妖怪談義

ハコ

狸の話ーマユツバー

 上州、茂林寺もりんじに狸あり。守霍しゅかくといへる僧と化して寺に居る事七代、守霍つねに茶をたしなみて茶をわかせば、たぎる事六、七日にしてやまず。

 人その釜を名づけて分福ぶんぶくと云。けだし文武火ぶんぶかのあやまり也。文火とは縵火ぬるきひ也。武火とは活火あつきひ也。

 ――鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』――


 上州(現在の群馬県)にある茂林寺という寺を舞台にした伝説。

 室町時代の事。この寺に守霍しゅかくという名の立派な僧が仕えていた。人々は知らないが、彼は住職が七代も変わる間老いる事も無く勤め続けていた。彼は皆に好かれていたので、僧達も近隣住民達もあえて身の上を探ろうとはしなかった。

 守霍は不思議な人物だったが、彼が愛用している茶釜もまた不思議だった。いくら汲んでもお湯が尽きない不思議な釜で、何かの集まりがあるときはこの釜でおいしいお茶を振舞っていたという。

 ある時、守霍が昼寝をしている様子を寺の僧達が何気なく覗いた。するとなんと、彼の股からは太いしっぽが生えていたのである。

驚いた僧達がその事を問いただすと、守鶴は驚くべき事を告げた。守鶴の正体は狸……それも数千年を生きた古狸であり、かつて天竺で釈迦の説法を直に受けた経験もある古狸だったのだ。

 彼は釈迦の入滅後長い旅をし、その果てに日本へ渡ってきたのだという。あの不思議な茶釜も狸の術によるものだったのだ。

 人々は大変驚いたが、同時に納得した。数々の不思議な出来事、狸で無ければ却って筋が通らぬではないか。

 正体を知られてしまった守鶴は寺を去ることを決意し、皆に告げる。寺の者は狸と知ってなお守鶴を尊敬していたので引き止めたが、彼の決意は固かった。

 最後の別れの日。守鶴は見送る人々に幻術をかけた。自身が見た源平合戦や釈迦の入滅といった伝説的光景を再現し、たっぷりと見せてから去ったという。

 また、この伝説は童話『分福茶釜』の元になった話としても知られている。



 ――1961年(昭和三十六年)12月7日。日本銀行秋田支店にて、一枚の偽千円札が発見された。

 これを皮切りに日本全国から合計343枚もの偽札が発見され、警察はこれを『チ-37号事件』と命名(チは「千円」の隠語であり、日本で三十七番目の千円札偽造事件である事からこう命名された)。『チ-37号』と称された偽札犯が作った偽造千円札は大変精巧で、専門の鑑定人ですら見誤る事があったという。

 1963年には静岡県にて製造犯本人と思われる男が目撃され、モンタージュ写真も作成されたが検挙には至らなかった。

 同年11月1日、日本政府は偽札騒動による通貨の信頼低下を回復させるため、肖像画を聖徳太子から伊藤博文へと変えた新千円札を発行した。国家が、おそらく単独と思われる偽札犯に翻弄されてしまったのである。

 そして同年11月4日に偽札が発見されたのを最後に、事件は終息に向かう。

 1973年(昭和四十八年)年11月には時効が成立。『チ-37号』は最後まで捕まらず事件は迷宮入りとなった。

 『チ-37号』が制作した偽札は「偽札史上最高のいわば芸術品」とまでいわれている。



 某年某月、某県での事。一人の男が通貨偽造容疑で逮捕された。

 男の作った偽札は精巧ではあったが、数年前まで世間を騒がせていた『チ-37号』偽札に比較すれば凡庸な出来だといえた。

 だが、男が所有していた紙幣の中にたった一枚ながら旧千円札が混ざっており、それが『チ-37号』偽札と同じナンバーであった事が新たな疑惑を呼んだのである。

 この日、その事を知らされて警視庁から赴いてきた大田刑事は、件の偽札製造犯・鹿島徹平の取調べにあたっていた。


 お世辞にも広いとはいえない取調室。その用途のため、取調室には窓さえない。電灯はついているはずなのに、大田はこの部屋にどこか薄暗く陰気な印象をは覚えた。 あるいは、容疑者・鹿島の陰気な笑みがそう感じさせたのかもしれない。鹿島は椅子にどかっと腰かけ、ニヤニヤと大岩を見上げていた。

