第46話 ACT15 前宵戦3

 累々と廊下に転がる無残な金猿の屍は、まるで敷き広げられた絨毯のようだった。

 その中で人間の姿に戻った北條が大の字で寝息をたてている。


「えい、えい」


 傍らにしゃがんだ風小が、人差し指で北條の額に浮き出ている「あやかしの紋章」をつつく。

 北條はつつかれるたびに口をムズムズと動かしたが、起きる気配はまったく無かった。


「くう」


 ガラスの割れた窓から校庭を見ていたタマが「やめろ」と言うように、鎌首を小さく振り、低い声で鳴いた。


「お前のご主人様は馬鹿だなぁ」


 そう言って風小はタマの傍らに立った。タマはじっと校庭を見ている。


「おまけに小心者で、猜疑心が強い。ケチだし、自分勝手」


 風小も校庭をみつめる。


「だけど、いい男だ」


「くう」


「いい馬鹿デスよ」


「くう」


 タマが小さく頷いた。


「なんだ、お前もそう思うのデスか?」


 風小はそう言うと微笑みながらタマを見上げた。


「姫さまと、お姉さまと、レンレンさんの次にいいデスよ」


「オレハ、姫緒ハキライダ」


 ぼそりとタマが呟いた。


「お前、姫さまを知っているのデスか!」


「召喚師ノ思考ヲ読ンダ」


 外を見ながらタマがそう言うと、風小はクククと笑った。


「そうですか。お前は姫さまが嫌いデスか」


 透き通った月光が、校庭の隅々を照らしている。

 薄暗い廊下では、タマの配線模様が静かにゆっくりと、赤い明滅を繰り返していた。

 まるで海底にいるような静寂。その中で、風小は思い出したように再びクククと笑った。


「出来すぎデスよ」


 同意を求めるようにタマを見上げるが、タマはただ静かに校庭をみつめていた。

 ふと、校庭の隅になにやら気配を感じる。


「ぐるるるる……」


 タマが小さく唸る。


「来たようですね」


 風小がそう言うと、タマの触手が4、5本、別の生き物のように北條のもとへと伸びていき、引きずるようにして窓のそばへと移動させた。

 これにはさすがの北條も、小さく唸って目を覚ます。


「な、なんだ?朝か?」


 返事は無い。周りを見渡し、二人(二匹?)のみつめる先、校庭に視線を移す。


「なんだ?」


 再び尋ねる。


「来ましたよ、北條さん」


 風小の言葉に、北條は校庭をみつめる目を凝らす。

 校庭の隅。大きなヒマラヤ杉の根元辺り。

 それはまるで、噴火の際に流れ出た溶岩のように、ぼんやりと赤く輝くぶよぶよとした塊が地面から湧き上がり、みるみる広がっていくのが見える。


「あやかしなのか?」


「やつらの奥の手デスよ」


 風小がそう答えたとき、塊はすでに校庭を埋め尽くすほどになり、そこで広がるのを止め、次第に輝きを失って行く。

 すると、イチゴジャムをぶちまけたようになった赤い地面を掻き分けるようにして、蝦蟇(がま)のような巨大な『手』が出現し、次の瞬間、体育館ほどの大きさの影が、ジャムの中からズルリと地上へ這いずり出た。


「あおぉぉぉぉぉうぅぅぅ」


 盛りのついた獣のような声で吼え、大きく身体を振り動かすと、まとわりついていた赤い塊がベチャベチャと落下する。


「あ、あれは……」


 風小が緊張した面持ちで影を凝視する。

 月の光に照らし出されたその姿。

 全体の容姿は、先に出現した手のイメージの延長。くすんだ茶色をした蝦蟇蛙のそれだったが、その表面は、蟹や海老といった甲殻類のような甲羅で覆われて、頭、胸、腹の体節に分かれていた。

 鋭く細かな突起が一面に生じている様からは、タラバ蟹を連想させるかもしれない。

 異様な姿ではあったが、特に異様なのは、蝦蟇蛙ならば腹と後ろ足に当たる部分、その位置から生えている、毛むくじゃらの蜘蛛の様な大小二対の『足』だった。

 二対のうち後方の小さな短く武骨な足は、しっかりとその身体を支え、それに対して、前方についた大きな足は、異様に長く、上に振り上げた格好であやかしの頭の部分まで延びており、まるで、敵を威嚇しているようであった。


