第50話 Another View 9 彼女の過去
そして、彼女の人生はすでに生まれた瞬間に狂い始めていたのだ。
「葵! すごいな! さすが俺たちの子どもだ!」
「葵〜、えらいわね〜。よくできましたね〜」
「えへへ。ありがとう、パパ! ママ!」
両親はクリエイターでは無かった。現代では、クリエイター以外の普通の人のことをオーディナリーと呼ぶが、まさに彼らは典型的なオーディナリーの家系。
そんな時、突然変異的に葵が誕生した。クリエイターは遺伝するものだが、時折このようなケースも存在する。かなり確率は低いが。
葵の両親は、それはもう彼女を可愛がった。クリエイターは社会的地位も高いし、収入もいい傾向にある。この子は私たちに幸運をもたらしてくれるのだと思い込んでいた。また、クリエイターの子どもがいるというだけで価値があるのだ。
彼女の両親はいたって普通の人間である。性格や素行に問題などない。どこにでもあるような、普通の家庭。しかし、彼らもまたクリエイターという存在に狂わされていく。
「葵・・・ 成績が少ししか上がっていないようだが?」
「そうね・・・ どうしたの葵・・・? あなたはもっと出来る子でしょ?」
「はい・・・ ごめんなさい」
小学校高学年になると、葵はあまり褒められなくなった。両親の要求が高すぎるのだ。普通に考えれば、葵の成績はクリエイターということを考慮してもすばらしいもの。だが、人間とは果てしない欲望を持っている。両親は今の彼女の成績では満たされないのだ。
クリエイターかどうかは生まれた瞬間に遺伝子を見ればわかる。そのため教育機関は小学生まではクリエイターとオーディナリーは一緒に受け、中学以降は完全に別となる。クリエイターとオーディナリーの間にはやはりどこか偏見というか相容れないものもあるが、特別クリエイターがオーディナリーよりも優れているのは主に身体機能だけなのでそこまで差別化は進んでいないのが現状。ただ、クリエイターの中には身体だけでなく脳機能も異常に発達しているものも存在する。
現在の教育では小学3年生までは集団授業を採用しているが、それ以降は完全に個別授業に移行する。そのため、自分のペースで学習を行うことができるので飲み込みの早い生徒は小学生の間に中学生の範囲まで学習を終わらせてしまうものもいる。個別授業では今までの学習傾向などから、自分に適切な学習法がAIによってオーダーメイドされる。人によって得意不得意があるのでそれをうまく調整しながら課題を設定し、生徒はそれをこなしていく形となる。
一方で、体育や美術系の科目は未だに集団で取り組んでいる。また、個人の学習意欲の向上を図るために週に一度もモチベーションについての授業が集団で行われる。これは、何のために勉強をするのか、そしてそれはどのように将来活きてくるのかなど、今までの教育では不明確だったところを明確にすることで、子どもが自分の意志で学習に取り組み、自分の力で思考する力を養うことを目的としている。
日本の教育は協調性を重んじるよりも、欧米のように個人の能力を重視し始めたのがこの教育から見て取れる。
ちなみに、クリエイターの世界では早熟な天才は選手でも科学者でも多く存在する。これは遺伝的な要因というより、現在の教育がかなり充実していることを表している。
そして、今までに授業を受けていた時間が中学生になると途端になくなるのでその時間全てをCVAやVAの研究に費やし始める生徒もいる。
葵はすでに、小学生の間にほぼすべての教養科目の履修が完了している。そのため、両親の強い勧めもあり彼女は研究者としての道を歩み始める。
「葵、お前はやればできる子なんだ。研究者として、これから頑張るんだぞ? これはお前のためなんだ」
「私たちはあなたを応援してるわ。頑張ってね、葵」
「うん、私頑張るよ。パパとママの期待に応えるよ」
葵はもはや両親の操り人形。両親が干渉しているのは、教育という領域を超えている。お前のため、というのは自分が葵を操作していることを無意識的に隠すために言っているのだ。彼女は両親にとって、自分を着飾るためのアクセサリーの一つ。他の親に葵のことを、羨ましいと言われるたびに両親は満たされる。本当は何の関連性もないのに、自分の手柄のように喜ぶ。
長谷川葵はもうすでに、狂っていた。自分など存在しない。両親の期待を満たすことが人生。生まれた意味を両親によって固定された彼女は、もはやただのロボットと変わりなかった。
また、彼女の両親は葵を通じて育成ゲームをしているのも同然。自分が気にいるようにキャラクターをメイキングし、反抗など許さない。無意識的にやっていたとしても、彼らはそれを行っている。
