ただ、君が好き
姫野 藍
プロローグ
幼い頃の思い出の中で一番強く残っている記憶は、大きな向日葵をくれた男の子のこと、それから当時体調を崩して入院していた母のお見舞いに一人で出かけた日のことだ。
今思えばなんてことはない道程だけど、あの頃の小さなわたしにはちょっとした冒険だった。
小学校に上がったばかりのわたしは、父に手を引かれ母のお見舞いに来たときの記憶を頼りに、不安と大きな向日葵を一輪抱えて一人バスに乗り込んだ。
母に会いたい一心で、周りの大人たちの助けを借りながら目的地の病院へと向かう。小さな子供が一人でうろうろしている様子は通行人の大人たちを心配させたようで「大丈夫?」「お母さんやお父さんは一緒じゃないの?」と何度か声をかけられては「大丈夫!」と力強く頷き、今からお見舞いに行くのだと胸に抱えた向日葵を得意げに見せては偉いねえと頭を撫でられて、少し誇らしい気持ちになった。
今ならあっという間に歩ける距離も子供の足では遠く感じる。そうして自信に満ちた気持ちも冒険も、迷子という形で終わりを迎えることになる。親切な人たちに丁寧に教えてもらったにも関わらず、いつの間にかわたしは大勢の人が行き交うどこだかわからない場所で立ち尽くしていた。
何かのアナウンスだろうか、到着時刻を告げる放送に人々はどこか早足で波のように流れていく。目的地に辿り着けない不安とお母さんに会えない寂しさと、萎れて元気をなくしていく向日葵に涙が込み上げて、この大きな向日葵をくれた優しい男の子への罪悪感で胸が痛い。
見上げれば快晴だった青空は橙へと色を変え、自分よりはるかに背の高い人間が忙しなく通り過ぎて行く。知らない場所、知らない人たち、不安や恐怖が最高潮に達したわたしは頭が真っ白になってついにその場に蹲ってしまった。
その後は何がどうなったのかはっきりとは覚えていないけど、父の腕に抱えられて泣きじゃくるわたしの手には、握りすぎてすっかり元気をなくしてしまった向日葵がまるでわたしの気持ちを反映するみたいに悲しそうに揺れていた。
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