7日間。竜は自動車姦に目覚めるか?

しのびかに黒髪の子の泣く音きこゆる

前篇

 開けた山の頂上で、ヒロトはグリーンドラゴンと対峙たいじしていた。 


「頼む! 俺を犯してくれえっ!!」


 民家程もある竜は玉虫色に輝くうろこを隆々と膨らまして凄む。


「グオオオオオオッ!!」

「ぐっ」


 咆哮がヒロトの全身をガタガタと震わせた。

 心が砕ける恐ろしさに、逃げ出さないよう踏ん張るのが精一杯だった。

 しかし、彼の連れ合いは耐え切れない。


「キャアアアアアアア!」


 ヒロトのから絹を裂くような悲鳴がする。

 声の主は白いゆるやかな法衣に身を包んだ美しい女性で、長い青い髪を振り乱しながらパニックを起こしていた。


「平気か?」

「そ、そ、そんなわけないでしょ、本気なの!?」

「当然だ。グリーンドラゴンが今繁殖期って教えてくれたのはアンタだろう」

「だって、だって貴方は……トラックじゃない!!」


 運転席に座る女性はフロントガラスに唾を飛ばしながら絶叫した。 

 ドラゴンが両翼を勢いよく開き、こちらに突進を開始する――



 会社員だったヒロトにとって人生とは流されるものだった。

 みんなするというから大学まで進み、みんなするというから会社に就職した。

 童貞はみんな捨てるからというので、歌舞伎町のすっごい丸い中国人相手に頑張った。激烈なブスにおののき念仏を唱えながらいたしたら、苦しんでるのかと勘違いして頭を撫でてくる手がただただザーサイ臭かったのが一番記憶に残った。

 彼にとって流れとは世界の形だった。彼にとっての能動的な行為とはその形にどううまく合わせるかということだった。

 だから、『赤信号みんなで渡れば怖くない』というのである日渡ってみた。

 

 ドカーン!

「ほぎゃぽぎゃっ!」


 彼は死んだ。

 折悪しく急な角を曲がってきた五トントラックに彼は正面からぶち当り、急ハンドルを切ったトラックと壁にサンドされた。

 結果ヒロトはバンパーからフロントガラスにかけてブチャーっと広がり、潰れたヒロトマトは何事もなく生命活動を停止しようとした。

 しかし、その時奇跡が起きた。


(!?)


 毎日車道の流れに従って走行していたトラックと、流されて生きてきたヒロトの魂とが融合し一つとなった。彼はヒロトラックとして生まれ変わったのだ。


(俺は死んでない、死んでないんだ!)


 しかし、事故を起こしたヒロトラックは即日廃車となり解体されて死んだ。



「こんにちは、ヒロトさん」


 次にヒロトの眼が開いたとき、目の前にいたのはプロポーション抜群の若い白人の女だった。ただ青い髪と純白の法衣のせいで『レイヤー』、『不思議ちゃん』、『リスカ』、『オフパコ』という言葉が次々ヒロトの脳裏をよぎった。


「安心してください。もはやすべての苦しみは取り除かれました」


 彼女の柔らかい笑顔に他愛もない煩悩もよって振り払われる。

 その神秘的な白い空間に存在しているのは五トントラックと法衣をまとう美しい声の主だけだった。確かにヒロトを害する存在はどこにもなかった。


「ここは? お、俺は溶鉱炉に沈んだはずじゃ……」


 ヒロトはトラックの下の方のなんかごみごみしたところを巧みに振動させて言葉を紡ぐことに成功していた。

 女神はちょっと眉をひそめて厳かに事実を告げる。


「ええ、貴方は死にました。二度も死にました」


 プパッ、ブパッ、というクラクションがヒロトの泣き声を現していることに女神が気付くまで数秒の時を要した。


「お辛いでしょう、悲しいでしょう。ですがそういう定めだったのですよ」


 ブパッ、ブパッ


「泣かないでください、ヒロトさん」

「はい……。あの、あなたは誰ですか?」

「あ、申し遅れました。私、貴方の末路担当女神メ・ガミダ・ゼと言います」

「すげえ変なお名前ですね」


 こほん、と空咳をして彼女は本題を切り出す。


「さて、今回二回死んでしまったヒロトさんは死亡特典が二倍発生しています」

「はあ」

「なので、記憶を継続して更に二倍来世を楽しめるようにしてあげようと思います」

「はあ、ありがとうございます」


 メ・ガミダ・ゼはヒロトの声音があまり嬉しそうじゃないことを見抜いていた。しかし、具体的にどうすればいいのかはさっぱりわからなかった。

 この女神実はまだ新米で右も左もわからない。当然上司を呼ぶことも。

 しかしどんな上司でもこれは難しいだろう。何しろ彼女が直面しているトラックのフロントにはヒロトの肉汁が生前の形そのままにへばりついているのだ。

 そんなど根性ヒューマンとの会話は誰でも狂気の沙汰だ。彼女はよくやっている。


「あの、あの、ヒロトさん。こちらにも限界はありますが、何でも来世にやってみたいことをおっしゃってください。私頑張りますから!」

「じゃあ、ファンタジーな世界で勇者でチートで女の子にモテモテとか……?」

「何とかしましょう!」


 よかった、こいつ超俗っぽいぞ。メ・ガミダ・ゼは心の中でガッツポーズした。


「イケメンに生まれ変われたりとかも?」

「あ、それ無理。貴方はもう魂レベルでトラックとブチャーっとなってるので」

「……え、まさか生まれ変わってもこのままなんですか?」

「はい」


 ブパッ、ブパッ!


