第148話 永遠の終焉
私は、私の理想に殺されかけている。
そんなことに気がついたときには、もう手遅れだった。
磨耗していく日々。これでいいのかと常に迷う日々。
それでも進むしかなかった。月子さんを生き返らせるという想いはあったが、それ以外に、もう戻ることはできないという想いも私にはあった。
誰か止めてくれと願うこともあった。しかしそれは彼女への裏切りに過ぎない。今まで犠牲になった人々への裏切りに過ぎない。
その想いを心の底に沈め、進み続けた。茨の道だと分かっていても進むしかなかった。
そしてそれから、結局全てを捧げても理想は成し得ないのだと分かった。七条歩には届かない。この世界の、博士の生み出した最高傑作には届き得ないと悟った。所詮は作られた存在、何かを生み出そうとすること自体が烏滸がましいのだ。
後悔はもうなかった。文字通り、全てを捧げてここまできた。それでダメなのだから、どうしようもないのだろう。彼が運んできた、楓であり、詩織でもある彼女を見て私はそれを強く思った。
終わりの時がくる。それはもう覚悟の上だった。
七条歩がこの場所に来るのは知っていた。いや、彼はすでに全知全能。この学園の存在、というより私がこの学園を実質的に支配し、この地下で実験を繰り返してきたのはもうバレていることだろう。
そして案の定、彼はやってきた。
死体に成り下がった、血塗れの彼女を抱えて。すでに楓の意識とは別れを告げている。だがしかしこうして、目の前で彼女の死体を見ると、本当に死んでしまったのだなと認識する。
それから彼と二人で彼女の遺体を綺麗にして、最後に祈りを捧げた。
「詩織……安らかに、そして楓も……どうか安らかに眠ってください」
それは心からの言葉だった。自分の理想のために生み出して、死んでいった彼女。それは私のただの我儘でしかない。目的のために命を生み出し、意識を植え付けた。それだというのに、彼女はこんなにも安らかに眠っている。本当に、彼女には思うところがたくさんあり過ぎる。
「さて……何から話しましょうか」
「もういいのか? 俺はまだ生きている」
「今の私があなたに勝てるとでも……?」
「やって見なくては……」
「分かりますよ。もう、私の理想は潰えた。月子さんを失い、彼女のために全てを捧げた。そのために生み出した楓と詩織も、もういなくなった。私にはもう何も残っていないのです」
「なぜ……なぜ人を思いやる感情があるのに……」
「さぁ、どうしてでしょうね。本当に人間とは不思議なものだ。感情に振り回され続ける。結局、私は、この世界で踊り続けていた哀れな道化師ピエロなのかもしれません」
「……俺だって、人はみんなそうだ。みんな迷って足掻いて苦しんでいる。それが人が人たる所以だろう。みんな踊り続けるんだよ、この世界で……」
「はは、クオリアネットワークを解放した貴方がいうのならば、多少は説得力がありますね……ははは……」
「……」
結局のところ、人間とは何なのだろうか。私にはついぞそれが分からなかった。そして、この世界の究極になった彼でさえ明確なたった一つの答えを持っていない。
この世界で踊り続ける。
私は
人の生に意味はないという意味があることを知った。だからこそ、その生に自ら意味を与えることが大切だと分かった。
でも私は、意味を与えることができたのだろうか。
自分の人生を意義あるものに出たのだろうか。
最期の最期にこんなことを思うなんて、本当に私は愚かだ。他の人間とは、他のクリエイターとは違う。そう他者を見下して、自分には崇高な価値があるのだと思い込んでいた。でも、結局のところ私の世界のパーツの一つでしかなく、何の理想も果たせなかった愚か者だった。いや、理想を仮に果たせたとして、私は本当に賢者と言えるのだろうか。愚者でしかない私はどこまでもいっても愚者なのだ。そして、愚者としてこの世界で踊り続けただのちっぽけな愚か者として死んでいくのだろう。
ははは、ふさわしい最期じゃないか。
月子さんの元に行けるのならいいじゃないか。私は、私の理想は満たされた。彼女を生き返らせる理想ではなく、愚者として踊り続けたいという理想は成された。さぁ、永遠に終焉を。
「もう、長くないのか」
「えぇ……もともと私たちの個体は貴方を、クオリアネットワークを発現していない個体は急速に劣化がくるのです。クオリアを人工的にこじ開けるとこうなるようですよ。全く、解せないですね。いやでも……私は満足ですよ」
「満足なのか? お前は、月子さんを生き返らせた時こそ満たされるんじゃないのか」
「そう……そう焦がれてきました。それだけが私の理想だった……でも、いざそれがダメだとわかると……逆にホッとしました……もう、もうこれ以上誰かを苦しめなくていい。もう、終わりなのだから……と」
「……そうか」
「……介錯お願いしても?」
「……構わない」
「さらばだ、D-7」
「えぇ。私の理想は満たされました。さようなら、世界よ……」
さようなら世界。さようなら月子さん。
胸にナイフが刺さった感じた瞬間、私の意識は途切れた。
§ § §
意識が戻るとあの花畑に立っていた。詩織のクオリアであり、深層意識の具現化。なぜ、今更こんなところに。私にはここに永遠にとどまる力などないのに。
導かれるようにして、私は歩き始めた。この先には何か待っている。その予感を信じて。
「久しぶり……大きくなったね」
「つ、月子さん……?」
「うん。ずっと、ずっと待ってたよ」
「そんな……あなたは、あなたは完全に死んだはずだ……あなたの意識はクオリアネットワークに残滓として散らばっているはず……なのに……」
「私はね、貴方でもあり、一ノ瀬詩織でもあり、七条歩でもある。オリジナルっていうのは特別なのよ?」
「そんな……なら私は……いや、俺は何のために……」
死んでもなお、愚者を自覚しなければならないのか。何という愚かな、愚かな人生だったのだろうか。
「貴方のしたことは許されない。私のためにした、っていうのはあるだろうけど……私にためにあんな犠牲を払ってほしくはなかった……」
「……そのことには途中で気がつきました。でも止まれなかった。結局俺は、貴方のためと言いながら、自分のために、この欲望を満たすために生きて……そして、死んでいったんです。如何しようも無い、愚か者だ」
「そうだね。愚か者だよ。でもね、あの頃の君とは違う。君は全てを捧げてでも、成し遂げたい理想のために進んだ。それが他者から見て悪であるという側面はある。でもね、貴方にとっては善だったの。とどのつまり、それは主観的なものでしかない。貴方はそう思ってるんでしょ?」
「ははは、何でもお見通しだ。さすがは……月子さん……」
愚者は愚者なりに死ぬ。そう、私は満足していた。満たされたいた。短い人生だったが己のしたいことをやって、その理想を打ち砕かれて死んでいった。何の憂いもない、後悔もない。死に恐怖は感じなかった。来るべき時が来て、こうして最期の時を、意識がなくなる途中で、寄り道をしている。
私は恵まれすぎている。
月子さんに最期に会えるなんて、最もたるものだ。
「でも心残りは……やはり、詩織のことですかね。彼女、まだ残っているんでしょう?」
「うん。でもね、彼女は彼が終わらせてくれるわ」
「……彼、ですか」
「うん。私たちは一足先に、この永遠を終わらせましょう」
「……はい」
そうして、俺と月子さんは手を取って歩いていった。
どこまでも果てしなく遠い彼方へ。
永遠の終わりへ、終焉へ、向かって、向かって……そして俺たち二人は消えていった。もうどこにもいない。
さようなら、月子さん。さようなら、世界。
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