第40話 虹の軌跡

「!?……」


 脇目も振らず、優香との距離を詰めていたリィルの足が止まる。何か、強い圧力を背中の方から感じ取った。

 それはリィルがこの状態になってから、初めて見せる行動。人間以外のものに反応し、対処のために反射的に体を動かす。


 振り返ると間に合わない。背中へと銃を回し、左手で下向きになった銃身をを握りしめた。次に来るであろう、衝撃に備えるために。


 感情を伴っていないリィルの顔。その表情が、歪んだ。

「つっ……」

 力強い一撃が、背面を襲う。銃によって直撃は免れたものの、その圧力に押され、前に踏み出していたリィルの左足が地面にめり込んでいく。


 上半身ごと、持っていかれそうになったその一打に耐えきったリィルは、低い姿勢をとりつつ振り返る。銃口を、まだ見ぬ襲撃者に向けた。

「?」

 しかし、そこに反撃を試みた目標はいなかった。確かに攻撃されたはずなのに、忽然こつぜんと姿を消してしまっている。

 その場に、光の粒子だけを残して。



 優香は、その一部始終を目撃していた。

「きれい……」

 思わず、感嘆の声が口から漏れ出す。


 その背中のはねから溢れる光が、虹の軌跡を描く。リィルの頭上に、七色の弧が生まれていく。その光を生むはねの持ち主は、リィルの上空でくるりと、まるで体操選手のように体勢を入れ替えると優香の前に音もなく降り立った。


 優香に背を向けて、彼女はリィルと対峙する。


 着地の振動で、金色の長い髪が横に揺れた。背中には、虹色の光を放つ大きな二対のはね。それは、こまやかに動く度に光輝く珠を生み出している。その光球は、彼女を護るように周囲を浮遊し、時折ふわりと舞っていた。

 彼女の右手に握られた杖が、真横に振り下ろされる。ちょうど、その杖が優香に向けるリィルの視線を断ち切った。


「ライツ、ちゃん?」


 初めて見る、その神々しい輝きに目を細めながら、優香は知り合いの少女の名を口にした。半信半疑の優香の呼びかけに、彼女は顔だけ向けてニコリと笑った。


「大丈夫、優香?」

「え、ええ。私は大丈夫よ」


 ライツの表情を見て、ようやく優香は彼女がライツであることに確信を持った。

 背丈は優香より少し高いくらい。その傷一つない金色の髪は、腰まで長く伸びて風になびく。一際目を引くのは、その背中のはね。様々な色が混じり合って、それでもそれぞれの色が霞むことなく、きらびやかに主張し合っている。


 これが、成長したライツの姿。優香の目の前にあるのは星使いティンクルライツ、母である星の妖精王の力を受け継いだ存在の輝きだった。

 洋介から聞いて想像していたのよりも、ずっと圧倒的で、優香が目が離せなくなるほどに魅力的だった。


「ありがとう、優香」


 ライツにお礼を言われて、呆けていた思考が元に戻る優香。なぜ礼を言われたのかが理解できず、優香は首を左右に振った。

「ごめんなさい。足手まといになるか、とも思ったんだけれど」


 不安気な口調の優香に、ライツは快活に答えた。

「ううん、優香のおかげで封が外れた。これなら、リィルのこと、もっとよく見えるから」


 ライツはじっと、リィルをその瑠璃色の瞳で見つめた。

 ライツの登場によって、彼女への警戒のためか、彼の足は止まっていた。それでも、もしライツが妙な動きをすれば、手にした銃を構えて狙ってくることだろう。

(うん、リィルだ)

 ようやくライツの目が、しっかりと目前の相手が件の氷妖精の少年であることを認識する。それと同時に、今まで、何であんなにも別人のように感じていたのかも理解することができた。


 リィルの目に映る、リィルの内面。そこでは本来の彼が、恐ろしく強固な何か・・によって包まれてしまっていた。体を動かしているのは、まさしくその何か・・である。

(……どっちかというと、命令してるのかな?)

