第35話 氷姫との遭逢

 洋介は物音のする方へと歩いていった。施設の二階は病院を思わせる真っ白な壁が印象的で、年季の割には古さを感じさせない。そんな、清潔感を感じる廊下を進んでいく。


(さっきから聞こえる音は……この部屋からかな?)

 部屋の前に立つと、より大きな音が聞こえてくる。それは意味のある声だけでなく、がちゃがちゃと金属がぶつかる音が混じっている。いったい、何をしているのだろうか。


「失礼しまぁす」

 なぜか、後ろめたさを感じた洋介は小声で断りをいれた後に、ドアを開けた。


 その瞬間、ツンとした消毒の臭いが洋介の鼻を刺激する。どうやら、中は治療室のようで薬品の並んだ棚に、運び込まれた動物を診るための台が中央にあった。

 端では白衣を着た女性が、棚を開いた状態で固まっている。例にもれず、この部屋もリィルの術の効果の範疇はんちゅうであった。まるで、凍りついたかのように動きが感じられない。


 そんな、時が止まった一室の片隅に、がたがたと横に揺れているものがあった。


「はぁ、はぁ。ダメだ、わたしの力じゃびくともしない」


 さっきからガタガタと動いていたそれの正体は金属製の檻だった。その中にいる、ロォルと思わしき鳥が疲れ果てて仰向けになっている。聞こえてきた彼女の呟きを聞く限り、どうやら力づくでこれを破ろうとしていたらしい。


 そんなことを推測してすぐに、それは無理だろ、と洋介は思った。小型のものではあるが、見た目以上に作りはしっかりしていた。工具があったとしても、なかなか壊すことはできないだろう。

 それを、せいぜい五十センチを超えるくらいの体躯で叩き折ろうなど無理がある。実際、徒労に終わってロォルは身動きがとれないほどに体の痛みを感じていた。


 無理なことをしている、それはロォルにも分かっていた。しかし、居ても立ってもいられないのだ。


「よ、よし。違う方法にしよう」


 こう、洋介がじっと様子を伺っているのにも気づかずに、起き上がって抵抗を再開しようとしている姿を見れば、彼女が必死なのは洋介にだって分かる。

(……この子がロォルなのは確定として)

 洋介は驚かさないように、ゆっくりと近寄っていく。すでに、その行為が相当ロォルを驚かせるのは明白なのだが洋介は気づかない。


 洋介も、落ち着いているように見えて、かなり焦っていた。早く、外にいるライツと合流したくてしかたないし、リィルがどうなっているか気がかりなのだ。


「う~ん、ここをくちばしで突付いたらガチャンととれたりしないかな?」

 ロォルは次の一手として、錠前を一点集中で壊す策を思いついたらしい。そんなことしても、材質的に彼女のくちばしの方が先に壊れそうなので、洋介は恐る恐るといった様子で声をかける。


