第134話 想いと妄信

 


「おやすみ、楓」


 D-7は楓の前髪を軽く撫でると、もう彼女の役目の終わりが近いことを悟る。


 彼はここ最近、楓が自分という存在しに疑問を持ち始めたことに気がついていた。そのたびに記憶を修正するのだが、どうあがいても彼女は戻ってくる。そう、彼女は自分という自己を知りたいという場所へ必ず戻ってくるのだ。



 もう何度、楓の記憶を操作したかわからない。何度も、何度も、何度も、

何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、彼女の記憶を書き換えてきた。


 また記憶の中枢は海馬にあると思われているが、それは勘違いである。海馬は記憶を長期化するかどうかを判断するだけであり、そこに記憶があるのではない。記憶とは脳全体に存在しており、D-7は相手の脳を全て掌握することであらゆる記憶を操作することができるのだ。偽りの記憶を埋め込めることもできるし、逆に記憶を消すことも容易だ。さらに感情の操作もできる。脳機能の全てを掌握できる彼は、全盛期の力ならば全知全能と言って過言ではなかった。



 だが、歩との戦いで負ったダメージのせいで今は力を操ることが上手くいかない。それを差し引いても、今の楓は以上だとD-7は感じ取っていた。これだけ書き換え行えば、普通ならばクオリアはその記憶に戻ろうとする性質があるはず。それを利用して、何度も記憶操作を行ってきたが、どうにもことは上手く運べない。



「……全知全能、程遠いですね」



 自身の両手を見て自嘲する。D-7として自我を得て、七条総士を殺して、月子のためにあらゆるものを犠牲にしようと決めた時には自分はなんでもできると思っていた。自分こそがクオリアネットワークの核であり、世界の支配者になれる。この力は、相手の脳機能を掌握するのはその残滓でしかない。



 そんな思い上がりがあった。



 彼はそれは愚かであると後に悟り、今に至る。そもそも、完全な存在などいるのか。いやそれはきっと、クリアネットワークの核となった人間のみがたどり着ける場所なのだろう。彼はそう考えており、七条歩に対して憎しみを覚えてしまう。


 彼がいなければ、今すぐにでも月子に会える。彼女に会えないのは、あいつのせいだ。そう考えるも、理性は囁く。


 死者は蘇らないのだと。


 あの時と完全に同じ人間は再生できない。記憶を保持していても、それは同じ記憶を持った別人である。スワンプマンは生まれるべきなのか? 人の死に介入することは許されているのか?



 神の領域なるものは存在している。それこそがクオリアネットワークなのだと彼は信じており、それさえあればたどり着けると信じている。全人類の意識の統合体。その意識は死者さえも含まれている。それは詩織の件で解決済みだ。



 もうすぐだ。


 七条歩はやってきた。この日本の地に五体満足で。記憶はまだ封じてある。そして、徐々に解放してその脳を摘出する。



 大丈夫だ。大丈夫に決まっている。



「……」



 胸にかけているペンダントを握りながら、D-7もまた楓の隣で僅かの時間だが睡魔に身を任せるのであった。



 どうか良い夢が見れるようにと祈りながら。



 § § §



「……これはこれは」



 D-7は自宅で七条歩のデータを眺めていた。彼を狙っての襲撃。テキトーなコマにそれなりの力を与えて見たが、彼の力は予想以上だと悟る。


「一応、プロを使い、さらには属性具現化エレメントリアライズを与えたというのに……この結果ですか」



 歩は難なく相手に勝利した。氷結世界グラツィーオスフィアを物ともせず、絶対集中アブソリュートゾーンだけで乗り切ったのだ。



 彼の能力というものは全てクオリアネットワークから漏れ出した残滓である。後天的に獲得したのは間違いないが、その根源はそこにある。彼は本来ならば、この世界のあらゆる異能を有することができる。CVAがワイヤーというのは、すべての原型だからその形態をとっているのである。もちろん、すべてのワイヤー使いが原型であると言えるわけではないが、彼の場合はワイヤーというCVAからあらゆるCVAに派生するためにその形態を保っているのだと、研究で明らかにしている。数多くのクリエイターを生きたまま解剖し、その結果わかったことだ。



「どう思いますか、アウリール?」


 D-7のそばにいたのは、七聖剣セブンスグラディウスの中でも最も知性のあるアウリールであった。彼はこうしてデータ収集と分析の手伝いを主な仕事としているのだ。



「はっきり言って,クオリアの覚醒は近いと思われます。いや……これはすでに至っている可能性もあります」

「どうしてそう思う?」

「今回の戦闘、微かにですが彼の肌と髪が白く変質しています。これはクオリアの兆候ではないかと。バイタルデータも通常のシンクロ率を大幅に超えていますし、間違いないかと」

「そうか……うん、そうだよね」


 改めて事実を噛みしめる。


 もう時は近い。


 彼女に、月子に会える日々は近い。そう逸る気持ちが彼の心を高ぶらせる。



「……震えていますよ。お薬を、どうぞ」


 そう言ってアウリールはD-7に小瓶を渡す。


「あぁ……すまない」


 震える手でそれを握ろうとするも、彼にはそれをしっかりと握ることができるほどの握力が残っていなく地面に落としてしまう。



「おっと、お気をつけください」


 アウリールはそれを素早く疲労と、彼に自ら薬を飲み込ませる。



「いつもすまないな……」

「いえ、これも役目ですので。老い先長くないこの身、どうか自由にお使いください」

「……助かるよ」



 そう、アウリールだけはD-7の計画の全貌を心得ていた。彼が求めているのは月子の蘇生だけで、あとはただの些事でしかない。倉内楓も、七聖剣セブンスグラディウスも最終的にはこの世界からいなくなる運命にある。



 彼はそれを良しとしていた。むしろ、嬉々としてD-7を手伝っている。別に初めからそう意識を操作したわけではない。だが、彼はどこかD-7に似ている。それだけの理由から、D-7はアウリールにはすべての心情を吐露している。



 そして、七聖剣セブンスグラディウスだけでなくD-7自身ももう時間が少ないことを痛感していた。



 もともと、人工的なクリエイターという存在は例がない。人間のクローンですら、サンプルが少なすぎて、どこまで寿命があるのか、本当に普通の人間と変わりがないのか、などは不明瞭な点が多い。



 そして極め付けは、歩との戦闘だ。あの日、ほぼすべての力を限界以上に使い果たした。その後遺症か、徐々に身体の機能が衰え始めている。脳の状態は変わりなく普通で、精神状態も比較的安定している。



 だからこそ、今は詩織と同じことを自分に施そうとしている。それは自分の意識だけを残し、新しい体にその意識だけをアップデートするというものだ。



 すでにこれも実験は繰り返しており、他者の体に他者の人格をインストールすることは成功している。だが、たった一つだけ問題があった。それはD-7に適応する器がないということだ。



 もともと、倉内楓は一ノ瀬詩織を基にしたクローンでありその適応率は依然として平均値を保っている。しかしながら、これは完全に偶然の産物であった。D-7は自分のクローンを生成し、意識の移動を試みようとしたが、失敗。



 そこで彼が得た答えは、彼と同じ情報構造を持っている七条歩を使うことである。


 彼の脳を取り出し、そこに自分の脳を取り入れる。そうすることで、クオリアネットワークと新しい体が同時に手に入る。


 月子と永遠に暮らすことだってできる。その確信があった。いやそれはすでに妄信と言っていいかもしれない。



「……もう直ぐ会えるよ、月子さん」



 それこそが彼の想いの全てだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る