第44話 決意込めし鏃

 ライツが振り向いた拍子に、その長い髪が揺れた。


 その先が、いつもならふわりと舞うというのに、勢いよく振られていく。

 それもそのはず。彼女の金色の髪、そのかなりの本数の末端が凍りついてしまっていた。


「うへぇっ」

 ライツの喉から変な声が漏れる。彼女の目は驚きに見開かれていた。


(当たってたんだ、リィルの弾!)

 横に跳ねた時、置いていかれた髪の何本かが氷の散弾に巻き込まれたということをライツは悟った。彼女は完全に避けたつもりだったのだが、腰まであるその長さが災いして髪の先がそれに触れてしまったらしい。


 こうしてライツが確認しようと見ている間も、髪先から氷がライツの頭目がけて登ってくる。このまま放置しておいたら、髪だけでなく頭、そして体全体が丸ごと凍りついてしまう。

(どうしよう、どうしよう)

 予想外の事態にライツは混乱している。うまく、考えがまとまらない。


 この氷を自分の体から退けるための対抗策を、ライツは考えなければいけない。


 しかし、まだ『獅子を屠りし蛮勇の剛者オリオン』の効果は続いている。ライツの持っている力、その全てが身体強化に使われている。もし、対処するために術を使うのなら解除を先にしなければ何も使えない。

 そして、解除をしたのであれば、すぐに術の構築だ。しかし、いったいどういったものを想像イメージすれば、この氷を排除する術を思いつくことができるのか。時間さえあれば考えつくだろうが、登ってくる氷は待ってくれない。刻一刻と迫ってくる時間制限が、ライツに異質な圧力プレッシャーをかけてくる。

 そもそも、最初から防御のことをライツは全く考えていなかった。もし、はねにでも当たっていたら自分はどうするつもりだったのか。力の源であるはねが凍りついてしまったら自分は何もできないぞ、とライツは考えなしにもほどがある自分自身に怒りを覚えていた。


 そんな風に、ライツの思考は出口に向かうことなく、ぐるぐると迷路の中に迷い込む。ふつふつ、と頭から煙が出てくるような錯覚をライツは覚えていた。

 そして溜まりに溜まったライツの鬱憤うっぷんが、ついに大爆発を起こした。


「あああぁっ、もうっ! めんどくさいっ!!」


 『獅子を屠りし蛮勇の剛者オリオン』の効果は続いている。続いているのなら。


(あたしは、こうするよっ)


 ライツは右手で背中の後ろの髪を束ねる。その右手に左手を添えて、ぐっと掴んで引っ張った。ライツの目に、凍りついた髪の先端が映る。左手でつくった束の向こう側から、こちらに向かってくる。

 向かってくるのなら、その氷がこれ以上進行しないように、途中で道を途絶えさせればいい。


 すなわち。

「こいつをぶった切る!」


 後ろ髪を束ねていた右手を離し、ライツはその指をピンと伸ばす。狙うは左手でまとめた髪の束。彼女は右の手刀で、自らの髪を切り上げた。


「えっ」

 その一部始終を見守っていた優香の目が丸くなる。


 そんな優香の目にはらりと地面に落ち、そのまま砕けて自然に還る、ライツの金糸のような髪が映っていた。


「これでよしっ、と」


 ライツは自分の髪が短くなったのを一切気にせず、リィルに向き直った。その目に一切のくもりはないし、うれいもない。頭の中も、髪型もさっぱりとしたライツは、流れるような所作で自分の手を前に差し出した。


「流れる星のキセキをここに」


 彼女の言葉を合図に、『獅子を屠りし蛮勇の剛者オリオン』を構成していた三連星が役目を終えて、砕け散って光の粒子となる。それと同時に、彼女の右手に周囲の星達が集って、再び彼女の杖を生み出していた。


(さぁて、こっからは我慢勝負だね)


 できるなら、先程の攻防でライツは何とかしたかった。ライツにも惜しかったと悔やむ気持ちがある。あれだけ、確率の高い戦術はもう思いつきそうになかった。

 それでも、まだできることなら残っている。次に狙うのは『猛者を戒めし大蟹の鋏キャンサー』。まだライツが空にいた時にも考えたものであるが、その時よりは確実性が増している。


 なぜなら、こんなに近い場所でリィルを見ることで、あることにライツが気づくことができたからだ。


 しかし、それでもリィルとの撃ち合いそのものは回避できない。おそらく、この後のリィルとのやりとりは泥試合の様相を呈するだろう。


(あたし、どうも苦手なんだよね。狙うっていうの)


 まだ『猛者を戒めし大蟹の鋏キャンサー』を相手に当てた経験がライツにはない。前に使った時は、綺麗に全て撃ち落とされてしまった。そして、色々と考えた策もバッサリと切り落とされてしまったという、とても苦い経験がある。今でも、その時の頬の痛みをライツは思い出すことができた。