そして、彼女が研究の道で成功しないとわかった時、両親の心ない言葉によって葵の心は死んだ。
「はぁ・・・ 何がいけなかったのかしら・・・? あんなにお金かけたのに・・・ 綾小路紗季さんは、葵と同年代であんなに成果を出しているのに・・・」
「まぁ、そう気にするなよ。子どもはまた作ればいい。葵は失敗とはいえ、なんとか自分で稼げる程度には研究者として成果を出しているんだ。あとは、葵のためと言ってその金で彼女をどこか入れよう。ICHとかがいいんじゃないか? あそこは学生街もあって、一人暮らしはしやすそうだしな」
「えぇ。そうね、葵には自立してもらわなくちゃ。金銭的にも、精神的にもね」
両親は夜遅くにこの会話をリビングでしていたのだが、偶然にもそれは葵の耳にはいってしまった。
彼女はこの時やっと理解した。今まで自分の意志でやっていたと思い込んでいたことは、すべて両親の期待を満たすためだったのだ。彼女は、勉強や研究が特別嫌いなわけではない。しかし、先ほどの言葉を聞いて自分が何者なのかを見失ってしまった。
自分は何の価値もない、ただのおもちゃなんだと。おもちゃは壊れたら捨てる。そして、新しいものを買う。当たり前のこと。当たり前のことではないか。
この時はそう思ったが、彼女の目からは涙が流れていた。
心と意識の
徐々に、擦り切れていくように心が摩耗していく。両親によって行われた精神的虐待によって精神が死んでいく。どろどろと溶けていくように、彼女の精神は奈落の底に落ちていくのだった。
それからは、よく街に出て殺人を繰り返した。しかし、彼女はいつからそうなったのか。どうしてそうしているのかは明確な理由が分からなかった。気が付いたら、そうしていたのだ。まるで誰かにそうしろと強いられているように。
確かに、殺人には快楽を感じる。だが、これは何か違う、偽物のような感覚があることを彼女は無意識ながらも認識していた。しかし、止めることはできない。しばらくはずっとその行為を繰り返した。まるで心の隙間を埋めるかのように。
そんな時、彼女は歩と出会った。
「あぁ! これが恋なんだわ! 私は、歩と会うために生まれてきたに違いないッ!!」
そう言うが、それはある面では正しいし、ある面では間違っている。
彼女が恋しているのは間違いないだろう。脳内にはPEAが大量に分泌されている。それは彼女の心を覚せい剤と同様に高揚させる。その高揚感は恋特有のものだ。まさに、ハネムーン期特有の恋は盲目状態である。
しかし、彼女が求めているのは七条歩ではない。彼女は両親の代わりが欲しかったのだ。恋愛とは、過去の出来事が今の恋愛にかなり影響してくるのは心理学的に明らかになっている。
彼女は、認められなかったあの時を、褒めて欲しかったあの時をやり直したいのだ。そう思っているからこそ、歩に依存してしまった。
そして、彼女はさらに狂っていく。
「葵、どうしたの? 元気ないね」
「あ、姉さん・・・ 私ね、歩にフラれちゃったの・・・ もう、どうしようもないの」
「本当に? 付き合えないって直接言われたの?」
「いや、そこまでは言われてないけど・・・」
「なら大丈夫だよ!! それに今は学年代表選やってるんでしょ? 試合で勝つ姿を見せれば彼もちょっとは見直してくれるんじゃない? 七条くんは貪欲に強さを求めてるみたいだし」
なぜ、小夜が歩の個人的なことを知っているのか。なぜ彼女はそのような事を言うのか。
本来ならば尋ねるべきだった。しかし、葵はそんな気力もない。心は歩を求める気持ちしかない。
拒絶されたからこそ、さらに彼が欲しくなる。ずっと、ずっと、二人きりで愛を囁いていたい。そんな気持ちで心は支配されていた。
その時、小夜がある提案をしてくる。
「ねぇ、私が
「うん・・・ ずっと愚痴聞かされてきたけど・・・」
「実は、誰にでも後天的に使える方法がわかったの」
「え・・・ すごいね、それは。世界レベルの話じゃん・・・」
「葵はさ、今ちょうど校内戦をしてるし使ってみない??」
「私が
「そう。そうすれば、彼はもっと葵のことを見てくれるよ」
「歩が・・・ 私を見てくれるの・・・? 本当に・・・?」
「私が保証するわ。それに葵にピッタリなやつがあるの」
「なら、使ってみたいかな・・・」
「じゃあ、ちょっとそこに横になって目をつぶって」
「うん・・・」
「ほら、だんだんと眠くなってきたでしょ・・・?」
「確かに、なんか眠い・・・ 眠い・・・ よ・・・」
それから小夜が何をしたのかは、彼女しか知らない。しかし葵は次の日には、
