第4話 戦死と犠牲
「Passed flight level 150(高度15,000フィート(約4,500m)通過」
「よ~し、いいぞ~頑張れ、あと半分だ。」
副操縦士の大竹の高度報告に、機長の武元が横一列に4つ並ぶスロットルレバーを順に撫でながら愛機を励ます。
4つのターボプロップエンジンのタービンと4枚羽根プロペラが風を切る音が奏でる重低音がコックピットにも響く、近年配備が開始された国産のC-2輸送機は2つのジェットエンジンを装備するいわゆる双発ジェット輸送機で、武元達の操るC-130Hのようなプロペラ機独特のレトロな風情はない。しかし、寒冷地、砂漠、熱帯雨林、高地など世界のあらゆる気候や場所で使われてきた信頼性と、他の派遣国を含め、多くの国が使っている整備性と共通性の高さから、海外派遣には性能に優れる最新鋭で高性能のC-2ではなくC-130Hを使い続けている。専守防衛という開発当時のコンセプトから航続距離とペイロードつまり積載量のバランスが長距離向きでない前作の国産輸送機C-1の場合とは事情が異なる。
「お前ももう少しで百里に帰れるからな、今日の山越えが最後だ」
「そうだぞ、お前もよく頑張ったよな。あと一踏ん張りだ。」
武元の言葉を受けて副操縦士の大竹2等空尉も愛機に声を掛ける。
武元が愛機に語りかける言葉は、そのままクルーへ向けた励ましとして伝搬する。
来週の帰国へ向けての準備や整備などで、計画されている北部ダズドヌイへの物資輸送は今回が最後である。過激派勢力に国土の中央平野を横切るように分断されているため、南部にあるヘバロビ基地を飛び立った武元らのC-130Hは、過激派の支配地域である中央平野上空を飛行しなければならない。中央平野の北側に壁のように立ちはだかるジイダ山脈を越えれば、目的地ダズドヌイだ。標高7,000m級の山々から成るジイダ山脈を越えるこのルートを彼らは「山越え」と呼んでいた。
今回の飛行を終えれば、政府が言ういわゆる自衛隊初の「戦闘地域での活動」を無事完了したことになる。それは即ち政府にとって集団的自衛権の行使の一環として紛れ込ませた「国としての普通の活動」の定着を意味する。成功した実績への反論には応じる必要はない。
そんな政府の目論見などは武元達の関心の外にある。お互いに詮索もしない。彼らは、命令を忠実に果たす。そこに使命感があれば最高だが、命令は命令だ。この任務の場合、使命感があるかどうかは、人それぞれだった。何しろこれまで封印してきた集団的自衛権の行使が行えるようになった最初の任務だ。しかも日本の防衛と直接は関係しない遥か彼方の中央アフリカの地。そこでやっと普通の軍隊と同じように振舞える。
「ま、帰ったらいろいろ言われるんだろうが、、、何っ!?」
戦闘にさえ巻き込まれなければ、これまでの活動と変わらないからな。。。
武元が、ふと浮かんだ言葉を繋げようとした瞬間、呼び出しブザーが鳴り、武元の言葉を止めた。
「Captain! SAM comes from 7o'clock.(機長、7時の方向から地対空ミサイル接近中)」
張りはあるが、ぶっきらぼうなくらい落ちついたネイティブな英語の声がレシーバーに響く。
7時の方向とは、自機を真上から見た状態で中心に12時を前方に向けた時計を置いた場合に7の文字が位置する方向である。つまり真後ろより少し左の方向である。
「Thanks.Start dancing.Take care men!(感謝する。回避運動開始。気を付けろ。)」
武元が貨物室のアメリカ兵に言い終らないうちに、ミサイル警報装置がミサイルの接近を知らせる警報音を鳴らし始めた。
航空自衛隊は、海外派遣用のC-130Hに改造を施し、ミサイル警報装置と機体上面に監視用のドーム型窓を追加している。本来ならば見張り要員も含めて航空自衛隊のクルーで全てを運用するところだが、戦闘地域であることと、集団的自衛権行使容認により、垣根を越えた適材適所の人員配置と人材育成が行われていた。特に過激派部隊が地対空ミサイルを入手したという情報が入った1ヶ月前から、見張りには毎回実戦経験豊富なアメリカ空軍の乗員を充てていた。