 リィルがいなくなったわけではない。リィルの心は、彼の体の中にしっかりと存在している。しかし、己の意思だけは閉じ込められている。彼本来の意思よりも、強大な意思がリィルの代わりに行動を決定しているように感じた。


 その、リィルを抑え込んでいる何か・・を見てみようと目を凝らすのだが、ライツにはそれがよく見えない。おそらく、その何か・・は自分よりも上位の存在だ。

 ライツに、それをどうこうすることはできない。


 それでも、リィルが自分の意思を取り戻すことができる方法がないか。

「あれだっ」

 ライツは、一点、力の流れが集まっている箇所に着目する。


 上位の存在の術そのものをライツが対処することはできない。


 それでも、リィルの意思を閉じ込めようとしている流れを断ち切ることができれば、彼はきっと凍りついた思考から抜け出すことができるはずだ。一点、その一点だけ「全力でぶっ飛ばす」ことができれば、事は良い方向に進んでくれるとライツは考えつく。

 懸念されるのが、術の反動で悪い作用が生まれないか、という点。しかし、ライツは何となくではあるものの、そういったことはないと思っている。運悪く、変な発動をしてしまっているが、リィルの心を閉じ込めている術そのものに悪意は感じられないからだ。


 方針は決まった。後は実行するだけ。

 しかし、具体的に考えだすと、色々と問題が残っている。


「むぅ」

 ライツは唸った。


 どうしても、術を破るために壊したい、その一点を破壊できる想像ができない。心に作用しているものをどうこうする、というのはとてつもなく繊細な感覚を要求される。

 今、こうして、優香を撃ちたくてしかたのないリィルの対処をしながら考えることはライツには難しかった。


「ライツちゃん、何か思いついた?」


 しばらく黙っていた優香はライツに声をかける。ライツの苦悩が優香にも伝わってきたからだ。

 ライツの感情変化はとても分かりやすい。ほとんど背中しか見えないというのに、感情を読み取ることに疎い優香も、彼女の背中から発せられる、ただならぬ空気から察することができた。


「えっとね」


 ライツは優香に自分の知っていることを伝える。

 今のリィルは、おそらく彼の意思とは関係なく人間を凍りつかせるためだけに動いていること。ロォルに会うために建物の中に入った洋介をリィルが追おうとしていて、何とかライツが足止めしていたこと。リィルの標的が優香に切り替わっていること。


 そして、一番大事なのはライツがリィルを止めることはできるだろうけれど、それが難しいこと。


「なるほどね」

 優香は小さく頷いた。


 こうして、ライツが話している間もリィルは動かず、じっと優香の動向を注視している。その目に、光は感じられない。

 ライツを脅威に感じているからか、下手な動きをとらずに待ちの姿勢をリィルはとっている。獲物、すなわち優香がライツの影から飛び出してくるのをリィルは待っているのだ。ライツもそれが分かっているから、次の動きを取れない。


(あなた達がそうしているのなら、私はこうするわよ)


 優香はふところからゴムを取り出して、後ろ髪を結わえる。彼女の妙な動きに反応して、ピクリとリィルの眉が動いた。

 ライツも、固まった空気が動き出したのを感じてチラリと優香の方を見やった。


 そんな彼女と目があって、優香は微笑む。

「ライツちゃん。リィルくんの動き、見せてあげるから。それで、あなたがどう判断するかは任せるわ」


 優香の言っていることが、すぐには理解できずにライツは首を傾げた。それは、優香もよく見たライツの可愛らしい仕草。

 ライツはその見た目が変わっても、細かいところが幼い時のままだと気づいて優香は少し嬉しくなった。


「私が後ろに走り出したら、ライツちゃんは空から見てて。大丈夫、澤田くんの方にリィルくんがいかないように距離は調整するから」

「え、でも、それじゃあ」

 そこまで言われれば、優香がしようとしていることがライツにも理解できる。


 優香は自分を囮にして、ライツが考えるまでの時間稼ぎをしてくれると言っているのだ。


「私を護りながら、では難しいでしょう? 心配しないで。ちょっとはつと思うから」


 正直、この場所に来るまで何度心が折れかけたか優香は覚えていない。リィルに近づけば近づくほど、足は重く、心が凍りつきそうになった。

 それでも、リィル本人と、何よりも虹色のはねを持つライツの姿を目の当たりにして心が奮い立った。今は、体の重さは微塵みじんも感じられない。


 それに、もし、自分が止まってしまったとしても彼女がいればうれいはない。優香はもう一度、ライツに向かって微笑みかけた。


「あなたなら、できるでしょう? だから、任せるって言ったの。お願いね」

 その言葉は信頼の証。その微笑みはライツの活力になる。


 そんな優香の決意を受け取って。

「うん!」

 ライツは力強く頷いた。

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