第36話 後に回した報い

 洋介が動かない女性の前であたふたしている様子を見て、ロォルは首を傾げている。ああ、鍵がどこにあるのか分からないのかと察したロォルは、鍵の在り処を記憶から引っ張り出す。


「たぶん、その方が着ている上着の裏側だったと思います」

(よりによって、そこか!)


 別の事情で手を動かすことができていなかった洋介はロォルの進言に感謝しつつも、同時に舌打ちをする。


「どうして、こういう時に若い人で……いや、おばあさんだったら良いってわけではないんですけども」


 洋介は誰かが聞いているわけでもないのに、小声で言い訳をしながら、できる限り体に触れないように女性の白衣をめくる。そこに、ポケットから飛び出したキーホルダーが見えた。

 ひと目見て分かる位置にあったことに、洋介は一息つく。そして、それをそっと取り出した。


(ん……?)


 鍵を取ろうと、指を動かしてみて、洋介は初めて小さな違和感を感じた。指先の感覚が、薄っすらとしている。親指と人差指でキーホルダーをつまんだのだが、その感触がおかしかったのだ。指と指をくっつけると、まるで、その間に透明な板が挟まっているかのように感じる。


 自分の手を洋介はじっと見つめた。雪を素手で触った後のように、じんわりと血流が悪くなっているのを洋介は感じ取る。

「マズイな」

 洋介はその事象が、リィルの結界の効果だと気づいてうなる。今は全く問題にならない程度だが、いずれ寒さが、指先だけでなく全身の感覚を奪っていくだろう。


 洋介は鍵を開けようと、檻の前にしゃがみ込む。しかし、指が思うように動いてくれない。

(知っちゃうと気になるぞ、これ)

 洋介の意識は指先の違和感に集中している。そのせいで、鍵穴に差し込むだけの作業も洋介はてこずることになった。

 何とか、鍵を外すと、中からよちよちとした足取りでロォルが出てきた。


「ありがとうございます。それで、おにぃちゃんは……」

「入り口の外だと思う。どうなってるかは、ここからは分かんないかな」


 外からの音はしっかりと遮断されている。少ない窓から見える景色も山しかない。


「そうですね、早く行きましょう」

 そのまま、危うい足運びで先に行こうとするロォルを見て、洋介はもう一度うなった。


(早くったって、それじゃあなぁ)

 こうやって洋介が眺めている間にロォルが進んだ距離は、ほんのわずかである。


 洋介としては、これ以上この建物内にいてもできることが見つからないので、ロォルの言っているように急ぎたいところである。ただ、ロォルの今の体はそれを物理的に許してくれないようだ。


「よしっ」

 洋介はロォルの後ろまで歩み寄ると、「ロォル、ちょっとごめんね」と一声かけて彼女の体を持ち上げた。


「ふえ」


 急に重力に反する動きを与えられたロォルは事態を理解できず、呆けた声を出す。体が何かに支えられ、プラプラとロォルの足が宙で動いている。


「キャァアアッ!」

 しばらくロォルの思考は止まっていたが、ようやく、洋介に抱きかかえられたことに気づいて彼女は暴れだす。


「ようすけさん、どこ触ってるんですか!?」

「え、どこって、この体でもそういうのあるの!?」


 じたばたと動くロォルを何とか支えながら、洋介は彼女の大声量に負けないほどの大きな声で驚いていた。自分の予想もしていなかった点で非難され、洋介は慌てふためく。

 同時に、確かにロォルのことを考えれば自分の行動は無作法だったと、洋介は反省している。


――人間って見た目に引きずられるよなぁ。


 ロォルに叫ばれたことで、リィルの言葉が洋介の脳裏によみがえる。


 人と同じ姿で魚を丸呑みするのは嫌がるだろうと考えて、鳥の姿になっていたリィルがしみじみとした口調で言っていた。リィルはそこまで重い意味を込めて言ったことではなかったが、洋介には突き刺さった。

