第7話 炎の中


     ◆◆◆


 午後七時五分前、再び三階の催事場に足を運んだ。そこには既に両親の姿もあった。ビンゴ大会が始まる。それにしたって、なぜ七時開催なんだ。平日だからか?


 というのも、私のお腹が晩御飯を求めているからだった。家に帰るなりフードコートに入るなりして晩御飯を済ませたい。ビンゴ大会は何分ぐらいで終わるのだろうか……。今晩食べたいものだとか、明日の球技大会のことだとか、帰ったら何をしたいだとか、いろいろな思考を巡らせていた。


 「えー本日は平日のゴールデンタイムだというのにも関わらず、このように大勢のお客様にお越しいただき……」


 暫くして、司会らしき店員がマイクを通して前置きを喋り始めた。ようやく始まったか。


 「それでは、皆様のお手元にあるビンゴ用紙に、1~99までのお好きな数字を、それぞれのマスに数字が被らないように埋めてください!」


 ビンゴ用紙と呼ばれたソレは、7×7のマスがプリントされたB6用紙だった。これに被らぬように1~99の数字を埋めて、7×7をビンゴさせるというのは、至難の業だろう。長くなりそうだな……と内心項垂れながらも仕方なくマスに数字を埋めていった。実際、開始十五分で誰ひとりとしてビンゴした者がいない。私なんかはリーチすら出来ていない状態だ。正直、だんだん眠くなりつつあった。明日の球技大会のためにも、今日は早めに就寝したい……。


 「ふわぁ……」


 うっかり欠伸をしてしまう。と、その時だった。



 ゴォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ



 「「「「!?」」」」


 その場にいる人間全ての形相が変わった。なんと、壁際から大きな炎の波が押し寄せてくるのだ。誰もがこの状況を受け容れるには、少々時間がかかった。自然現象にしては急すぎるし、それなら最初に爆発しているはずだ。だが、爆発音がすればその時点で誰もが気付く。こんな現象、到底信じがたい事実だった。しかし――


 私だけは違った。


 超常現象だろうがなんだろうが信じられる。私の頭には一瞬にしてある三つの推測が立てられた。


 “紋章が関係している”

 “炎の力を持つ紋章――恐らく、赤の紋章”

 “その赤の紋章を持つ者が、近くにいる”


 ならば。


 言葉にするよりも速く、駆け出していた。


 ならば、私は――。


 他の人間たちが脱出のために非常口に向かう、その波を逆流して、赤の紋章を持つ者を捜しに駆け出した。


 ならば私は、この事件を解明できる唯一の人間だろう――!!


 事件に遭遇してしまった絶望でもなく、死ぬかもしれないという不安でもなく。今の私には、期待や好奇心といったものが渦巻いていた。見つける。同じ、紋章を持つ者として。必ず。そのために、危険に身を晒した。


 もし、このショッピングモールを制圧するとしたら、どこに隠れるだろうか。炎の波が襲ってきた方向から計算し、犯人がどこにいるか予想した。

大きな炎の波――このショッピングモールを全焼させるためのもの。

全焼するためには――時間と手間がかかる。きっとその内に、消防団が駆けつける。


 消防団が水を撒く――炎が消えてしまう。全焼出来なくなる。


 必ず全焼させるには――炎を操れる場所に隠れる必要がある。

 全焼した後は――逃げる必要がある――どこかに退路を確保している。

 退路を確保するなら――地上一階の、……裏口?


 ――いや、違うな。私だったら、自分の力を最大限に利用する。燃えているとみせかけ、実は空洞になっていて、その道をつたって逃げる。逃げ延びた一般市民に紛れるという可能性も考えたが、それではリスクが高すぎる。この炎では、きっと死者のほうが多く出るだろう。まさか炎を操る側の人間が火傷を負っていることもないだろうし、なぜ負傷していないかと問われればそれまでだろう。


 死者のほうが、多く――――。ふと、さっきまで一緒にビンゴ大会に励んでいた両親のことを思い出した。


 「…………」


 普通の家庭。普通に幸せな家族。普通に血の繋がった親子。――普通に、涙が出た。


 でも、もう振り返ってはいけない。もう駆け出してしまったのだから。もう私は、普通の人間じゃないのだから―――。今日まで、何不自由なく平凡に暮らしてきたのだ。それなのに、どうして?などと、私は聞いたりしない。些細なことに過ぎないのだから。世の中には、両親のいない子供だって大勢いるのだから。


 今まで普通の幸せをありがとう。――お母さん、お父さん。私は、もう普通の人間ではないのです。紋章という力を手にし、この世界を根本から変革しようと企んでいる、テロリストとなる人間なのです。


 自分の夢を叶えること。何も間違ってなんか、いませんよね?