「あ、あの。ロォル、かな?」


 なぜか、思いもよらないところで不審者のような物言いになって洋介は内心舌打ちをする。どうも知らない相手に話しかけるのはうまくいかない。

 相手の見た目は鳥なのだが、その辺りは関係ないようだ。


「あ、はい。何ですか……て、え?」


 ロォルは久々に自分の名前を呼ばれたので反射的に振り返る。しかし、すぐにそれが状況的に考えておかしいことに彼女は気づいた。

 洋介と、視線が交わった瞬間に彼女の思考は硬直する。洋介も、そんな彼女を見て次の動きが取れずに固まった。


 しばらく、一人と一羽の間に無音の時が流れる。


「え、あ、う」

 ロォルがくちばしを動かして鳴いている。洋介に、その言葉の意味は伝わってこない。ロォルが混乱しているせいか、意味のない音になっているのだ。


 しかし、急に入ってきた情報に凍結フリーズしていたロォルの思考回路が限界に達したところで、彼女はせきを切ったように暴れだした。

「な、なんですか、あなたは!? なんで、わたしの名前知ってるんですか!?」


 ロォルは翼をばたばたと動かして、狭い檻の中を走り回っている。がぁがぁと耳に超える音と、心に伝わってくる声で洋介の頭の中はうるさくてしかたない。


「えっと、ロォル。ちょっと落ち着いて」

 しかしながら、自分以上に困惑しているロォルを見ると冷静になれたのは、洋介にとって幸運だった。


「名前は、リィルから聞いたんだ。僕は洋介、リィルの……友達だよ。ちょっと、あいつは事情があって来れないから、代わりに迎えに来たんだ」

「おにぃちゃん?」


 今度は笑顔を添えて、洋介はロォルに話しかけることができた。ロォルもそんな彼の態度と兄の名前を聞いて、落ち着きを取り戻す。


 ロォルは恥ずかしそうにペコリと頭を下げる。見た目が見た目だから、非常に愛らしい

「すみません、取り乱しました。えっと、ようすけさん」

 その後、周囲をキョロキョロと見回した後に、ロォルは真っ直ぐに洋介を見上げた。


「おにぃちゃんの代わり、と。それなら知っていますよね。今、外はどんなことになってるんですか。この状況、絶対おにぃちゃんの力ですよね」


 洋介は、急に大人っぽい話し方になったロォルに戸惑いながらも、位置のずれた檻を支えながらロォルと同じ目線まで腰を落とす。


「うん、一緒にロォルを探しにここまで来たんだけど。あいつが一人でこの建物に入ってから様子がおかしくて」


 先程は何も知らないかもしれないロォルが取り乱さないように真相を濁した。しかし、知っているのであれば話は別だ。リィルの現状をしっかりと彼女に伝えようと洋介は自分の知る限りの話を彼女にしようとする。


「ようすけさん、大丈夫です。そこまでで」

 しかし、ロォルは嫌な予感がして、そこで洋介の話を打ち切った。

「もし、あなたが知っていたとしても言わないでくださいね。わたしも、自分がどうなるか予測できないので」


 しばらく、考える素振りをしていたロォルだったが、すぐに諦めて頭を横にフリフリと動かしだした。

「もう。おにぃちゃん、わたしには気をつけろって話をしてたのに、自分が起爆装置スイッチ押しちゃったんだ」

 ロォルは呆れた様子で息を吐いた。表情はよく分からないが、態度から「やれやれ」といった感情を洋介は読み取った。


「……知ってるんだ。今のリィルが変な原因」

「知ってますよ。おかぁさんからわたしにも受け継がれてるはずだからって、おにぃちゃん言ってましたから」

「じゃあ、どうすればリィルを止められるかってのは」


 洋介は期待を込めた瞳でロォルを見つめる。しかし、その期待に応えるだけの答えをロォルは持ち合わせていない。

 ロォルは小さく首を横にふると、がっくりと項垂れた。


「ごめんなさい、わたしはそこまで聞いていないんです。もし、わたしがそうなったとしても、おにいちゃんが止められるかどうか分からないから気をつけろよって言っていたくらいですから」

「そ、そっか。それは難儀だな」


 洋介とロォルは同時に頭を抱える。


(う~ん、そっか。ロォルにも分かんないのか)


 特に洋介の落胆は酷かった。何となく、ロォルと再会すればリィルも元に戻るんじゃないかと勝手に期待してしまっていた。ロォルの存在が特効薬のようなものだと、思っていた。

 どうやら、彼の予想以上に事態は深刻なようだ。「はい、これで終わり」というわけにはいかないのが現状らしい。


「でも、おにぃちゃんをこのままにはしておけません」

「うん、そうだね」


 リィルを止めたい。その点は、洋介とロォルの意見が一致していた。もし、自分に何もできなかったとしても、ここに留まる理由にはならないのだ。


「ようすけさん、わたしを連れ出してもらえませんか。ダメかも知れないけど、おにいちゃんを呼び戻してみたいんです」


 リィルの心が閉ざされているのはロォルも分かっている。その、鍵穴を開ける為に身内が働きかけるのは、悪あがきであったとしても悪くない考えだとロォルは思う。

 それには洋介も同意だ。自分達では無理だったが、ロォルなら試す価値は残っていると思う。


 ただ。

 今、ロォルは檻の中で身動きがとれない状況にある。これを何とかしないといけない。


「そうなると、これを開けないと。鍵は……」

 洋介が立ち上がると、すぐにロォルは口を開く。


「あの方が持ってましたよ?」


 ロォルは白衣を来た女性の方へ翼を突き出す。それを見て、洋介は行動しようとするが、すぐに固まった。


「えっと、どこに?」


 動けない相手の持ち物を探ってもよいのだろうか、と洋介は傷つかなくてもいいところで良心に痛みを覚えていた。

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