 机を挟んだ向かいの椅子に座ると、意外なことに鹿島の方から大田に話しかけてきた。


「へえ、今日は取り調べする刑事さんが違うんですな」

「ええ。警視庁からやってまいりました、大田と申します。今日は私が取り調べに当たりますよ」

「ほお、警視庁から? いやはやこんな田舎のケチな偽札犯に、東京の刑事さんが何のご用でしょうかな」

 おどけたような口調で、鹿島は大田をジロジロと見つめる。彼の腹のうちを伺っているのだろうか。

「……今日は、アナタの捕まった案件について聞きたいわけではありません。そちらは県警にお任せします」

 大田が懐から封筒を取り出し、更にそこから中身を取り出す。それは、透明なビニール袋に包まれた紙幣だった。

「この旧千円札についてお聞きしたいのです」

 大田が差し出したのは、聖徳太子が描かれた、数年前まで使われていた旧千円札だ。

「アナタの贋作工房にたった一枚だけあった旧千円札。これについて、です」

「……うん? 旧札? おかしな事を聞きますな、刑事さん。そんな物、別に誰が持ってても珍しい品でもありませんでしょう?」

 鹿島が当然というように切り返す。たしかに、数年前に刷新されたとはいえかつて日本中に出回っていたお札だ。記念品やコレクションとして、交換せずに保管している人間も何百万人といるだろう。そしてそれは当然なんら犯罪でもない。

「ただの旧札なら、ね」

「だが、これは偽札だ。しかもナンバーからして間違いなくあの『チ-37号』の作った偽札。それを偽札犯のアナタが持っていたとなれば、何らかの疑惑を抱かない方がおかしい」

「……ほお、たしかに一理ありますな。いや、たしかに怪しい」

 感嘆のような声をあげ、それと同時に鹿島は右手を差し出す。タバコをくれ、という合図だ。大田は自分のタバコを取り出し、火をつけて渡す。

 それを杯でも受取るように手にした南条が、くわえる前にこう切り出した。

「……で、刑事さん、アナタはどう思うんです? 私が『チ-37号』だと思っているんですか?」

 鹿島の口調は相変わらずだが、目付きが若干変わったように思えた。

「いや、全く思いませんな。もっとも、県警や警視庁はそれも疑っているようですが……」

 大田も自分のタバコに火をつけながら、あっけらかんと言い返す。

「まことに失礼だが、『チ-37号』に比べればアナタの技術ははるかに稚拙だ。〝芸術品〟と呼ぶ輩までいる偽札犯の作品だとは、とても私には思えない」

「……ヘヘヘ。言ってくれますなあ、刑事さん。――だがおっしゃる通りだ。俺は『チ-37号』なんかじゃねえ。あんなワザ、俺にはとても再現できませんや」

 鹿島はもらったタバコをようやく口にし、ふかすかのように大きく吐き出した。

「なら、何故それを持っていた? お守りか、偽札作りの参考書のつもりで持っていたのか? それとも偶然手元に混ざっただけなのか?」

「違うね」

「なら――」

「へへ、刑事さんも本当は察してるから俺の所に来たんでしょう? お察しの通り俺と『チ-37号』は一緒に仕事をしてたんですわ」

 驚くほどあっさりと、鹿島は大田の疑念の核心をつき、そして認めたのである。


 ――やはりこの南条という男、『チ-37号』と繋がっていたようだ。ここまでは読みどおり。もしかしたら、時効間際の大偽札事件の重大な手がかりを掴めるかもしれない……!

「……いつ、どこで知り合ったのか、今はどこにいるのか、なんでもいい。『チ-37号』に関わる話なら、聞かせてくれないか。有用な情報をくれたなら、場合によっては貴方の罪状を軽減するよう上に掛け合ってもいい」