 むせ返るような臭いと熱気。床に転がる死体から発せられる強烈な焦げ臭さ。こんな光景を目の当たりにするのは、これが初めて。映画やドラマのワンシーンにあるようなものとは全く別物だった。焼け焦げて、原型も留めていない服、剥がれ落ちた黒い皮膚、ちぢれた髪の毛、そして、見るに耐えない顔の……。視界に入れるだけでも、嘔吐してしまいそうな感覚に陥る。


 これが――――死?


 鼓動がバクバクと音を響かせる。間違えて空気を吸わぬように、鼻と口を押さえている手の中に少しだけ空間をつくって呼吸を整える。散々走ったが、未だ生きている人間に出くわすことが出来ていない。生存者はいるのだろうか?私だけなのだろうか?そんな疑問が、だんだんと不安へ変わっていく。けれど、ここで挫けてしまったら私もあの焼死体と化してしまうだろう。諦めてはだめだ、冷静な判断を怠るな。何人死んだのか、私にはわからない。


 いくつもの屍を越え、赤の紋章を持つ者の退路だと思われる場所へ到達した。予想通り、そこには空洞があると思しき炎のカーテンがあり、私は覚悟を決めてそこに飛び込んだ。空洞に身を投じることに成功した私の瞳に映ったのは――


 フードを深く被った人間だった。体格的にも、男性だろう。身長は、私と大して変わらない。もしかしたら、年齢も近いのかもしれない。フード付きのパーカーに、ハーフパンツとスニーカーといった、どこにでもいそうなルックスの彼に外傷は見当たらなかった。そしてこんな状況下で平常心を保っていることから、彼が犯人だということは容易に窺えた。


 “あなたも紋章を持っているの?”


 そう聞きたくて、口を動かそうとしたが……口を塞いでいる手を離すことができず、その場に立ち竦んだ。このままでは……何も聞くことができずに終わってしまう。殺されてしまうかもしれない。だから私は、口を使わずに相手に考えを伝えようとして、自分の右鎖骨下部分を指差した。


 「……!」


 彼はこの合図の意味を察してくれたようで、彼もまた、自分の右鎖骨下を指差した。恐らく、これで殺される心配はないだろう……。そう安堵している間に、彼の姿は消えていた。また、会えるだろうか。何故だか、犯罪者に対してそんな希望を抱いていた。きっとそれは、紋章同士の共鳴の一つなのかもしれない。彼は何の為にこのショッピングモールを全焼させ、私を生かしておいたのだろうか。紋章に関する謎はたくさんある。無事に帰ったらまずそれを一番に調べよう。


 「雨、宮……!?」


 この声……!!


 一瞬自分の耳を疑ったが、その顔を認識するや、すぐこの先の予想図を思い浮かべる。私が犯人だと思われた。――捕まる。これしかないだろう。“ソイツ”に腕を掴まれる前に、雷撃で気絶させて――――――!!!???


 その一瞬に、火の海が消滅した。プシュゥゥゥ…というなんとも頼りない音と共に。それと同時に私はソイツを気絶させることに成功したが、今のは一体――?


 まるで、使った後すぐのフライパンを水に浸したときのような――――水?


 もしかしたら――


 そう思い誰かが来る前にソイツのジャージのファスナーを下ろして中のシャツをグイッと引っ張った。


 「やっぱり……!」


 予想通り、ソイツの右鎖骨下には、青い紋章が刻まれていた。


 「まさか、こうも早く二人も見つけるなんてね……。どうやら、偶然ではなさそうね」


 一人、薄ら笑いを浮かべる。


 その後、ソイツ――東雲蓮の友人と思しき人物がやってきて、東雲を病院に搬送することになった。


     ◆◆◆


 紋章――それは、強い願いから生み出される能力の印。


 紋章を授かった者は、能力の代償として今後新しい命を産む、又は産ませることが出来ない。右鎖骨下に刻まれる紋章は、同じ「紋章を持つ者」同士でしか判別することが出来ない。七つ全ての紋章共通の能力として、人間離れした身体能力を得ることが出来る。願いを成し遂げることが今後一切出来ない見込みになると紋章を剥奪され、死亡する。


 紋章離脱式――もしも、紋章の能力を不必要であると感じた場合はこれを使えばよい。これは、「普通に暮らしたい」という願いが七人一致して条件を満たすと発動される。


     ◆◆◆


 掲示板の都市伝説スレで見つけたもの故に真偽は定かではないが、今自分が置かれている状況に一番一致するものはこれしかなかった。そして恐らく、あの全焼事件の犯人がやろうとしていることって――



第1章 全焼事件 完

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