第41話 幽霊

 ブレーメンの地方新聞社に努めるコンラート・ジールマンは、上司への報告をすませ、自分のデスクに座ると、手際よくデスクワークをこなして行った。ブレーメン市内で起きたいくつかの事件――強盗や自動車と馬車の接触事故を紹介する記事と海王星を発見した天文学者、ヨハン・ゴットフリート・ガレの訃報に寄せた彼の実績を讃える記事を書くことだった。決してジールマンは天文学に詳しいわけではなかったが、サイエンスやテクノロジーの記事に関しては若いジールマンが担当することが多かった。

 上司から夕方までに記事をまとめるように指示を受けていたジールマンは、1時間ほどで小さな事件の記事をまとめ、編集長に手渡すと海王星やガレのことを調べるために図書館に行くと言ってオフィスを出たのは12時をちょうど回ったころであった。新聞社を出たジールマンは急いで図書館に向かい書籍を二冊ほど借りて出てきた。そして新聞社には戻らず違う方角に歩きはじめた。その様子をずっと覗っていたカペルマン刑事はジールマンがブランデンブルグの店に戻るに違いないと直感した。

 自分が尾行されているとも知らないジールマンは、迷うことなく来た道を戻っていった。道半ばでそれを確信したカペルマン刑事は、途中にあった公衆電話でアーノルド刑事に連絡を取り、それはすぐさまダミアンの工房に居るベーレンドルフに伝えられた。


「わかった。どうやら二人の関係はそれほど親密ではない――というかブランデンブルグが予定にない行動をしているということかもしれないな」

 ベーレンドルフは少し考えてから指示を出した。

「もう少し泳がせておいた方がいいだろう。そのまま監視を続けるように伝えてくれ」

 受話器を置くと同時に黒い瞳の人形師が声を掛けてきた。

「さぁ、せっかくのコーヒーが冷めないうちに、召し上がってください、刑事さん」

 捜査に協力的なダミアンは、まるでそれを愉しんでいるように見えたのか、ベーレンドルフは苦言を呈した。

「お前さん、さっきから、やけに楽しそうじゃないか。殺人犯と警官一人に怪我を負わせた人形を作った張本人としては、その性能に酔いしれているというわけか?」


 ベーレンドルフはできるだけ第三の被害者を出したくないと考えていたこともあるが、それ以上にダミアンのさっきの言葉が気になっていた。

「とんでもない。あれは人に危害を加えるようなことはありませんよ。いわば不幸な事故、それも人為的な操作ミスのようなものです。自動車だって、ハンドルさばきを一つ間違えば、不幸な事故を起こすじゃないですか」

 ダミアンは座ったままテーブルの向こう側でベーレンドルフに席に着くようにいざなった。

「機械に悪意はない。それはわかる。しかしあの人形は、そういう代物ではないんじゃないか?」

「まさか刑事さん、人形に人の魂が乗り移って、勝手に動いているとでもいうのですか」

「俺にはわからん」

「正直ですね。人はわからないことは怖いものです。刑事さんにも怖い物があると分かっただけでも、今日はお会いしてよかった」


 どうにもやりにくいとベーレンドルフは思った。しかし、この青年の協力なしにはこの事件の解決も、被害を抑えることもできない。

「さっきお前さんが言っていたこと、昼間は大丈夫だって、どういう意味なんだ」

「刑事さん、幽霊って見たことありますか?」

「ない。存在しないものは、見ることもできない」

「でも、刑事さんは幽霊を知っている」

「ああ、話だけは聞いたことがあるが、俺は信じてはいない。実際に見るまではな」

「幽霊って昼間は出ないんですよ」


 ベーレンドルフは眉を顰め、ダミアンを見つめた。

「だから昼間は安全なんですよ」

「言っている意味がわからないんだが。ダミアン、あんまり大人をからかうものじゃないぞ」

 意識的にか、無意識にか、ベーレンドルフはいつもよりも低い声で威圧的にしゃべった。

「そんな怖い顔をしないで下さいよ。僕は何も幽霊がでるとか、そんな話をしているのではないんですよ。幽霊は存在するかどうか。それは観察者によるところが大きいのです。つまり”見誤る”ということが起きやすい状況、それが夜――つまりは暗闇です」


 ダミアンの発した"暗闇"という言葉の響きが、一瞬時間を凍結させる。

「だが、ダミアン」

 ベーレンドルフは力づくで闇を払う。

「別に昼間でも暗闇は存在する。夜でなければ安全とは言えないだろう」

「ですが駆け落ちを堂々と昼間にするほど、ブランデンブルグという人は分別がないとは思いませんよ」

 ベーレンドルフは飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。さっきまで張り詰めていた空気はどこかに吹っ飛んでしまった。

「駆け落ちって、つまりブランデンブルグの目的は……」

「現在の所有権が警察署にあるというのであれば、誘拐ってところでしょうかね。警察署から物が盗まれるのも変ですが、誘拐となると、これはもう、世界が引っくり返るような話になってしまいますね。刑事さん」


 ベーレンドルフはブランデンブルグを取り調べたときのことを思い起こした。確かにあの男はアメリア夫人にすっかり心を奪われ、そして彼女を失ったことで、空虚になっているといった印象だった。


「このようなことが起きることを、僕はとても危惧していたのですが、起きてしまったことを悔やんでも仕方がありません。僕が言うのも変ですが、あれはただのオートマタです。決してアメリア夫人などではありません。しかし、たとえば窓に映る影に、死に別れた愛おしい人を重ねてしまうように、ブランデンブルグ氏は、あの人形に夫人を見てしまっているのです。ですからもしも、誰かが……、たとえばあのオートマタを警察署から盗み出した共犯者が、アメリア夫人としてではなく、ただの人形として扱ったときには、彼は恐ろしいことをしでかすかもしれません」

 ドイツ人の父親と日本人の母親を持つダミアンの表情はそれ故になのか、他の誰よりも豊かで、そして深い。時に闇の深淵を見せ、時に理路整然とし、時に妖艶で、狡猾さを隠さない。そして今、黒い瞳の青年の瞳は悲しみに暮れている。


「共犯者である可能性が高い新聞記者のジールマンという男がいる。奴にはカペルマンが張り付いているが、電話で話した通りにブランデンブルグの行方を捜しているらしい。おそらく今日は平常を装い、夜に落ち合ってオートマタを調べるつもりだったのだろう。彼としては事件に関係のある証拠品で、商売のネタにするつもりだったのだろうが、ブランデンブルグは、彼女を手に入れて、いよいよ決心したというわけか」

「生前にできなかったことを、人形で代用する。それは決しておかしなことではないのですけどね。むしろ人型造形物の本来の役割でもある。日本では、幼い子を失くした母親が、子供の身代わりの人形を飾ったりしますからね」


 ベーレンドルフはコーヒーを一気に飲み干し席を立った。

「少し強引だがジールマンを更迭してブランデンブルグの居場所を聞き出し、そこに乗り込めば、陽があるうちに解決できるな」

「捜査方法に口出しするつもりはありませんが、いざと言う時の為に、僕がそばにいた方が何かと便利でしょう。ご一緒してもよろしいですか、刑事さん」


 ベーレンドルフとダミアンは、カペルマンと合流することにした。


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