第17話 悪魔
「ここからは、私一人ではなく、リッツ氏にもしゃべってもらいましょう」
ハンスの遺体からは、これといって変わった物は出てこなかったが、所持品の中からどうやら薬を常用していたことがわかった。
「誰かがハンスに毒を盛った。それもカプセルに入れて毒がすぐに効かないような細工がしてあったということか。身近な人間の犯行……、女と言っていたな。女がらみの怨恨が生んだ犯罪だったということか」
「やっと、事件の真相に近づいてきましたね。さあ、外は蟲が騒いでいてどうもいけない。中に入りましょう。リッツさん、中にはいりますよ」
ベーレンドルフとカペルマン刑事はもう一度遺体を担いで部屋の中に運んだ。結局、この男からは何も聞き出せなかった。
「お別れは済みましたか。リッツさん」
「ああ、ありがとう。もう、彼の魂はここにはいないようだ」
ベーレンドルフ刑事は一瞬たじろいだ。リッツは人形の首を腕に抱きかかえ、さみしそうに座っている。その姿にとてつもない違和感を覚えた。嫌悪感といってもいい。
「愛していらしたのですね。ブルース・エルスハイマー氏を」
「あっ……、今なんて?」
カペルマン刑事は思わず口に出して叫んだ。
「おそらく誰にも気づかれないように、育んでいらしたんですね。禁断の愛を」
「そうです。私は、この男を。ブルースを愛していました。妻と出会うよりも前から、私たちは愛し合っていたのです」
「その秘密を知っていたのは、おそらく秘書の方だけだったのですね」
ダミアンが静かに問いただした。
「ヨハン・ブランケンハイムは誠実な男でした。しかしその息子は父親が思っているような誠実さを持ち合わせていなかったようです」
首を振りながらダミアンは否定した。
「それはどうでしょうか。彼はもともと誠実な人間であったのかもしれません。彼を歪ませたのは、ある意味あなたたち二人の禁断の愛が原因だったのかもしれません。もちろんこれは、憶測にすぎませんがね」
動かなくなった人形の首を、それでも愛しそうに抱きかかえながらリッツは語り始めた。
「私とブルースが出会ったのは、二人がまだ学生の頃でした。ブルースは内気で控えめで、やさしい青年でした。私はこのとおり、野心に燃え、すべてを手に入れようという覇気にあふれていました。普通なら相いれない二人でしょうが、どういうわけか、息があって、何をするのでも一緒に行動していました。彼はどちらかといえば、学校の仲間から馬鹿にされていました。私はそんな彼をどうしようもなく不憫に思い、ずっとそばにいて守ってあげたいと思った。気が付けば私はブルースから離れられなくなっていたし、それはブルースも同じでした。あってはならないことですが、私たちはそうやって、人知れず愛を育んできたのです」
「だけど、あなたは他の女性と結婚をした。おそらくそれには複雑な事情がおありだったのでしょうね。リッツさん」
言葉を失った刑事二人に変わって、ダミアンは聞き役となった。
「その通り、私は欲深い男です。ブルースも富も権力も、この手に入れたかった。だからそのために、私は愛していない人と結婚をし、家庭を気づきながら、社会的地位を手に入れ、それを利用して密かにブルースとの愛を育んできたのだよ。しかし、これは欲深き私に対する天罰なのかもしれない。まさかあんな形でブルースを失うとは……」
リッツの目から涙がこぼれ落ちる。こぼれ落ちた涙は、人形の頬を濡らした。
「では、ここからは、私の推理を申し上げます。おそらく別れ話をどちらかが……、おそらくエルスハイマー氏からあなたにあったのではないですか」
「ええ。そうです。このまま、この関係を続けては二人とも破滅してしまう。そうブルースは言ってきたのです」
「きっと父ヨハンの遺品の中からあなた方お二人の関係を示すようなものを、ハンスは見つけたのでしょう。しかし、これにはきっと、もう一人の人物が絡んでいたのだと私は推理します」
リッツの顔はこわばり、何も言おうとしない。
「いったい誰なんだ。その人物っていうのは?」
ベーレンドルフ刑事は、どうにか正気を取戻し、一人の刑事としてこの異常な事態を解決すべく仕事に取り掛かった。
