第39話 金色の戒め

 洋介がリィルの横をすりぬけ、冷や汗をかきつつ施設に飛び込んでしばらくしてから。


 ライツは扉を閉めた洋介を、それでも追おうとするリィルを止めるために、黒いマントを思いっきり引っ張っていた。


「だーめーなーのーっ!」


 マントを強く、外れてしまわないようにグッと巻き込みながらつかんで、後方へとライツは全力で推進する。ライツの力で、何とかリィルをその場に踏みとどまらせているが、ライツが本当にしたいのは洋介から離すことだ。それを実現させるのは、とても難度が高かった。


 そもそも、ライツがリィルの歩みを遅くしているだけでも驚くべきことだ。掌サイズの彼女の膂力りょりょくで、人間の子どもと同じ大きさのリィルを前に進ませないだけでなく、時々後退させているのは、なかなか見応えのある光景となっている。


 再び力を込めだしたリィルを制するために、さらにライツはその両腕に力を込める。

「だから、だぁっめっ! もう、止まってよぉ」


 実はライツはその小さな体の中で、見る者には信じられないほど大きな力を生み出すことができる。成人男性一人となら綱引きができるくらいだ。

 リィルの氷の散弾を浴びそうになった時、洋介を引き倒すことができたのはそれが要因である。だからこそ、リィルの足止めを頼んだ洋介にも予想できなかったほどに、一進一退の攻防が繰り広げられていた。


「ふぅ」


 しかし、残念なことにライツには持続力がない。絶対に離すもんか。その意思がどれだけ強かったとしても、どうしても手に力が入らなくなってしまう。ライツが握った手を離すと、リィルは一歩、二歩、前に前進していく。

「あわわわっ」

 そして、慌てて掴み直してライツが再び引っ張るとリィルの足が止まる。先程から、それの繰り返しだ。


「そんなにライツがイヤなら、ライツをぶっ飛ばせばいいのにっ!」


 洋介の言った通り、リィルは自分には興味ないみたいだとライツは感じている。こうして、何度も何度も諦めることなく食らいついて、リィルにとって、うっとおしい行動をライツは続けている。それなのに、彼は振り払おうともせず、顔すらライツに向けてこない。


「むぅ」


 それが、ライツには寂しかった。


 自分が相手にされないということは、これほどまでに辛いことなのかとライツは唸る。これなら、まだ母である星の妖精王を妬んでいる者から向けられた、悪意のある視線の方がましだとさえライツは思ってしまう。


 ライツも最近は分別がついている。自分に対して悪い感情を持っている者と、いずれ仲良くはできるかもしれないが今すぐは難しい。そして、元から自分に興味のない相手であれば、彼女もそこまで性急に対等な関係は求めない。

 洋介という存在を得たおかげで、ライツは我慢することを覚えていた。


 しかし、リィルが相手では色々と事情が違ってくるのだ。


――じゃあ、にぃさんの友達のオレとも友達ってことだなっ。よろしくっ!


 リィルに初めて会った時の顔がライツには思い出される。多分に社交辞令が含まれていることはライツにも何となく分かる。そんなに早く、ライツの考える「友達」になれるとしたら、ライツがずっとしてきた努力は何なんだろうと思ってしまう。

 それでも、あの笑顔と向けられた眼差しは本物であったとライツは感じるのだ。いずれ、いや、今すぐにでもリィルとは友達になれる。そう、ライツは確信していた。


 それなのに、今はどうであろう。


 リィルはライツを見やることすらなく、ただただ洋介を、いや、人間を排除する装置と化している。リィルの内面を見通す、その瑠璃色の瞳に映るのは全くの別存在である。

 洋介に念を押されていなければ、今でもライツは眼の前にいるリィルが、ライツの知っているリィルと同じだと信じることができていないだろう。


 ライツが動く度に胸を叩く、金色の輪が大きく跳ねた。


 彼女の視界に入ってくると、それをうとましい目でライツは見つめる。リィルのすきを見て、この輪を首につないでいる鎖を引きちぎろうとしたのだが、ライツにはできなかった。

 首にピッタリと巻き付いているわけではないから、傍目はためには頭から抜けそうなものである。しかし、ライツが無理にとろうとすると体に張り付いて離れようとはしないのだ。


