IF2 死にたくない(理沙)



 俺はやっぱり死にたくない。


 特別になるなんてやっぱり無理だ。

 普通の俺には普通が相応。

 死にたくないし、確実な明日がほしい。

 それでいい。

 ここで逃げても誰も文句は言わないだろう。


「っ……」


 俺は二人に背中を向けて走りだした。

 日常へ戻るための出口へ。


 その俺の背中で、水菜と理沙が何かを話していたのも、聞き取りもせずに。


 他の職員達に混ざって走ること数分。


「ペース上げなさいよ、追いつかれるわよ」

「っ、うわっ、なんでここに!」


 背後から理沙に声をかけられて驚いた。


「まさか、倒したのか? 水菜は……?」

「まだよ。あんた達が確実に逃げられるようにって、水菜にお願いされて来てやったんだから」

「じゃあ、あいつは今も一人で戦ってるのか!]


 あんな化物に勝てるとは思えない。

 偶然が味方したって無理だ。


「心配じゃないのかよ」

「心配に決まってんでしょ、馬鹿じゃないの!」


 何も考えずに理沙にそう聞いてしまい、大声で怒鳴り返された。


「でも、あの子の頼みだから。水菜が人に頼み事するなんて、無いのよ」


 理沙の声が震えている。

 置いてきた水菜が心配でないわけがなかった。

 きっと、俺が何か言えば喜んでそれを言い訳にして、戻っていくだろう。


 それが分かっていながら俺は、その一言を言えないでいる。


「ごめん、色々とキツイこと言ってるけど。アンタは悪くないって分かってるから」

「え……?」

「アンタはここにいるはずの人間じゃない。それなのにあたし達が不甲斐ないばかりに危険な目に合わせてる」


 殊勝な態度をとる彼女に言っていいのか分からなくなる。


「ちょっと賭けてたんだけど、水菜に可愛いって最初に言った奴が現れたらこの話をするって」


 言うか言わないか迷ったのち、理沙は考えながら口を開いた。


「やっぱり私があの子の分まで言っちゃうのは無しよね。私の名前は止芽久理沙とめめりさ止芽久とめめっていうのは本名じゃないの。エージェント用のものよ」


 いきなりの話題転換に、俺は戸惑って相槌も碌に打てない。


 彼女は己の半生を語り始める。


 理沙は知り合いがナイトメア化したのをきっかけに組織に入るが、エージェントの素質がまったくといっていいほどなかった。

 時間を無駄にするように膨大な日々を訓練に費やしても、能力は一向に上がらず、身体能力も大して向上しない。

 同じところにずっと止まっているのに嫌気がさしていた彼女は、自分よりずっと先を走っている水菜と出会う。

 有り余るほど才能があるなら分けてほしい。

 最初は水菜とはあまり仲が良くなかったらしい。

 けれど、色々あって彼女の過去を知った後、理沙は思った。


 立ち止まってたって。弱くたっていい。

 本当に大切な事は強くなることなどではなく。強くなるということで事で何かをより守りぬけるという事だから。


「だから私は、今月でエージェントを引退。裏方に回ろうって思ったのよ」


 そう言って、理沙は話を締めくくる。


「弱くてもいい? お前はそう思うのか」

「だって、そんなのただの手段でしょ? あんたは何で普通が嫌なのよ」

「それは……」


 当たり前のように虐げられる人達がいて、どんなに優しい人でも力のある間違った強い人間にはかなわなくて……。

 だから俺は、そんな人達を助けたいって思った。

 それが、始まりだった。


「何でもやり方次第。そう思うことにしたら肩が少しだけ軽くなったわ」


 そんな考え方もあったんだな……。


「俺、初めてお前のこと尊敬したかも」

「ちょっと、初めてってどういう意味よ」


 軽くなった胸の内を自覚して笑みがこぼれる。

 こんな奴に自分の悩みがあっさり解決されたことに、少しは悔しさもあるので理沙をからかってやる。


「そのまんまの意味だろ」

「まったく。元気になったかと思えば調子に乗って」


 これからの事を思う余裕ができて、どうしようかと考えていた。

 でも、そんな事はまったくの無駄な事だった。


「奴がくるわ!」


 理沙の声。直後。


『グ ル ァ ァ ァ ァ ァ ァ ァ ァ!』


 未来は化け物によって引きちぎられた。





ーーー





 意識が沈んでいく。

 凍てつく世界の中で舞う小さな氷の粒が、静かに降りつもる。

 俺の力だ。でも遅すぎた。


「ぃ……ぁ……」


 彼女は大丈夫だろうか。

 名前を呼ぶも声にならなかった。


 死ぬのは怖かったけど、あいつは俺を救ってくれた。

 だから、俺はあいつを死なせたくなかったのに。

 全ては、遅かった。


 どこで間違えたんだろう。

 あそこで逃げることは間違いじゃなかったはずだ。

 人には、その人にできる事と出来ないことがある。

 だから間違いなんかじゃない。

 あの時点で、逃げようと怯えていた俺にできる事なんてなかった。


 なら、行動じゃないのかもしれない。

 間違えたのは。たぶん俺の……。


 意識が沈んでいく。

 深く深く。

 どこまでも。





―――





 ドスッ。


「いてっ」


 誰かにぶつかった。見覚えのある場所だ。その道の真ん中で対面から歩いてきた男と衝突したらしい。紙切れが地面に落ちる。契約書だった。

 そいつは約半日前にあったばかりの男だった。


「あれ、ここは。って、お前」

「ああ、なるほど。じゃあ君にまかせよう。失礼」

「おい、落としたぞ」


 怪しい男は契約書を地面に落としたまま去っていった。


「おいって……。いや、いいのか」


 思いなおす。これから通りすがる誰かが怪しい魔の手にかかる事はなくなったのなら、呼び止めるべきではないだろう。


「でも、俺何でこんな所に。一体どうやって」


 首をひねる。答えはでない。

 そうこうしているうちに対面から、人が歩いてくる。

 機嫌が悪いのか、ぶつぶつと何か小言を言っている。


「ったく、何で俺が謝らなきゃいけないんだよ。悪いのはあいつだってのに……」


 その人物を見て驚く。

 え、俺?

 そこにいたのは自分だった。


 半日前に自分が呟いていた、言葉を寸分違わず呟いている自分がいた。


「そういう事かよ」


 呟いてみるが実はよく分かってない。

 だがこれだけは分かる。

 このままでは、あの俺はあの二人に会えないという事実だ。


 つまり俺に決断しろって事かよ。


 時間がない。あの俺はどんどん、先へ進んでいく。

 あと数分もせずに、俺がゲートに吸い込まれた場所まで行き、通りすぎてしまうだろう。

 俺は片手に持つ契約書を見つける。

 せっかくだから内容とか詳しく覗いてみたかったのに、叶わないようだ。

 体が消え始める。


 生き返って日常に復帰とか、そう都合よくはいかないらしい。


 俺は、二人と過ごした半日の時間を頭に描いて決断する。


 あの俺をもう一度、二人に合わせるか。

 それとも、日常を続けさせるか。









「……」









 俺がとるべき行動は……。



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