと中身を開けると、甘ったるい香りとともにむくむくと沸き立った泡があっと言う間に浴槽から溢れそうになって慌てて蛇口を捻って湯を止めた。

「うわ、すっげぇな。でもこれすぐ泡消えそうじゃね?早く入ろ」

 あくまで朗らかに言って立ち上がり、さっさと脱いだ服をバスルームの外に放り投げ、先にバスタブに浸かる。

「あー、気持ちいー。哲も来いって」

「…かけ湯ぐらいすればいいのに」

 本当はここまで来て今更恥ずかしがるようなことでもないと思ってはいるのだろう。哲は少し迷ってからオレと同じようにその場で服を脱ぎ、軽く畳んで外に置き、オレと向き合う形でバスタブに入った。

 

「なんでそんな離れてんの?」 

 笑いながら哲の腕を取って引き寄せる。そのまま向かい合わせに跨ってくれてもよかったのに、驚いた哲はくるりとオレに背を預ける格好で膝に乗った。

 これはこれで、すげぇエロい。つーか、実際こっちのほうが好きに弄り放題だ。哲の薄い身体を後ろから抱き締め、泡で見えない湯の中で探るように肌に手を這わせるとそれだけで哲は色めいた吐息を漏らした。

「ん…」

 きゅっと縮こまった肩にキスをして、右手で腹からその下へと撫で下ろし、既にやんわり勃ち上がっているモノを軽く握る。哲の上半身がぴくんと震える。赤く色づいた耳に唇を寄せて低く囁く。

「な、哲、今日何回ぐらいイけそう?」

「は?…なんで?」

「いや。ペース配分考えねぇと」

 なんせ祝日ショートタイムの利用はたったの二時間だ。もう三十分は経ってしまったし、風呂でいちゃついて終わりじゃつまらない。

「露骨な言い方するなよ」

 哲は怒ったように言いながらも泡風呂の中でゆっくりとオレの太腿を撫でた。応えるように下から下半身を押し付ける。オレだってとっくに硬くなってる。項に吸い付き本格的な愛撫を始めると、哲はぎゅっとオレの膝を掴んでから小さな声で呟いた。

「まぁ…、二回ぐらいかな…」

「…ん、了解」



 結局そのまま盛り上がって、バスタブに浸かったまま哲は一度イってしまい、ジャグジーのスイッチを入れるタイミングは逃してしまった。

 どうしても使いたければ早く終わらせてもう一度ゆっくり風呂入る?と聞いたけど、それもなんか違う、と言うのが哲の答えだ。だからあとは広いベッドでじっくり抱き合うのみ。最後にシャワーを浴びる時間だけ残しておけばいい。

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