今回のフライトでは、積み荷の管理と到着後の護衛、見張りをアメリカ軍が担当し、10名の兵員が乗り込んでいた。
「スタート レフトスパイラルディーセント。」
武元は早口で言い終えると同時に、操縦桿を前に倒し、すぐに左に回す。機体が大きく頭を下げ、体が浮き上がるような軽い感覚を覚え始める間もなく、左に体を引っ張られる。左回りに螺旋(らせん)を描くように急降下に輸送機とはいえ体がGで翻弄される。
「ミサイル種別、赤外線」
ミサイル警報装置の表示を報告する副操縦士大竹の声が上擦っている。
「大竹、フレアーぁ スタンバイ」
初めての実戦だ。やむを得ないか。それにしても、ミサイル警報装置よりも先に発見するとは、やはり一流の軍隊は違うんだな。タルんでいたのはウチの方かもしれん。自嘲気味に苦笑が漏れそうになる表情を引き締めてタイミングを計る。航空機目掛けて急上昇してくるミサイルに対しては急降下すれば、ミサイルは大きく角度を変えなければならない。同様に7時の方角から向かってくるミサイルには左急旋回が有効となる。
「リリース レディーぃ。ナウっッ」
強い口調で短く命じる武元の口から唾が飛び、口元に残りが垂れ落ちる感触があるが、拭っている場合ではない。
「ラジャー」
と大竹が応じると同時に連続した発射音が響く。
フレアーは、高熱源体の発光弾で、エンジンの熱源を追いかけて来る赤外線誘導ミサイルを引き付ける役割を持つ。運良く成功すれば、騙されたミサイルがエンジンではなくフレアーに命中する。
ミサイル警報装置は、ミサイルの接近をセンサーで感知すると自動でフレアーや、レーダー誘導ミサイルを攪乱するチャフを散布する機能もあるが、回避運動のタイミングとの兼ね合いで万全を期すために武元は手動に設定していた。
「Peace Maker.This is Peace Loader1.We have been atacked by SAM near Tazana.Now we are avoiding.(ピースメーカーこちらピースローダー1、現在タザナ付近で地対空ミサイルの攻撃を受けた。現在回避運動中)」
大竹が基地に叫ぶように報告する。
「Peace Loader1.This is Peace Maker roger.Do you declare emergency?(ピースローダー1、こちらピースメーカー了解。緊急事態を宣言するか?)」
緊迫した管制官の声からは南部訛が消えている。緊急事態を宣言すれば、不時着や脱出に備えて基地から救助部隊が出動する体制になっている。
「まだまだっ、ネガティブ」
問い掛けるように見つめる大竹に目を合わせる余裕もなく、周囲を警戒しながら両腕で機体をコントロールする武元が怒鳴る。
「Peace Maker.This is Peace Loader1.Negative.(ピースメーカー、こちらピースローダー1。宣言しない。」
深く頷き返した大竹がマイクに吹き込んだ。
「Peace Maker roger.We are standing by.Good luck.(ピースメーカー了解。待機する。幸運を祈る。)」
「Thanks.(ありがとう)」
礼を言いながら首の許す限りめい一杯左右に振ってミサイルを探す大竹が右一杯に向けた顔の視界の隅に丸い物体を認めた。
「タリホー(発見)、5オクロック!ハーフマイル。まん丸です。」
レシーバーで耳が塞(ふさ)がれているとはいえ、叫ぶ大竹の声が武元の右の耳に痛いほど響く。丸く見えると言うことは、ミサイルの頭が真っ直ぐこちらに向いている、ということを意味する。
武元達クルーは、前にアメリカのパイロットから聞いたことがある。
-ミサイルに追われている時に、ヤツが丸く見えたときは神に祈るのは後にして脱出しろ。-
ま、輸送機じゃ無理だな。と気の毒そうにビールを呷(あお)った。
そう、俺たちには神に祈る時間しかない。
だが神に救いを求めるヤツほどお涙頂戴な死を迎えるのが戦争映画の世界だ。
現実は違う。諦めたヤツが死ぬだけだ。俺は諦めない。こんなところで部下を死なせてたまるか。来週、必ずこいつらを家族に返すんだ。生きたままで。。。
自衛隊初の戦死者?しかも防衛と関係のないこんなアフリカの地でか?冗談じゃない!