「へへへ、刑事さんも大層なハッタリ師だね。……まあいいや、ここの田舎刑事よりはよほど話し甲斐がありそうだ。どうせ信じないとは思うがね」

 灰だらけになったタバコを灰皿にねじ込むと、鹿島は口を開いた。

「一緒に仕事、といっても俺は子分みたいなモンだ。ロクに偽札作りにも参加していなかったよ」


 もう何年前になるか、いつ頃だったかねえ……。ゴロツキだった俺は、大金を渡されてその男に雇われたんだ。曰く

「自分は身を隠しながら生活しなければならない。なので代わりに洗浄をやってほしい」

 渡した金の半分使って良いから、そのオツリ……つまり綺麗な金を渡してくれ、と。そいつが俺に渡してきたのが偽札で、それを綺麗な金に換えてくるのが俺の仕事ってわけだ。

つまりまあ、マネーロンダリングってやつかねぇ、ヘヘヘ……。

 実際に外に出て使うんだから、捕まるリスクは俺にあるじゃねえかと思うだろ? だが実際に札束をいくつも渡されると、そのリスクなんてショッボイものに思えたぜ。一番手間と金のかかる偽札作りの工程が省けて、オマケに偽札は、俺が「偽札と知って」見てもほとんど区別がつかないんだからな。


 ソイツは時たまふらりとやってきては、俺に札束をいくつも渡して来るんだ。その時に洗った〝綺麗な金〟も渡す。まあしょっちゅうピンハネしてたんだがね。気付いてたんだか気付いてないんだかわからないが、それを咎めてきた事は無かったな。

 ああ、そうだ。ソイツと付き合い始めて一年目に「お前は何の為に金を使ってるんだ?」と俺は尋ねたんだ。ソイツは金をごっそり持って帰るくせに、いつ見てもボロを着てたからな。

するとソイツ、なんと言ったと思う ?笑っちまうぞ?「ナントカって寺に寄付してる」んだとよ。どうせ嘘だと思うが、真顔で言うから驚いたぜ。……寺の名前? 覚えてねえなあそんなの。


 ソイツ――『チ‐37号』は相変わらず二、三ヶ月に一度俺の所にやってきた。アタッシュケースの中いっぱいに偽千円札を詰め込んでな。その時に俺は、前の時に受取った額半分の「本物の千円札」を渡す。

 なぜ千円札なのか? ……聞いた事があるが、はっきりとは答えなかったぜ。まあ何かこだわりでもあったんだろうよ。

 とにかく、俺は待ってるだけで金が転がり込むようになったんだ。悪い暮らしはしていなかった。最初はそれでも慎ましく暮らしてたんだが……まあ、慣れってのは恐ろしいな。

気が付けばだんだんと金遣いも荒くなっていった。女を囲ったり、車を買ったり、博打に手を出したり……今思えばそれがケチのつきはじめだったんだろうな。

 うまくやってたつもりだったが、使い込む量が徐々に増えて、段々とアイツに返す額が少なくなり始めた。明らかに減っているのに怒るどころか何も言ってきはしなかったがね……。

 だが、俺の金遣いは荒くなるばかりだった。

いつだったか、とうとうアイツに渡すはずだった金を全部使い切っちまった事がある。一枚も無いとなったら『チ‐37号』も怒るかと思ったが、アイツはケロっとした顔をしながら「次は気をつけてくださいね」と言うだけだった。

 あんまり安穏というモンだから逆に気味悪く感じたもんだ。アイツはあれだけ精巧な偽札を作っているくせに、まるで金に少しも関心がないようだった。


 さて、世間じゃあ流石に出回る偽札が話題になり始めてた頃だったかな。俺の所にやってきた『チ‐37号』はこう言ってきやがった。

「今回が最後です」

 どういう事だ? と尋ねると、偽札作りは今回で終わりだっていう。足がつきそうなのか? と尋ねるとそれは違うという。

 じゃあ一体なぜ、こんな美味しい商売をやめるのか?

「必要な金額が貯まったからだ」――とアイツはニコニコしながら言いやがった。

 今回持ってきたお金は御礼だから、全部使ってくれて構わない、自分はもう取りに来ない、そのかわり誰にもこの事は話さないでくれ……と。

 ――冗談じゃねえ! 俺にはまだまだ金が必要なんだ。今思えば図々しい言種だがね、あの時は欲ボケしてましたからなァ。

 〝金のなる木〟だったあの男がもう止めるというのが理解できなかった。……もっと正直にいえば、ムカっ腹が立っていた。同時に、俺の頭ン中には、ある考えが浮かび始めていた。アイツは何度もお礼を言って、俺の家を後にした。


