第37話 ACT11 差シ退キの呪符1

 和子のいなくなった404号室で、北條は応接セットに座り、少し離れた部屋の隅でなにやら打ち合わせをしているレンレンと風小をぼんやりと眺めていた。

 風小とレンレンの会話のほとんどは筒抜けだったが、聞いたこともない単語の羅列する二人の話は、北條にはまったく理解の範疇外だった。


「わかった?」


 レンレンが、最後に風小に念を押すように尋ねる。


「ちりすけデスよ」


 風小は大きく頷きながら、妙な表現で余裕をかます。


「じゃあ、やるわよーん」


 レンレンが大きく伸びをしながらそう言って、応接セットに座る北條に近づいて行く。

 北條にとって待ちに待った瞬間。鼻水をすすりながら、すがるように立ち上がる。

 ふと、風小の方に目をやると、なぜか顔が異様に高揚し、踊り出しそうなくらいにやる気満々なのが何か嫌な予感を感じさせたが。


「えーとねぇ」


 レンレンの声にハッとして北條が向き直る。


「本来、召喚の儀……。つまりぃあやかしを呼出して式神にする儀式ねぇ。これを執り行うには、あやかしの属性による方位の見立てや、月齢による人間側の身体の調整。そして何日かの精神調整によるあやかしとの同調。もちろん身を清めるための沐浴の儀なんてのも必要になってくるのよん」


「そんな……」


 いったい如何なる事を如何なる期間執り行うのか。想像も付かない北條には、レンレンの言葉は、あきれ惑うしかなかった。


「今すぐじゃ無理っぽいじゃないか!そんな余裕あるのか?今の俺に!」


 北條が噛み付くと、レンレンは待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべた。その表情に悪意を隠そうともせずに。


「でしょう?待てないでしょう?待てるわけないよね?」


 ずい、とレンレンの顔が迫る。あまりの強い押しに、北條は思わずコックリと頷いた。


「と、言うわけでぇ……『燻り出す』」


 突然、レンレンが空中に指を走らせて印を描く。

 一枚の呪符が出現し、宙に浮いた。


「風小!準備!」


 言われた風小は、すぐにその場にしゃがむと、足元の床に人差し指で円を書く。円は、ぽっかりと黒い空間を床に開ける。すかさず左手を突っ込み、探るような仕草をして再び空間から引き出すと、その手には風水銃が装着されていた。


「完了!」


 風小がそう言って伸びあがり、左手を前に突き出して風水銃を構える。


「おっしゃあァァァ!」


 気合とともにレンレンが、宙に浮く呪符をその場から剥ぎ取るように引っぺがす。


「悪霊退さぁぁぁぁーん!」


 あっけに取られて身動き一つ出来ない北條の額めがけ、叩き付けるように呪符を貼り付ける!

 直撃の衝撃に北條の身体は大きく後ろに仰け反った!

 次の瞬間。北条の額から勢いよく白煙が立ち上がっていた!


「ぎィやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 断末魔のような北條の叫び!頭を内側から砕かれる様な激痛に全身が痺れ、腱という腱がビキビキと音を立て引きちぎれそうになり、悲鳴を上げる!


「なにしヤがるぅ!このヤロぅううううあああああ!」


 悪態をつき、身をよじり、地獄のような責め苦に悶えのたうつ。

 それでも、ようやっと額に貼りついた札が原因であることを悟り、手探りで額の札を探り当てると、引き剥がそうと手をかける。しかし、今度はその触れた指先が更なる激痛に襲われ白煙を上げだした。


「ぐあぁぁぁぁぁー!いでででででで、あたぁ!」


「ああ……。やっぱ、かなり融合が進んでたみたいよねぇ」


 のんびりとした口調で、レンレンが床にのたうつ北條を見下ろして呟いた。


「『差シ退キの呪符』と言うのよん。あやかしを住処からいぶり出す札でね。人間には無害なはずなんだけどぉ……」


「てぇめえぇ」


 北條が血走った目をレンレンに向けて呻く。


「さて、そろそろ出てきなさいよぉ。出てこないとあんたのイケニエがぼろぼろになるわよん」


 レンレンがそう言って高笑いする。

 北條の胸ポケットに入っていた携帯電話が、バチンという大きな音とともに発光した。

 その輝きは、シャツの布越しであったにも関わらず目が眩むほどのものだった。


 かおぉぉぉぉぉぉん


 咆哮。光の晴れた部屋の中に、あやかしが出現していた。

 北條の携帯に宿る『言霊のあやかし』。

 しかしその姿は、レンレンが風小から聞いていたモノとは、全く違う形体をしていた。


 伸びたベッコウ飴のようだと聞いていた身体は、黒い革の鞭のようにしなやかな輝きを持ち、コブラが威嚇する姿のように、身体の上部を直立させ頭巾を広げたような形をしている。身体中を蠢いていた、と聞いた沢山の猫目は無くなっていて、その代わりに、大きな一つ目が頭巾形の頭頂部に一つ、黄金の輝きを湛えて瞬いていた。 が、何より変わったのは、その全身を覆う、刺青のように浮き出ている、電子回路のプリント配線のような模様だろう。赤く輝き、不気味に明滅するその模様は、生物と無機物の両方を感じさせる、独特の雰囲気をかもし出していた。


 あやかしのこの変化は、多分、人間との融合と言う行為の影響であろうとレンレンは考えた。

 あやかしに対する考察の資料として非常に興味深く、前例の無いものだっただろう。


「風小!」


 レンレンが叫ぶと風小は風水銃をあやかしに向けた。


「属性石!あくあまりん!水の波動召還!」


 舌っ足らずの声で風小が叫ぶと、彼女の額の中心が輝き出し、さわさわと湧き立つ前髪の間から、アクアマリンの蒼い輝きが出現し、小指の爪ほどの輝石の姿に安定した。


「ほらあ、次はあんたの番よぉ」


 レンレンがそう言って北條の額から札をはがす。


 嘘のように苦痛が引いて行き、北條は暫くの間、呆けたように宙に視線を泳がせていたが、あやかしを風水銃で威嚇して向かい合う風小を認め、青ざめる。


「よせ!風小!」


 北條は、自分の今の命は言霊のあやかしによって維持されていると聞いていた。

 ならば、今、風小が風水銃を撃ってあやかしを倒してしまったら!

 結果は……。自分の死!


「やめろぉ!」


 必死の北條の静止も聞かず、風水銃が回り出し、風小が叫んだ!


「うごいたらぁあ、ぶっとばしますデスよ!」


 あやかしが怯み、身体を硬直させる。

 レンレンが、やる気の無さのにじみ出た口調で口を開いた。


「何してんのよん。どうでもいいけど、早くしないとこの状態は長くは持たないわよん」


「な、なにがぁ?なにを?なんでえ?どおのように?」


 北條の口からは延々と疑問符だけが流れ出す。あやかしと睨み合っていた風小がぎりぎりの形相で叫んだ。


「レンレンさん!北條さんは何も知りませんデスよ」


「あっ、……そか……」


 レンレンが、てへぺろっと舌を出しておどけた。


「かんべんしてくれぇ!」


 北條の声に反応するかのように、あやかしの触手が風小ににじり寄る。


「ふーっ!」


 風小の目の輝きが、気合いの色を増して行き、あやかしを威嚇する。

 風水銃の回転は段々と早くなっており、最早、何時発射されてもおかしくない状態だった。一刻の猶予も無さそうなのは誰の目にも明らかである。


「何をどうすりゃいいんだぁ!」


 たまらずに、北條が頭を抱えこんで叫んだ。

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