それと同時に、彼女は狂気の淵に辿り着く。
歩を、彼を手に入れるためならば手段は問わない。そう、彼を私だけの人形にょうにしまえばいいのだ。自分が両親にされてきたように。自分の心を満たし、肉体的にも悦びを与える人形にすればいいのだ。
もはや正常な思考はできない。不安定な精神に、安定しすぎている新しい力。
もう、何が何だかわからない。求めるのは、歩のみ。それだけだ。彼女の心にはもうそれしかなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「そうえば、歩の家に料理を作りに行く約束ちゃんと守ったけ・・・? 行ってないような、行ったような・・・ でも、迷うぐらいなら行こう・・・ そう、行かなきゃ」
何かに駆り立てられるように、彼女は歩の家に向かう準備をする。
そして、食材を一通り買うと雨が降ってきた。葵は、食材だけは濡れないように、袋を抱えて彼の家に向かう。びしょ濡れになりながらも宝物でも抱えているかのように、食材を雨から守る。彼を求めて、彼女は進む。
しかし、一歩一歩進むたびに記憶が徐々にはっきりしてくる。
歩の声がリフレインする。
「―――――それはできないよ、葵。君は... 君は、自分で自分を救うべきだよ」
「―――――それはできないよ、葵。君は... 君は、自分で自分を救うべきだよ」
「―――――それはできないよ、葵。君は... 君は、自分で自分を救うべきだよ」
「―――――それはできないよ、葵。君は... 君は、自分で自分を救うべきだよ」
「―――――それはできないよ、葵。君は... 君は、自分で自分を救うべきだよ」
はっきりと覚えている。先程聞いたかのように覚えている。葵が歩の言葉を忘れる訳はない。
だが、脳がその言葉の理解を拒む。彼女はそれによって、さらに自分が乖離していくような感覚に陥っていく。心がさらに割れていく。割れて割れて、粉々になっていく。しかし、自分を焦がし、焼き尽くすような想いだけははっきりと心に刻まれている。
「歩・・・ 歩は、私を見捨てたりしない。彼だけが向き合ってくれた。彼だけが、ダメな、無価値で操り人形の私を認めてくれる。あれは夢。悪い夢だったの。そう、そうに違いない・・・ うふふふっふふフフフフッッフ」
歩の家に近づいていけば、行くほど心がそれを拒否する。しかし、行かねばならない。そんな気がする。行かなければならない気がするという謎の使命感を持って彼女は、自分の心を騙しながら歩いていく。
きっと、彼が温かく迎えてくれると信じて。
「―――――それで今日は何しに来たの?」
シャワーを借りた後、リビングに行くとそう尋ねられた。
彼女は気がついていた。自分は逃げているだけだと。
しかし、歩を求める気持ちは止まらない。
そして思わず、暴言のような形で想いをぶつけてしまう。
だが、彼女にとっては最高と言えるべき提案が歩の口から出てくるのだった。
「そうだよ、勝てば君は全てを手に入れられるんだ」
「本当!!!? やったぁ!!! それなら私頑張るね!!!」
歩がそう提案すると、葵は以前のように明るくなる。
彼に勝てば、勝ちさえすればすべたが手に入る。それに、それは彼が提案してきたのだ。彼もそれを望んでいる。私を試しているのだ。きっと、そうに違いない。
葵は認知システムが歪んでいるために、そう解釈してしまう。
彼の思惑とは全く違う方向に、自分の都合のいいように思い込んでしまう。
そして自宅に戻ると、歩の試合のデータを全て確認する。
「歩はワイヤー使いだけど、近接戦では
自分に言い聞かせるようにそういう葵。客観的に歩を分析するも、彼のようなタイプは何をしてくるか分からない。戦闘知能だけを見れば、校内でも屈指のクリエイター。だが、彼女は諦めない。いつもならばこのような辛い時はすぐに投げ出すのだが、彼女の想いがそうはさせないし、させてくれない。それは、すでに呪いと形容すべきものだった。
初めて自分の手で手に入れたいと思ったもの。ここでそれを逃したら、一生手に入らないかもしれない。恐怖心さえ、今の彼女には原動力となっていた。
そして、彼女は全身全霊をかけて、歩との試合に臨む。本当に欲しいものは何かということも分からずに、彼女は進む。先の見えない、先には地獄しか待っていないような未来を。誰かに操られているように。そして、導かれていくように。
それこそが自分の意志なのだと、信じて。
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