クローンに溺れる~無限執事とお嬢様~

腹筋崩壊参謀

前編

 おはようございます、お譲様。

 おはようございます、お譲様。

 おはようございます、お譲様。

 

 耳元に何度も何度も響く声に、次第に呼ばれた主の意識が戻り始めた。夢の中で見た景色は薄れ、現実へと脳内は移り変わっていった。ただ、僅かながら覚えている夢の内容は、周りに広がる様子とあまり変わらないものであった――一人の少女の周りを何重にも囲む『執事』が従っている、と言う内容の。


 『お譲様』の朝の挨拶は、いつもこの一言から始まる。彼女のベッドを取り囲み、執事たちが笑顔で目覚めを祝福する。そしてその後ろにも、壁を覆うように部屋には『執事』が敷き詰められ、皆で声を合わせて彼女に朝の挨拶をする――毎日繰り返される光景である。

 大きな窓から見える空はいつも灰色、昨日よりも大地は黒さを増している。お譲様は毎日いつもその光景を見ながら、寝巻き姿で朝食へと向かうのだ。


 ストレートパーマをかけた漆黒のセミロング。左右均等、歯並びも整っている完璧な美貌に、前髪を向かって左側に流している。服装は上下とも髪の色と同じ黒の燕尾服。その下には灰色のベストと白シャツ。黒のリボンが蝶結びに、首の部分を飾っている――これが、『執事』と呼ばれる者たちに共通する外見である。

どの執事も、どの執事も、どの執事も、全員がこれで統一されているのだ。そして姿が同じなら、声も記憶も全て同じ。目線も、頭を下げる角度も、そしてお譲様に今日も従う事ができる嬉しさもまた同様だ。


 朝食へ向かう彼女へ向け、廊下にずらりと並んだ彼らは、皆口々に朝の挨拶を告げた。どの廊下もどの階段も、ずっと同じ景色であった。しかし、『お嬢様』にとってはそれが当たり前の景色であり、日常でもあった。軽く挨拶を返せば、彼らは満足してくれるし、自分もそれで安心する事は既に承知しているのだ。


 朝食を食べる大きな広間には、既に何千何万もの食器が延々と並べられていた。屋敷は洋風だが、皿に載る料理は栄養バランスを考慮した一汁三菜、和洋折衷のものとしている。当然、その献立を考え、そして調理場でを作るのも『執事』だ。

 料理の準備が終わった部屋は、一つの椅子を除いて黒い影に敷き詰められている。その場所へ二人の執事が案内し、お嬢様が椅子に着席した後に皆で揃って朝の食事を始める――これもまた、毎日延々と繰り返される光景なのである。


 いただきます。

 いただきます。

 いただきます。


 その一言を合図に、大きな部屋は一気に音で満たされた。全く同じ響きの中に、『お嬢様』の高く可愛い声が忍びこむ格好だ。

 食事の最中も、たくさんの執事たちはお譲様に話しかけた。そうすれば、無闇に暴食をする事を防ぐ事ができるからだ。彼らの食べるご飯は、お譲様のものと同一である。始まりの頃はお譲様のものを豪華にしていたのだが、彼女自身がそれを嫌っている事を明言したために現在は皆平等な献立としているのである。無駄な気遣いは要らないという『お嬢様』の姿勢は『執事』たちもにとってもありがたいものかもしれない。


 ごちそうさまでした。

 ごちそうさまでした。

 ごちそうさまでした。

 ごちそうさまでした。


 今日の朝食が終わった後、たくさんの執事に見送られながら再びお譲様は廊下を進んだ。廊下には相変わらず笑顔を向ける黒い壁が並び続けて、そこから垣間見える外の吹き抜けからも何千人もの執事が彼女を見送っている。この屋敷に入らないほどに同じ姿形をした執事が溢れかえっている状況だが、別に今から始まった事でも無く、お譲様はその状況を嫌がってはいなかった。無尽蔵にあちこちにいたとしても、彼女のプライベートの空間である洗面所や着替え場などには一切触れていない事も一因であろう。

 『執事』たるもの、お譲様の嫌がる事は絶対に行わないのである。


 着替え部屋で身だしなみを整え、今日の服装に着替えた彼女を、執事たちは次々に褒め称えた。今日の予定に従い、お嬢様は運動に適した服装に仕上がっているが、まだ外に出る時間には早いようだ。暇つぶしに、彼女は近くで待機していた何十名かの執事を伴い、廊下を伝った別の棟にある書庫へと向かう事にした。茶色の髪をなびかせ、まるで少年を思わせる衣装にはミスマッチな目的地であった。