俺だって憲法9条を誇りにしてきたんだ。
俺たちの戦死は、日本の国土と日本人を守るためにこそある。こんな死に方はただの犠牲でしかない。
「冗談じゃねーぞっ。」
心の叫びが武元の口をつき吹き出す。体中の血が一気に沸騰したように熱くなる。
「ライトスライド。フレアースタンバイ」
武元は低い声をコックピットに染み渡るように響かせると左旋回しながら急激に高度を下げてきた愛機を水平に戻しながら方向舵ペダルを右に踏み込む。
尻だけ左に流れていく様な感覚に違和感を覚える間もなく、水平を越えて急激に右に傾きを変えてゆく機体の動きに右下に引っ張り込まれながらも、大竹はスロットル横に増設されたミサイル警報装置のスイッチボックスから手を離さないように体全体で踏ん張る。ミサイルを捉え続けるために体を捩(よじ)っているので体の節々が悲鳴を上げる。大竹の視界の中で真円だっやミサイルが形を変えて右側が見え始めると急激に視界の右端に消えていく。横滑りで弾みを付けたC-130Hの右急旋回に左から右へミサイルが向きを変えきれない間にC-130Hがミサイルの前を横切っていく。
「リリース レディーぃ。ナウっッ」
武元の声に、待ってましたとばかりに大竹の指がスイッチを押す。体全体に張っていた力がスイッチに集中し、指先が痛むのを感じると同時にフレアの発射音が連続する。
向きを変えようと舵をいっぱいに切るミサイルの目の前を横切りながらフレアーの弾幕を張る。
フレアーの連続発射音に混じってひときわ大きな爆発音が響き、警報音が消えた。
「やったか?」
右旋回を続ける慣性に体が馴染み始めた大竹の視界の中で、思い出したように山脈の風景が左に流れて消えていくと、眩しい青空を背景に落ちていく無数の小さな炎の列の中央に大きな炎の固まりが破片を黒いゴマ粒のように撒き散らして崩れていくのが見えた。
「やりましたっ。」
「よしっ。ご苦労さん。」
貨物室からも歓声が上がる。テンションの高さは当然あっちが上だ。
「さすがですね。」
「戦闘機みたいに飛ばしますね。」
振り返った武元に機上整備員の芝波と航法士の太田の笑顔を向ける。
「さすがはイーグルキラーですね。」
そう言って右側の副操縦士席から武元に笑顔を向けている大竹は、顔じゅうから吹き出した汗を拭いながら思った。
違うんだ。
戦闘機みたいに飛ばしているのではなく、C-130Hの飛行特性を知りつくした上で飛ばしているから戦闘機のような飛び方ができているのだ。
戦闘機のように操縦にすぐに反応するような飛行機に長年乗っていたパイロットは、激しく操縦桿を動かす。しかし、実際には大きな翼に太い胴体、重い機体質量と安定性を重視した高い復元性により、反応はかなり遅く、慣性の力による惰性がしつこく付きまとう。だから操縦桿をいくら激しく動かしても機体は付いてこない、最悪の場合いたずらに舵を振りまわすだけで空気の流れに無駄を生み余計に反応が遅くなる原因ともなる。武元の操縦を見てきた大竹は、武元の戦闘機とは無縁の惰性を利用した操縦に惚れ惚れしていた。
もともとは武元は戦闘機パイロットだった。年齢と共に目に自信が無くなってきた武元は、数年前、輸送機に転向してきた。戦闘機パイロットは単に目が良いだけでは駄目だ。空中戦など激しい機動飛行を行っている最中で高いGを受けている状態でも高い動体視力を求められる。でなければ落とされるまでだ。今でこそ輸送機を飛ばしているが、戦闘機パイロットとしても凄腕だった。イーグルキラーは、武元が青森県三沢基地で三菱製のF-1支援戦闘機部隊の飛行班を率いていた時に、航空団司令が武元の班に付けたニックネームだった。世界的には攻撃機、戦闘爆撃機といった分野に属するF-1は、軍事アレルギーに陥っている日本らしく「支援」という言葉でお茶を濁された。世界でも日本にしかその呼び名の無い支援戦闘機F-1は、対地・対艦攻撃を主任務にし、任務の一環として防空も行う戦闘機として、青森の三沢基地に2個飛行隊、福岡県の築城基地に1個飛行隊が配備されていた。今でこそアメリカのF-16戦闘機をベースにした最新鋭のF-2戦闘機に置き換えられているが、F-1は、運動性能こそ良かったもののその任務の性質上重い爆弾や対艦ミサイルを抱えて飛行することが多いのにエンジンが非力だという弱点があった。このため、世界最強と言われたF-15などを相手にした模擬空戦では、爆弾や対艦ミサイルといった足枷(あしかせ)とパワー不足により劣勢を強いられた。だが、しばしば武元の班は、敵役のF-15を撃墜することがあった。F-15のニックネームが「イーグル」であることから、いつからか基地では敬意と期待を込めて武元の飛行班を「イーグルキラー」と呼ぶようになっていた。
「昔の話だよ。ま、F-1は非力だったがいい戦闘機だったよ。そういやあの頃の部下は殆んどF-2に移ったが、1人だけ那覇でそのイーグルに乗ってるよ。皮肉なもんだ。」
同じく汗を拭った武元に笑顔が戻ると、コックピット内に笑い声が溢れた。
「ん、500フィート(約150m)まで降りちまったか。また昇んなきゃな。。。
ん~、山が近いから真っ直ぐ上昇はできんな、サークリング(旋回上昇)でいこう。こんなところを撃たれたら危険だが仕方なかろう。警戒を厳となせ。」
「了解」
異口同音に元気な返事に、部下の自信が伺える。
同じ地点を基準に螺旋階段を上るように旋回しながら上昇するサークリングは、危険この上ないが、部下は自信に満ちている。大丈夫だ行ける。
今ので箔がついたのかな。。。
武元は満足気に頷くと、スロットルレバーを全開にした機体を緩やかな左旋回に入れ、ゆっくりと機首を上げ始めた。
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