 俺は、その後をつける事にしたんだ。――アイツのアジトを探るために、な。

……つけていってどうするか? アイツをぶっ殺して、アジトや機材を奪って、自分で偽札を作ろうと思っていたのさ。いやはや、あの時は頭に血が上っていたからねえ……怖い怖い。

 今まで気にした事もなかったが、アイツのアジトはそう遠くない場所にあるようだった。

徒歩で来てたからな。結果的にはこっちとしても好都合だった。アイツはというと、浮き足立ってステップでも踏んでるみたいな、喜びが体に出てるような様子だったぜ。そーいった事にかけちゃ素人の俺が後をつけてても、全く気がつかないようだったからな。

 だが奇妙な事に、アイツはどんどん山道に入り始めた。舗装こそされてるが荒れ放題の山道だ。

 ……もしかしたら俺の尾行を察して撒くつもりなのか、人里から離れた場所で返り討ちにでもするつもりなのか。さすがに訝しんだが、もういまさら後にも引けねえ。腹をきめて後をつけ続けた。

 するとアイツは、山道の外れにあるボロっちい古寺に入っていったんだ。□□寺とか書かれていたな。

 妙な場所をアジトにするモンだ、何十年……ヘタしたら百年は手入れされていないような古寺にアイツはいたんだからな。扉さえぶっ壊れていて中がよく見えたが、とても人が住んでるようには思えなかった。カムフラージュなんだとしたら、大したモンだ。

 ……俺は境内に転がっていた硬い棒切れを拾って、寺の中に入っていった。中はほこりっぽかったが、おかげで足跡もビッチリついていて、アイツがどこへ向かったかはすぐに分かったぜ。一番奥の庫裏くりに足跡はまっすぐ向かっていた。

 あそこが『チ‐37号』のアジト――芸術品とまで呼ばれる偽札が生まれる部屋――。さすがに胸が高鳴ったね、あの時は……いや、殺人を前にした胸の高鳴りだったのかも知れないが……。

 とにかく、俺は庫裏のボロボロの扉を押し開けたんだ。

 すると、誰もいやしねえ! 薄暗くて見落としてるのかも知れぬと、ライターで部屋を照らしてみたんだ。……やっぱり誰もいやしなかった。足跡はたしかに此処へ続いてるのに、だ。オマケに、凸版印刷機やら大掛かりな製作装置があると思っていた部屋はガランドウだ。あるのは朽ち果てた生活道具や、山のように落ちてる木の葉だけだ。一体全体、どうなってやがるんだ?

 ――いや待て、待てよ? 明らかにおかしいだろ? 何故、古寺の奥に葉っぱなんか落ちてるんだ……? それも、まるで昨日今日もいできたような新しい葉っぱが、ごっそりと――




「――へっへっへ、話はこれでおしまいでさァ」

 二本目のタバコを灰皿にねじ込むと、鹿島はニタニタとした笑みを浮かべた。大田がきょとんとした表情で、鹿島の顔を見やる。

「今言ったとおりでおしまい、という意味ですよ。結局俺は『チ‐37号』を殺していませんし、それ以降会ってすらいません。寺に入ったのはやっぱりカムフラージュで、完全に撒かれたのかも知れませんなァ」

「……」

「一年もすると『チ‐37号』にたんまり貰った金もとうとう底がつきまして、だが相変わらず金遣いの方は直りませんからな。仕方なしに自分で偽札を作って暮らしてたら、この通りバレてしまってあっという間にお縄です。ケケケ、所詮俺は二流の腕しか持っていないんですな」

 鹿島は目を閉じ両手をあげ、おてあげのジェスチャーを見せておどけて見せた。

「はっはっは……そう、ですか。こいつは参りました。……一応お聞きしますが、では何故貴方があの旧千円札を?」

「思い出ですよ、思い出。私の所にやってきた奇妙な〝福の神〟のね。何が目的だったかも、今となっちゃ分かりやしません、ククククク――」

 鹿島の人を小馬鹿にしたような笑い声が取調室にくぐもって響いた。



「――いつもあんな調子で県警の刑事にいい加減な供述をしてるんです、あの男は。気が短い人ならぶん殴っちまうところですよ、最後には。私が担当した時は、空から偽札が降ってきたなんて言っていましたよ」