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 正直な所、『お嬢様』自身もこの暮らしがいつ頃から始まったのか、あまり覚えていなかった。日々を過ごしている間に、そのような事を考える必要が無くなったからかもしれない。ただ一つだけはっきりと覚えているのは、最初にこの屋敷に来た時に彼女を迎えてくれたのは数十名の『執事』であり、その身なりは現在と全く同じであるというものである。あの時から、ずっと彼らの関係は続いていたのである。朝起きてから夜眠るまで、ずっとお譲様の事をたくさんの執事が守り続けると言う関係が。


 最初の頃は、『執事』の数は数十名程度であった。しかし日がたつにつれ、その数は増え続けた。全員とも姿も声もその美貌も全く同じ、そして服装に関してはシワの形すら次第に同一になり始めていた。「大量生産」という言葉が、最初その事に気付いたお譲様の脳裏に浮かんだ。きっと彼らは同じ規格の執事なのだろう、と漠然と思い始めていたのだ。

 だが、嫌悪感は全くと言っていいほど起きなかった。むしろ、彼らが「同じ」であると言う事が彼女にとって幸福と感じていたのだ。廊下や壁に執事たちを配置し始めたり、ご飯を共にしたり、彼女は『執事』からなるべく目線を離さないような努力を重ねるようになった。


 そんな中で、突然執事の数が元の数十名に戻ってしまうという出来事が何度も起きた。バスと名乗っているが、むしろトラックに近い形をした自動車に乗った執事の一団は、彼女に最後の別れの挨拶を告げ、そのまま去っていった。

 お世話になった『お嬢様』への感謝の言葉と、離ればなれになることを惜しむ言葉――別の「奉公先」へと向かう彼らが告げた言葉に対して彼女はずっと気高い態度をとりつづけていたが、内心は非常に悲しかった。ずっと見守っていた存在が遠くへ行ってしまうと言う事は、やはり耐えがたいものがあったのかもしれない。


 だが、その別れは次第に訪れなくなった。別れの自動車がやって来る頻度は次第に減り、やがて訪れなくなった。その事に気が付くのには時間がかかってしまったが、お譲様は心の中でとても喜んだ。そして、執事の数はさらに増え続けていた。昔のように高頻度に自動車が訪れていた頃、その数に対応するように執事の数も増え続けていた。生産量をさらに多くし、新たな『執事』を効率的に生み出せるようにしていたと言う。

 そして、あの妙な自動車が来なくなって以降も、その仕組みは維持され続けた。より大量に、より短時間に『執事』が生産できるように。


 そんな様子を見ていると、お譲様は時々自分が彼らを管理する存在であるように感じた。今の立場自体も執事を管理し、様々な命令を与えるものであるのは間違いないが、それ以上に自分自身が、まるで『商品』に異常がないか観察する任務を与えられたかのように錯覚してしまうのだ。

 だが、それは間違いだと彼女は考えていた。商品というのは単なる物体、愛情を注いでもそれが返ってくる事は無い。しかし、自分の周りにいる存在は、自らが愛情を注ぎ、多くの事を聞けば、それに応じたお返しをしっかりとしてくれる。そんな彼らを「モノ」扱いするなど、愚の骨頂だ、と。

 

~~~~~~~~~~~~~


 様々な事に思いを馳せるうち、偶然手に取った本の中から、お嬢様はある奇妙な写真を見つけた。そこに映されていた男性と自分の周りを囲む執事たちを見比べて、彼女は両者が非常に似ているという事に気がついたのだ。

 写真の上に大きく書かれているその文字がその男性の名前を表している事、そしてこの男性は「アイドル」と言う職業に就いていると言う事を、近くにいた幾人かの執事――写真に写る男性と全く同じ姿形をした男たちが教えてくれた。しかし何故そっくりなのかという事については、彼女自身が尋ねなかった事もあり、執事は明確な答えを示さなかった。


 まるで何かをぼかしているような言葉遣いであったが、『お嬢様』は別段気にしていなかった。この写真に写る男がとても下劣に見えたからである。何せ、この写真に写っている男性は、胸元を開いたり上半身を裸にしたり、やたら性的で破廉恥なアピールをしてばかり。『お嬢様』は、このような露骨な行為を嫌っていたのだ。


 でも、もしかしたら自分たちの周りにいる『執事』はこの破廉恥な男性と深い関係にあるのかもしれない――そのような邪な考えに『お嬢様』が囚われてしまうとき、周りに居る執事たちはすかさず声をかけて、煩悩や苦悩と言う言う牢屋から彼女を解き放ってくれた。 書庫の扉を開いて次々にやって来た新たな執事の用件は、「散策」の準備が整ったという知らせであった。この広大な屋敷の中には、多数の山がそびえ立っており、その中にはまだお譲様が登頂していないものもいくつか含まれる。いくら執事が様々な世話をしてくれるとはいえ、彼女自身も体を動かしたがる年頃なのだ。


 書庫の中に自分を見送る執事たちの声が山彦のように何重にも響くのを聞きながら、彼女は一旦部屋へと戻った……。

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