 メ・ガミダ・ゼは必死に彼をなだめた。


「元気出して! ユーキャンドゥイット!」

「トラックですよ!? 異世界だろうとなにができるって言うんですか!?」

「なあんでもできますよ! 魔王退治とか、女の子にモテたりとか!」

「生身じゃなきゃ意味ないだろ!」


 ブパッ、ブパッ……痛切な騒音が神秘的な空間に木霊する。

 一度二度ならいいが何十回もそれは続き、『クラクション殺人』という言葉が女神の脳裏をよぎった頃、ようやく彼は落ち着いた。


「もう、どうしようもない……」

「お辛いでしょう、悲しいでしょう。ですがそういう定めだったのですよ」

「それマニュアルなんですか? 来世はスキップでお願いします、即来々世で」

「すると特典三倍になりますね。魔王二匹はき殺せますよ」

「もはや呪いじゃないか……」


 ヒロトはフロントガラスをウォッシャー液でびしょ濡れにした。

 そういう泣き方もできるならもっと早くやって欲しかった、と女神は心底思いながらも努めて明るく振る舞う。


「そんなことないです! 今ならいいファンタジー異世界ありますよ」

「どんな?」

「えっ、そうですね。私のお勧めですと、王道の中世ヨーロッパ風でどうですか? 人も建物も少ないし、草っ原とかお山とか思いっきりかっ飛ばしたらきっと気分いいですよ!」

「そんなにドライブとか好きじゃなかったし……」


 面倒くさい自動車だ。女神の額に青筋が浮かぶが、慈愛に溢れた表情は崩さない。

 崩さずに、必死にヒロトをノセようとする。


「景色だっていいんです、なんか城が浮いてたりとか、あとドラゴンもいてですね、グリーンドラゴンなんか、最近は繁殖期だから高度一万キロまで飛びながら交合するんですよ! 無意味に壮大ですよ!」

「!」


 突然ヒロトの両眼が、ライトが点灯した。


「本当かそれは!!」

「うえっ!? なんですか急に」


 メ・ガミダ・ゼは直進してきたヒロトを危うくバックステップでやりすごした。急な食いつきに驚いたものの、すぐ彼は黙りこんでしまった。


「あのー」

「……」


 しばらくライトをチカチカさせてから、ヒロトはおもむろに口を開いた。


「……したい」

「え? すいません、もう一度お願いします」

「セックスしたい」


 この言葉を聞いても美しい彼女は大して驚かなかった。男の死者にはままあることだ。先ほどのリアクションの意図は不明だが、喫緊きっきんの欲求を晴らしたくなったのだろう。

 彼らは迷える子羊だ。

 救い難い愚行を繰り返しても我々神だけは許してあげなければならない。

 彼女は腰までの長髪をかき上げて、呼吸を一つ整える。


「ヒロトさん」


 そして、真っ直ぐに男を見据えた。


「天界はおさわり厳禁なんです。アフターでもキスだけで、」

「アンタじゃない」

「えっ」

「ドラゴンとセックスしたい」


 こうして新米女神の悪夢の日々が始まった。



 ドラゴンカーセックス。

 それは少し前ネットの一部で有名になった特殊な性的嗜好。

 彼女も声優予備校に通っていた当時、ドラゴンが車をズッコンバッコン犯しているイラストを見ては爆笑したものだった。

 まさかそれが仕事になるとはつゆも思わなかったが。


「起こしてくれ」

「はいはい」


 異世界に転生してすぐさま街道沿いの宿場町で噂をかき集め、ようやくこぎつけたグリーンドラゴンとの対面は三十秒で終わった。

 竜はその筋肉質な両腕でヒロトをぶん投げて、ダイナミックに強制下山させられてしまったのだ。

 メ・ガミダ・ゼは横転したヒロトを魔法的なオーラで起こしてやった。


「ガミダ、俺の何がいけなかったんだ?」

「外見でしょ」

「そうか……」


 この変態に対して彼女はとっくに敬語を使って話すことを忘れていた。


「ねえ、ヒロトさん。やっぱり……難しいと思うわ」

「ああ、まあな」

「グリーンドラゴンの繁殖期は短いの。今日を入れてもあと七日しかない」

「七日か……厳しいな。でも、収穫もあったし何とかなるだろ」

「収穫?」

「あいつの剥き出しチ〇コ見たか? 電柱ぐらいあったぞ」


 ケモでホモでメカなのだ。若い彼女にそこまで天然の向こう側にいる人間をリスペクトする寛容さはなかった。


「あれなら俺の重量でもなんなくファックしてもらえる」

「お、おう」


 ついていけない。

 彼女は運転席に戻り、シートベルトを掛け直すとため息を吐いた。


「それで、どうするつもり? 第一印象は最悪だったけど」

「ガミダ、なぜドラゴンカーセックスが生まれたか知ってるか?」

「知らない。あとガミダとか縮めて呼ばないで、仲良いみたいじゃん」


 険のある口調を気にも留めず、五トントラックは独りでに走り出す。

 ガミダがどうやってるのか聞いたら、意識はフロントのど根性ヒューマン部分に集中しているので思いっきり踏ん張ると進むらしい。奇怪だ。


「ドラゴンカーセックスが生まれたのはアメリカ、自由の国だ。

 だがその本質とは自由ではなく、むしろ真逆。アメリカではポルノの規制が厳しく、レイプもダメロリもダメと禁止されていった。終いには獣姦、獣同士まで禁止されたナードたちが編み出した最後のフロンティア、それがドラゴンカーセックスだ。

 過酷な環境が荒々しく自動車に腰を打ち付けるドラゴンに性的興奮を覚えることを可能とさせたのさ。流されていくうちに至った流刑地ともいえるな」

「ふーん、で?」

「竜も同じだ。規制されればどこまでも堕ちる。アンタにも手伝ってもらうからな」

「え」

 

 ヒロトの行く先は山ではなく、人間達の住む街だった。


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