「は、反則だろおぅ。いろんな意味でぇ……」


 北條が怖気つく。


「風土の摂理から自然発生した精霊タイプ。古い時代には野と山の荒神と崇拝されたあやかし。『顎蠱(がっこ)』デスよ」


「神ぃ?」


 しかも風小の口ぶりから、何気に有名な化け物らしい。


「なんだってその神様がこんな所におあそばしなさってらっしゃるのだ?」


 錯乱ぎみに北條が叫んだ。


「この事件の黒幕は、神をも配下に治める力をもったあやかしだということデスよ」


「ちょっとまて」


 そう言って北條が風小と目を合わせる。


「あの化け物がラスボスじゃないって言うのか?」


 顎蠱の咆哮が響き渡り、あまりの不気味さに再び北條の身の毛がよだつ。


「ラスボスの意味がよく分かりませんが、顎蠱を倒しても決着が着かないのかと言う意味ならばそのとおりです」


 まっすぐに北條を見つめながら風小が続けた。


「北條さん。ご存知無かったでしょうが、今回の私達の敵は、『最強最悪』と謳われし、あやかしの横綱、『死神』デスよ!」


「なんて奴に喧嘩売ってんだよお!」


「売られた喧嘩でございますデスよ!」


 風小はそう言って顎蠱に向き直り構えなおす。

 ちょうどその時、顎蠱の足下の、もはや輝きを失いどす黒くなったぶよぶよの地面を掻き分けるようにして、這い出す小さな影が現れた。

 初め数匹だったその影は、あっと言う間に数百を超える数となり尚も増え続け、蜘蛛の子を散らすように広がっていく。


「あ、あれは!」


 北條が確認した影の正体、それは。


「金猿!」


 あきれるほどの数の金猿が校庭に溢れ出る。

 そいつらが押し合い、へし合い、ぶつかり合いながら、校舎めがけて蚤のように跳ねてくる。

 校庭に溢れていくその姿はまるで、湖に起こったさざ波のようだった。

 顎蠱は、湧き出る金猿の中心にそびえ、月に照らし出される浮島のようにしていたが、「げこ、げこ」と嘔吐くように咽喉を鳴らし始めたかと思うと、ゆっくりと校舎の方に向きを変えだし、今まさに校舎を正面に見据えようとした直前、ぶよぶよとした地面に足を取られ大きく体勢を崩す。

 それと同時だった。

 大きく開けられ真っ赤な口蓋を晒した顎蠱の口から、目の眩むような光の束が放射された!

 顎蠱が体勢を崩したことで、まっすぐ校舎に到達するはずだったであろうその光線は、校舎の右側角の棟をかすめ、教室一個分ほどのスペースを轟音と共に粉々に破壊した。

 ガラガラと音を立てて、校舎の慣れの果てが校庭に降って行く。

 ガラスの割れた窓から、身を乗り出すようにして事の次第を見守っていた北條が、慌てて後ろに飛び退く。


「な、なんだぁ、あ、あれはぁ!」


「顎蠱の馬力光デスよ」


「解説してる場合かあ!」


 そうする間にも、顎蠱は傾いだ身体をもとに戻し、次の馬力光を準備しようと咽喉を鳴らしだした。


「北條さん」


 窓辺から校庭を睨み、後姿を北條に向けたまま風小が呟いた。


「なんだ?」


「逃げてください」


「?!」


「勇敢な北條さんには感謝しています。こんな形で逃げてくださいと言うのも失礼だと言うことは重々承知しています。でも……」


 風小の言葉に、北條は小さなショックを覚えた。


「勝てないと言うことなのか?」


 もちろん、この状況、そして顎蠱の凄まじい力を目の当たりにすればそう思うのも当然だろう。

 しかし『あの』風小の口からそんな弱気な言葉が語られるとは。


「違います」


 力強い否定。


「此処からは、鬼追師の闘いです」


 なぜか、北條は自分の身体の中に力が湧いてくるのを感じた。


(そうか)


 風小の小さな後姿をみつめる。


(こいつと居ると負ける気がしねぇ!)


 ゆっくりと風小に近づく。


「なぁ、風小」


「……」


「この闘いが終わったら。めしでも食いに付き合えよ。おごってやるぜ」


 北條がそう言って風小の肩に手を置こうとしたそのとき。突然ワナワナと彼女の肩が震え出し、顔を真っ赤にして振り向いた。


「北條さん!!!」


「あ、いや、わ、悪かった!こんな時に不謹慎だった!だがよぉ、その、常套句っていうか、自分へのご褒美って言うか……」


 慌てて取り繕うが、風小はものすごい形相で北條を凝視する。


「北條さん!」


「はい!」


 思わず北條の背筋が伸びる。


「新宿『鈴屋』の『とんかつ茶漬け』を所望します!!」


 一瞬の間。


「……はい?」


「『めし』です!『鈴屋』です!切に願います!おごってくれるっていいましたデスよ!」


「はぁ?」


「ご飯三杯おかわりしてもいいですか?姫さまはみっともないから駄目だって言うのデス……いいデスよねぇ……いいですよねぇ?」


 いとも哀れな形相で風小が懇願する。その姿に、北條は声を上げて笑っていた。


「おまえって奴は」


 苦しそうに笑いを抑える。


「おーし!風小!茶漬けだろうが、味噌漬けだろうがおごってやる!」


「よーし!!!」


 風小と北條が校庭を睨む。

 押し寄せる金猿の群れ。

 そして、今まさに顎蠱は馬力光を繰り出そうと大きく口を開けていた。

 と、そのとき。


『方印の要見立てし偉大なる黄龍よ……』


 降り注ぐ月光よりもなお冴えた声が空間に広がった。


『古き一族、血の盟約により今、摂理の理を解かれよ』


 飛び出さんばかりにしていた風小が身を引き、声に耳を傾ける。


『白虎、青龍、玄武、朱雀』


「何だ?」


 北條が尋ねる。


「この、この『真言』わあ!」


『四神に守護されし封印を』 


「姫さま!」


 言うが早いか、風小は二階の窓から飛び出した。

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