「それはおそらくリッツ夫人でしょう。それ以外に考えられません」
リッツは呼吸を荒らげ、真実に向き合う恐怖に耐えていた。
「夫人ってまさか!」
「嗚呼、エバ! なんてことを!」
ベーレンドルフとリッツが同時に声を上げた。片方は驚きの声、片方は悲しみの声。
「夫人は薄々、お二人の関係について気づいていたのだと思います。女性の感というものは、常に男性の上をいくものだそうです。しかし、ヨハンさんはあなたの忠実な秘書、絶対にその秘密を漏らしたりはしませんでした。おそらく夫人はヨハンさんが亡くなったあと、息子のハンスをそそのかしたのでしょう。どんな手段を使ったかは、あまり想像したくはわりませんが、この際は、ハンス氏が、少なくとも生前の父親からはまともに見えた息子があのようなことになってしまうには、それなりの『出来事』というものがあったのでしょうね。そしてもしかしたら、あなたはそれを薄々感じていたのでないですか? リッツさん」
「エバが、若い男と恋仲になることは、私にとって、都合がよかった。私は浅はかだった」
リッツは憔悴しきった体を震わせながら、異臭を放ち始めた人形の首をしっかりと抱きかかえていた。
「あなたは大変頭が切れる方ですが、色恋沙汰に関しては、感情に流されてしまっていたようですね。まぁ、むしろその方が人間らしくも思えるのですが、どういうわけか、この世界を作り給う神は、そのような人間らしさに対しては、あまり寛大ではないようで、それには西の神も東の神もあまり変わりはないようですよ」
黒い瞳の人形師は、依頼主に抱かれた人形の首を憐れみながら言った。
「ハンスは誰も殺していない。いや、殺したつもりではいたのだけれど、実のところは誰も殺していない。ある意味一番の被害者だったのかもしれない」
「どういうことです。エルスハイマーの首を跳ねたのは、いったい誰なんですか」
カペルマン刑事の頭の中は完全にカオス状態になっていた。
「どうやら、首を跳ねたのは、別の人物らしい。ハンスは毒殺したものだと思っていたようだが、首を跳ねられたとき、エルスハイマーはまだ意識があった。あったらしいいんだ」
ベーレンドルフの言葉にカペルマン刑事はさらに混乱した。
「いったい何を言っているんです。さっきからおかしなことばかり……」
「俺にも……、よくわからんのだ!」
ベーレンドルフはダミアンを睨みつける。
「日本という国には、こんな恐ろしい話があるんですよ。とある家の妻が病気で亡くなる間際に、『どうか後妻はとらないように』と言い残したそうです。夫は妻に約束をしたそうです。『わかった。再婚はしない』とね。ところが何年かあと、夫は家の事情もあり、再婚をすることになったそうです。つまり亡くなった妻を裏切った。のちにその恨みを晴らしに、亡くなった妻の幽霊が出たそうです。それで、どうなったと思います?」
「どうなったって……、幽霊のすることは俺にはわからん」
ベーレンドルフのその答えにダミアンはとても満足した様子だった。
「あなたは素敵ですね。そう、確かにそうですね。でも、ここが肝心なところです。その元妻の幽霊は、夫には一切危害を加えず、後妻をかみ殺し、胴体から首をもぎ取ったそうですよ」
背筋が凍る思いという物を何度か体験したことがある。こういう仕事をしていればなおさらだ、とベーレンドルフは思ったが、今回のことは特別だった。
「つまり、リッツ夫人は、その幽霊と同じように、恋敵の……エルスハイマーの首を切り落としたというのか」
「証拠は何もありません。それを見つけるのは刑事さんたちの仕事です。でも、おそらくそんなに難しくはないと思いますよ。死人に口なしって言うでしょう。ハンスが真相を全部しゃべったことにして、自白を強要すれば、あっという間に白状すると思いますよ。白状どころか、一晩中でも話し続けるでしょう。積年の恨みつらみをね」
理にかなっている。ベーレンドルフはそう思い、それでも言わずにはいられなかった。
「この悪魔が!」
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