 だから、正直に行ってしまえばライツに自信はない。しかし、自信がないというのはは諦める理由にはならない。


 ライツは杖を握りしめて、感覚を研ぎ澄ました。


 そんな彼女の耳に。


さぁ、狩りをはじめましょうビィリヤ・アズ・ヴェイザ


 微かではあるが、涼やかな響きをもった声が聞こえてきた。


「うん?」

 その声と同時に、それも本当に小さな反応であるが力の流れをライツは感じ取った。


 その出処を、ライツはリィルから意識を離すことなく探ってみる。近いところから徐々に感覚を広げていく。しかし、力の流れを辿ってみるものの、なかなか大本に辿り着かない。


 はっきりと認識するには、とても遠い距離にあるようだ。

(それなのに、声が聞こえてくるって)


 声の聞こえた理由。それは、その声の持ち主の意識がライツ達に向けられているということだ。ライツに近いところにまで意識を飛ばしているから、ライツの耳にまで声が届いたのだ。


(なんか、狙われてる?)

 もしや、更に面倒なことが起こるのではないかとライツは身構える。


 しかし、どうやら、その意識の先はライツではなかったようだ。


「!」


 今度こそ破らねばならぬ敵とライツを判断し、銃を構えていたリィルが、突如身振り大きく左手を動かした。彼の腕に当たった何かが、キンっと硬い音をたてて打ち上げられた。

 リィルは、それから身を護るために左手で叩いたのだ。


(なんだろ、あれ)

 ライツはその物体を視認するも、よく分からない。細く尖っていて、巨大なとげのようだとライツは感じた。ライツが力を感じ取ったということは誰かの術だろうか。


 その棘は一発で終わりではなく、矢継ぎ早にリィルを襲う。


 見た目通り、それは細く、か弱いものであった。本来であれば、そんなものは無視して、より脅威であるライツに向かわなければいけないリィルの殺気。それが、飛来する一本一本に注がれている。

 確かに威力は弱い。しかし、どれもリィルの急所を的確に狙ってくるので彼はそれらを叩き落とすしか選択肢がない。


 目、胸、足首。

 明確な意思を持って撃たれるそれに、とうとうリィルは痺れを切らして下手人のもとへ駆け出した。


「あ、あれ?」


 気合を入れて杖を構えていたライツは置いていかれたことに呆然としている。突然の乱入者によって、場をかき乱された。

 ライツは自身の目的を果たすためにはリィルを追わなければいけないというのに、呆然と遠ざかるリィルの背中を見送ってしまっている。


 そんな中。

 今、目の前で起こったことの大枠を理解している人間が一人いた。


「ダ、ダメよ。リィルくん、それだけは」

 優香はライツの邪魔にならないように隠れていたが、離れていくリィルを見て思わずその背中を追い出した。


「ゆ、優香!? なにしてるのっ」

 さすがに優香にまで置いていかれそうになったライツはようやく動き出す。そんな彼女には一切目もくれず、優香は一心不乱に駆けていく。


 リィルの背中は、もう見えない。

 それでも追わないと、きっと後悔する。


(後悔するのは、私じゃない)


 優香の目と記憶が確かであれば、何本もリィルに撃ち込まれたもの、それは氷の矢だった。


 そんな芸当ができるとしたら、優香は一人しか思いつかない。

 氷妖精であるリィルがこれまで必死に探していた、たった一人この世に残された肉親の少女。


 彼女が、何を思ってリィルを狙ったのかは優香には考えつかない。しかし、そこには相当な決意が込められているはずだ。

 だから、外敵しか目にないリィルが反応して、優香やライツを無視してでも彼女を排除しようとしている。


(でも、それだけは、絶対にしちゃダメなのよ)


 優香の足がもつれる。追い詰めてくるリィルから逃げようと走り続けた疲れは当然残っている。しかし、優香の眼は、もう見えないリィルを見つけ出そうと前を向き続ける。その強い感情が、優香の体を動かし続ける。


 隣まで飛んできたライツだったが、あまりに悲壮な表情をしている優香に声をかけられずに並走していた。彼女が近くまで来ていることに当然優香は気づいていたが、こちらも話しかける余裕はなかった。

 ただただ、リィルに追いつこうと腕を振る優香。


 もし、間に合わなければ。


(そうなったら、リィルくんは絶対に後悔する。そして、もう、戻ってこれないっ!)


 このままではリィルは、あそこまで大切に思っていた者へと銃口を向けることになる。

 自分の意思でそれを決断するのなら、まだいい。そこには、揺るがない信念がある。しかし、何かに動かされて流されるままにやってしまったら、後悔すら生ぬるいものをリィルは背負うことになる。


 それだけは、させてはならない。優香は奥歯を噛み締めた。

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