――ライツ、よく聞きなさい。


 このリングを贈られた時の母の言葉を思い出す。それは、母の主導による厳しい修行期間を経て、ふらふらになっているライツをねぎらってくれていた時のこと。


――あなたが、これほど早く成長を見せてくれたこと。私は喜ばしく思います。


 その言葉を聞いた時は本当に驚いた。母に褒められた記憶など、ライツにはなかったから。

 褒められてはいる。それが、言葉になって出てこないのがライツの母、リッツなのだ。彼女が、言葉に出してライツをたたえている状況がライツには不思議だった。


 しかし、すぐに事情は分かった。いつも温和なリッツの表情が、とても険しいものとなっていたからだ。彼女は、何か大切なことをライツに伝えようとしている。それがライツに伝わってきた。

 そんな顔を見てしまうと浮かれる気持ちにはなれず、ライツは背筋をしゃんと伸ばした。


――このリングに、私の意思を託します。あなたに危機が訪れた時、これはあなたの力を解放してくれるでしょう。でも、無理に解こうとはしてはいけませんよ? これはあなたを護るための封でもあるのですから。


 母の告げた言葉は、ライツへのいましめであった。物腰は穏やかであるのだが、妙な圧力をライツは感じ取った。ただ、そんな中に微かな愛情が感じられたから、ライツは黙って次の言葉を待っている。


 そんな待ち構えているライツに、母は穏やかな笑みをそえて言ったのだ。

――私のように、命を削ってしまうのは嫌でしょう?


 ライツがぞくりと背に冷たいものを感じると同時に、かつてはライツと同じく金色であった母の褐色の髪が大きく揺れたのであった。


 そんな母の笑顔の裏に隠された壮絶な想いを思い出しては、ライツはブルッと震えるのだ。


(もしかして、ライツが怖がってるせいなのかな? これがとれないのって)


 このリングを外して、力を解放すればリィルを助けることができるかもしれない。今は全く見えていない、リィルの現状の把握も、あっちの姿であれば可能である気がする。

 それなのに、リングを繋ぎ止める鎖は外そうとしても外れない。

 母の言い回しから考えれば、それほどの危機ではないということだろう。しかし、ライツはそれとは別に心の中に妙に重いものを感じているのであった。


 そんなことを考えているからだったのか。


「うわっ」


 急にリィルに振り払われたライツは、それに反応することができず宙空に投げ出された。


 正確には今までどんなにライツが引っ張ろうとも前進を止めなかったリィルが、その場で反転したのだ。その動きについていけず、ライツは彼の回転する体に振り回されて、手を離したせいで飛ばされた。


 くるりと、ライツがその場で態勢を整えて何事かとリィルの方を確認しようとする。

「あっ」

 その目は大きく見開かれた。ライツの瞳には離れていくリィルの背中と、その背中越しに見える少女の姿が映る。


 彼女は左手でだらんと伸びた右腕を抱え、苦しそうにしながらも、視線は揺らぐことなく真っ直ぐにリィルに向けられていた。

「リィルくん……」


(ユーカだっ)

 その影が優香のものであると認識するよりも早く、ライツは遠ざかるリィルの背を追いかけ始める。


 優香はあれからライツ達を追ってきたのだ。リィルが彼女の方へと動き出したのは、洋介よりも優香の方が距離が近くなったため。とても、機械的な判断をリィルがしていることがわかる。


(ダメだよ、それはっ!)

 そうだ、リィルの今の標的ターゲットは優香。何としても、追いつかなければいけないとライツは思っている。


 しかし、絶望的なまでに時間が足りない。今のままではリィルが射撃するまでにライツが追いつくことはできない。こんなに短い距離が、これほど遠くに見えたのはライツには初めてだった。

(ぐっ)

 ライツは奥歯を噛みしめる。


(間に合わない、なんて知らないっ!)


 そうだ、だからといって諦めるわけにはいかない。友達を助けられなかったら、きっと、ずっと後悔する。

 だから、ライツは全力で。背中の服に隠されたはねが熱く焼き切れるほどに。ただただ、前に向かって飛び続ける。


 その時、ライツの決意に呼応するかのごとく、胸のリングが輝き出した。

「えっ」

 あんなに固く繋がっていた鎖は自壊し、金色の輪だけがライツの目の前に飛び出した。ライツはそれを、驚きつつも、右手を伸ばして躊躇ちゅうちょなく掴み取る。


 右手から伝わってくる、ライツの母が託したリングの意思。

 おまえの思うままにしろ、手にしたリングがそう語っているようにライツは思った。ライツは、金色の輪に促されて、その想いのままに叫ぶ。


「流れる星のキセキをここに!」


 その声に、その想いに、金色の輪が大きく輝く。その光は、ライツの体躯を飲み込めるほどに大きくなった。

 ライツは前に駆ける勢いそのまま、その輝きに飛び込んだ。

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