 パトカーのハンドルを握りながら、ネクタイ姿の若い刑事が告げた。助手席に乗った大田はパンをかじりながら相槌を打つ。

「なるほどねえ……虚言癖でもあるんでしょうか」

「逮捕時の尿検査だと微量ながら薬物反応が出てますね。はっきりとはしてませんが、コレかも知れません」

「コレ?」

 訝しむ大田に、男は自分の頭を指差し、指先をクルクルと回転させて見せた。大田はニヤリと笑い「なるほど、よーく分かりました」

と告げる。

「そういうわけで、鹿島の証言にはあまり信憑性があるとも思えません。わざわざ足を運んでもおそらく無駄だと思いますよ?」

「ハッハッハ……東京からわざわざ出てきたんです。ヤク中の話だけ聞いてそのまま帰るのもシャクですからな」

 大田刑事を乗せたパトカーは、鹿島が証言した場所……古寺へと向かっていた。鹿島が述べた寺の名前は、たしかに同県内に今も存在していたのである。

 山道の外れにパトカーを止め、大岩と県警の刑事は脇道の石段を登った。

鹿島の話どおり、道はかなり古びた様子であった……が

「おやっ?」

 石段の先にあったのはたしかに寺だった。ただし鹿島が話していたような朽ち果てた古寺ではない。かなり最近建てられたような真新しい寺院だった。

「ああー、やっぱり担がれてたみたいですよ大田さん。古寺どころか、かなり新しいお寺じゃないですか……」

「いやいやっ、でも見てください? 敷石なんかは相当古びてます。こりゃー見た感じ、寺は建て替えられた感じですよ」

「……建て替え、ですか? でもこんな田舎の古寺なんて檀家もいないから金も無いでしょうし」

「まあ新しいお寺なら、和尚さんなり管理人さんなりいるはずでしょう。ちょっとお尋ねしてみますかね」

 大田が指差した先には、寺院の人の居住スペースらしき一角があった。



「――寄付があったんですよ、かなりの額の」

 寺の敷地内にある管理人室。背の低い小柄な管理人がお茶を注ぎながら、二人に告げた。

「寄付、ですか?」

「左様です。匿名でかなりの額が、地元の宗門徒の組合にありまして。なんでもこの寺を名指しで、修復費用に充てて欲しいと。ここの前住職さんが亡くなったのが戦後すぐの混乱の中で、おまけに借金があったらしいですからね。引き取り手もつかないまま事実上放置で荒れ放題、最近は覚えている人さえ少なくなっていたところに大金の寄付ですから、本当に驚きました」

「だれの寄付なのか、まったく検討はつかないんですか?」

「我々もこの寺に縁のある人に尋ねまわったりしたのですが、まあ皆目分かりませんでした。巷で流行っている偽札イタズラかとも思って警察や銀行にも行ったのですがこれも違うようです。警察とも相談しましたが、最終的には寄付された方のご意志を尊重して、寺院再興に使わせていただく運びとなったわけです」

「……なるほど、なるほど。話はよーく分かりました」


 話を聞かせてもらった管理人に礼を言うと、大田達は再び境内へと出て行った。建て直された真新しい寺院をながめながら、煙草に火をつける。

「十億円以上も寄付なんて、変わった事をする人がいるモンですな。……しかし、ますますワケが分からなくなってしまいました。こりゃあ、迷宮入りだなァ」

 同じく煙草に火をつけていた若い刑事が、バツが悪そうにこう述べる。

「偽札、お寺、葉っぱ……東京の刑事さんを前に恥ずかしい話ですが、さっきから馬鹿馬鹿しい考えばかりどうにも頭によぎります」

「イヤ奇遇ですなぁ。多分、私も全くもって同じ事を考えている気がします。ワハハ……」

 大田が苦笑しながらライターを内ポケットにねじ込む。強引に押し込むと、ガサガサと何かとこすれるような音が胸元から響く。

「おっと、証拠品もこっちに入れたままだった。いかんいかん……シワでも付けたら大目玉だ」

 胸元から茶封筒を取り出し、ビニールに包まれた中身を引っ張り出す。

「……!」

「……!」

 二人の刑事は、寺の境内に突っ立ったまま目を丸くして呆然とした。

 口元からこぼれた煙草が、もうもうと細い煙を踊らせていた。

 そこにあるのは、つい先まで間違いなく偽の千円札であったのに。

 今、大田刑事の手にあるそれは、間違いようもなく一枚の青々しい葉っぱだったのである。

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