納得出来ない死【短編】

河野 る宇

◆納得出来ない死

 夏の昼下がり──二十代後半の男は、目の前の死体を冷ややかに見つめていた。


「……」


 無言で向ける視線に、さしたる感情は見て取れない。


 つい先ほどまで生きていたであろう死体の顔を見やり、苦々しい表情を浮かべた。同じ年齢だと思われる男の死体は酷く傷つけられ、赤黒い液体が周囲を彩っている。


 うだるような暑さに似つかわしくない冷たい瞳が、息をしていない男を見下ろす。

 太く短い黒髪をかきあげると、男の片眼は常に閉じられていて機能していない事が窺えた。


「──っくく」


 こんな男を追いかけて、こんな田舎町まで来てしまった自分に笑いが込み上げる。


 学生時代に出会い、このまま親友として付き合っていくのだろうと思っていた五年前、突然この男が牙をむいた。


 理由はわからない。


 駅のホームでこの男と電車を待っているとき、靴ヒモが解けている事に気がつきしゃがみ込んだ刹那──背中に軽い衝撃を受けて次に目を覚ますと病院のベッドだった。


 体中の痛みに苦しめられながら記憶をたぐり寄せると、落ちていく視界に男の笑みが張り付いていた。


 それから、そいつは姿をくらまし、いくら探しても見つからず途方に暮れていた。どうして自分を突き飛ばしたのか、どうして笑っていたのか──訊きたい事はいくらでもある。




 金と時間を費やし、五年を経過してようやく見つけたのは、都心よりもさらに北の田舎町だった。


「!? 斉藤!? どうしてここに……」


 驚愕の眼差しで見つめてくる視線に反吐が出そうになったが、なんとかこらえて声を絞り出す。


「ど……して俺を、突き飛ば……た」


 いやに聞き取りづらい低く、くぐもった問いかけに男は視線を外した。口の中で舌打ちした音を聞き逃さない。


「片眼と、声……奪っておいて、それは、ない」


 斉藤は口の端を吊り上げ、嘲笑気味にクックッと笑った。


 しばらく沈黙が続いたが、相手の男から答えは聞き出せそうになかった。


 いつも気に病む性格の自分とは違い、明るく誰にでも接していた彼に半ば憧れすら抱いていた事が今では恨めしい。


 たったいま自分に向けられている眼差しは、バカにしたものでしかなかった。


 事故の目撃者はおらず、証拠など見つけられるはずがない。だからただ、本人に訊いてみたかったのだ。


「こたえ、ろ。ど……して」


 それでも、男は答えない。


 苛立ちは増していき、拳が微かに震えてくる。




 そうして気がつけば、目の前に死体があった──手には血まみれのナイフ。当然のごとく自分が殺したんだと妙に納得した。


「あ……そう、だ」


 一つだけ、お前に感謝したい事がある。


 病弱だった体質は、生死を彷徨さまよった挙げ句にすっかり健康体へと変わっていた。しかし、片眼と声帯の損失を埋めるほどのものではない。


 落ちた視力を補うためにノンフレームのメガネをかけ、諦めた心は楽天的な性格を生み出した。


「ククッ」


 無邪気に笑うその目には、純粋ともとれる光りが宿る。


 本当は解っていたのだ、この男がどうして自分を突き飛ばしたのか──事故は、付き合っていた女をフッたしばらくあとの事だった。


 女はこいつに、俺のあること無いこと悪口を吹き込み、好意を寄せていたせいもあってすっかり信じ込んだのだ。


 どうして俺に聞いてくれなかった? そうすれば誤解は解けたのに。こいつが俺を突き飛ばしたあと、女もいなくなっていた。


 こいつは女を捜したようだが、見つからなかったらしい。


 俺は、初めから捜さなかった。あんな女を捜したところで、耳にするのはどうせ言い訳ばかりだからだ。


 しかし、許せないのはこいつだ。


 親友だと思っていたのに、にわかの女の言葉で俺を悪者に仕立て上げた。


 突き飛ばしたことさえ、後悔の念もまるでなく「自分の胸に訊け」と言わんばかりに睨み付けてきた。


 俺を突き飛ばした事に、後悔の念は無いだろう。しかし、一人の人間を殺そうとした後悔くらいは、こいつから感じたかった。


「ふ、ククク……」


 自然と笑いが突いて出る。


 そうだ、俺はこいつを殺した。本当は裁判で罰して欲しかったのに、殺してしまった。訴訟は証拠不十分で受理されず、それは執念を生んだ。


 殺せばそれでおしまい、こいつは楽になる。それがどうにも許せない。


 一生ついてまわる傷のある紙切れを持って、生き続けてほしかったというのに──!


「……」


 斉藤はしばらく考えて、パンツのバックポケットから小さなノートを取り出した。


 一緒に付いているボールペンで何かを記すと、そのページを破り死体に投げて蝉の合唱を聴き入る。


 山々に囲まれた自然豊かな土地に、自分はこんなにもそぐわない。木々の香りも土の香りも、いまの自分には嫌悪でしかなかった。


 否、嫌悪しているのではない。嫌悪されているのだ。


 事件など起きそうもない空間に、血なまぐさいものを残してすまないと口の中で発し、木々と空の境目にぼんやり視線を送ると一度、強く瞼を閉じて立ち去った。




 ──間もなく死体は発見され、テレビを賑わせる。


 残されたメモは大衆の興味をそそり、死んだ男の過去を暴いていった。どういった学生生活を送り、どういった会社勤めをし──書き立てられた文字が雑誌に躍る。


 そうしてすぐに斉藤と呼ばれる友人は指名手配となり、一ヶ月後に溺死体で発見された。


 崖下に落ちていた小さなノートには、たったひと言「納得のいく例じゃない」とだけ書かれていた。




『考えろ』



 死体に残されたメモに、あなたは何を見る──






END

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