 常人つねびとよりは、人ならざる者達のことを理解しているとはいっても、結局、洋介も自分の感覚で彼等のことを考えてしまっているのだ。


 今、まさにロォルから、その点を叱られているように洋介は感じて気が滅入っている。


「ほ、ほら。その足だと階段降りるのも一苦労だろ」


 それでも、早くライツ達のもとに戻りたい気持ちの方が洋介は強い。しっかりとロォルを抱える腕には力を入れながら、洋介は弁明を開始した。


「だから、僕に運ばせてよ。そりゃあ、触られるの嫌だろうけど、ちょっとは我慢してもらってさ」

 最初から彼女を呼び止めて、説得してから持ち上げればよかったと洋介は後悔しつつ言葉を続けている。


「むぅ~、仕方ありませんね」


 納得はしかねているロォルであったが、自分の体が長距離の移動に向いていないのは確かであるから四肢に込めた力を抜いて洋介に任せることを選択する。


(う~、ほんと、自分の体なのにままならない)


 洋介に怒っているように見えていたが、そもそも、最初からロォルの怒りの矛先は自分自身だった。


 ここに来るまで、リィルに引っ張られて海を渡ってきた。地震に震え、崖から足を滑らせてからも、ロォルは自分の意思で行動することができていない。

 海では泳げないし、陸では人間に抱えられたら逃げることもできない。自分が元の姿に戻れないせいで、リィルだけでなく洋介にも迷惑をかけている現状が不服でロォルは自分を腹立たしく思っているのだ。


 そんな自身への不甲斐なさを抱えながら、ロォルは洋介に抱えられたまま施設の廊下を進んでいく。


 そんな風に押し黙ってしまったロォルを気遣って、洋介は声をかけようとする。

「リィルのさ、この術って本当に対処法ってないのかな」

 しかし、気の利いた言葉など洋介に言えるはずもなく、さらにロォルが気落ちしそうな話題を彼女に振ってしまった。


「……わたしも、おにぃちゃんから聞いただけだから何にも思いつきません」

 ロォルの口調は、さらに不貞腐ふてくされたような感じになっていた。


 本音を言えば、ロォルは全く思いつかないわけではないのだ。ただ、それを自分が実行できないということがロォルには歯がゆかった。


 ロォルが思い出すのは、もし自分が起爆装置スイッチを押してしまった状態でリィルの敵に回ったらどうするのかを彼に聞いた時だ。


 もし、リィルの仲間にロォルが手を出すようなことがあったら……。リィルは顔色を変えずにこう言った。

 「そんときゃ、刺し違えてもロォルを止めるだろうな」と。


 リィルから感じたのは、確固たる意思。自分よりも、優先すべきは仲間であること。

 リィルにとって、ロォルは自分自身と同じくらい大切なものだ。しかし、自身と同じということは選択するのであれば、ロォルは切り捨てる側に入るということだ。


 自分より長く世界を見てきた兄は、こういった乾いた感覚の持ち主でもある。それはロォルもよく分かっているし、そもそも、そういったリィルの背中をたくましく思っていたほどだから、リィルの言葉を聞いてもロォルに驚きはない。

 大切な仲間のためならば、たとえ身内であろうとも斬り伏せる鬼にもなろう。いや、相手が身内だからこそ責任を持って対処しなければならない。


 リィルの覚悟を、一抹の寂しさを覚えつつも、納得してロォルは受け止めていた。


(……うん、分かってるよ。ようすけさんには呼びかけてみるって言ってみたけど、それじゃダメだってこと)


 想定とは立場が逆になった。そうなると、ロォルがリィルを止めなければいけない。リィルのことを友人だと言ってくれている洋介に、これ以上迷惑をかけてはいけない。ロォルの知っている兄も、正気であれば、誰かの重荷になってしまうことを望まない。

 しかし、ロォルはリィルほどには割り切れない。それに覚悟を決めたとしても、現状、こんな小さな体では兄に太刀打ちすることは不可能である。


(何でわたしは元に戻れないんだろう)


 今の自分と過去の自分の違い。ロォルは今の今まで、これほど必死に、元の体に戻りたいと真剣に願ったことはなかった。


 願う必要がなかったのだ。リィルが護ってくれていたから。

 ここにきてようやく、リィルに甘えっぱなしだったということをロォルは痛感する。


(どうして、わたしは今で本気で戻ろうとしなかったんだろう)


 悔やんでも時間は戻ってこない。ロォルは今の体に涙腺があれば泣きそうなほどに、ひどく心を痛めていた。

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