第18話 加速する食欲

「お腹空いた、ね。そうなるとやらなきゃいけないことは……はぁ」


 優香が、彼女にしては珍しく音に出るほどに大きな溜息ためいきをした。

 彼女はよく息を吐くが、そのほとんどが自分の感情を整理したくて落ち着こうとする時の仕草だ。中学生の頃は「なんで、あなたはそれが分からないの」という威圧的な意味合いを込めたときもある。


 しかし、今のように、気怠けだるい感じで嘆くような息は、なかなか聞くことはない。


 その理由が分からない洋介は、頭に疑問符を浮かべて彼女の方へと振り返る。彼と視線が合ったことを認識して、優香は自分の持っていた袋の口を開いた。


「ライツちゃん、さっき買ってきたんだけど、よかったら食べる?」

 優香が中から取り出したものを視認したライツは目を輝かせる。それは、念のためにドライアイスをもらおうと買ってきたカップアイスだ。

「食べるっ!」

 認識した瞬間、大きな声を出すライツに優香は顔をほころばせている。


 ちなみにそれは一個三百円ほどの代物しろもので、洋介がよくライツに買い与えているものよりも一段階高級品となっている。他にも選択肢があった中で、迷わずそれを選んだ優香との生活の差を洋介は感じてしまった。

(ちっちゃい男だな、僕は)

 洋介はそんな自分を恥じている。小さなことに気に病む自身、そして、三百円を高いと思ってしまう経済観念を。


 そのアイスクリームを購入した店は、優香がよく利用する場所だ。冷凍ものは店員である老人にお願いして奥から持ってきてもらわなければならなかった。そんな形式をとる店を洋介は初めて知った。


(あれ、奥に入っていったけど、もしかして、自分の家に戻ってたのかな)


 洋介はあとから聞いた話だが、彼の想像は当たっていて老婆は自宅にある冷凍庫まで商品を取りに行っていた。どうやら、業務用の巨大な冷凍庫を置く場所が店内にはなかったかららしい。

 店には、どこかの飲食店のように、壁に購入できる品物と金額を書いた紙が貼られていた。それを注文すると、店まで主人が持ってくるというシステムは洋介には新鮮だった。


「私、ちょっとリィルくんの食べれそうなものを見繕ってくるわ」

 優香の顔色は少々悪い。何か気にさわることでもあったろうか、と洋介は気にして声をかける。

「えっと、僕は何か手伝おうか?」


 優香は洋介の申し出を丁重に断った。


「いいの、澤田くんはリィルくんをお願いね」


 優香に言われたことで、洋介は現状を思い出す。

「そう言えば、そっか。こいつ、身動きできなさそうだし」


 洋介がちらっと足元を見下ろすと、うーうー唸っているリィルの姿があった。前かがみに丸まっているが、腹が痛いわけではないようなので気にしないことに洋介はする。


 行き先は決まっているのだろう、軽快な足取りで遠ざかっていく優香の背中を見送った後に洋介はリィルの横にしゃがみ込む。

 町はそもそも行き交う人が少ないからか、道端で休める場所なんてない。だから、リィルは地面にそのまま座り込んでいる。


「リィルってさ、普段から何か食べたりしてるの?」

「う~ん、いつもは食べるってことすらしない」


 このまま黙って待っていても良かったのだが、間が持たずに洋介はリィルに話しかけた。話すことは平気そうだと洋介は思ったし、事実リィルの声に淀みはない。

 あまり人間のように生きるためにものを食べているという印象を妖精族に抱いていない洋介は気になって尋ねてみたが、どうやらリィルも日常では食べ物を口にしたりすることはないようだ。


「その割には、燃費悪そうだよね。もしかして、無理してる?」

「え、何が悪そうだって?」

「何がって……、ああ、そっか」


 リィルが聞き返してきたことで洋介は思い出す。妖精と人間の間では、音声を認識することで話をしていないということを。

 洋介が幼い頃、闇妖精である桔梗との意思疎通がうまくいかなかったことがある。時々、彼女の言葉が聞き取れなかったのだ。それは、幼少の洋介の知識では理解できない言葉を桔梗が使っていたからである。

 そんな風に、人と妖精が話す時は、お互いの心という翻訳者を通じて会話しているのだった。


 だから、先程から使っている洋介の例えの意味がリィルには理解できない。リィルは他の妖精族の例に漏れず、人間とは自身の知識を通して意思疎通をしているから、自分の知らない言葉を使われても意味が分からないのだ。

 実際、リィルには幼い頃の洋介のように、洋介の話には穴が抜けているように聞こえている。


 ライツとも、洋介は時折そんな感じになる。そんな彼等との会話に慣れている洋介は平易な言い方で言い直す。


「ロォルを探すために、あまり使ってない力使ってるから、すぐに力なくなっちゃうんじゃないかってこと」

「ああ」


 そういうことなら、リィルにも覚えがある。倒れたのだって、ロォルを探知しようと感覚を広げようと試みた直後であった。自覚してみれば、力がどんどん体の外に出ていってしまっている気がリィルにはするのだ。


「なんかさ、昨日今日と、もわっと出てってる気がする。いつもより、たくさん」

「え、危ないやつ?」


 リィルは小さく首を横に振った。

「そんなことない。長時間泳いだ後とか、時々こうなるから。そういう時は、ちょちょっと食い物とってきて補給したりするよ」


 リィルは普段から足りなくなった力は食事で補っている。どんどん頭の中を支配してくる食欲の暴走も経験済みだ。

 だけど、空腹でここまで動けなくなるのは珍しい。洋介の言う通り、リィルはロォルを探し出したいという気持ちが先行しすぎて、彼が認識している以上に燃費が悪くなってしまっているのだ。


(とるって、こいつの場合は「採る」じゃなくて「獲る」なんだろうなぁ)


 優香からリィルの弱肉強食精神を聞いた洋介は、獲物を狩ろうとして目をらんらんと光らせているリィルを想像していた。とんでもなく誇張された映像であるが、実際のリィルのことを彼が知れば、あながち、それは間違っていなかったと彼は思うだろう。


 食べ物の話を二人がしている横で、ライツは優香からもらったアイスクリームの蓋を開けようと四苦八苦していた。

(やっぱり冷やしすぎだよね、アレ)

 ライツが蓋と格闘しているアイスクリームは、ずっと、大型の冷凍庫で冷やされ続けてきた。そして、ちょっと前までドライアイスの中にいたものだから、彼女のアイスクリームは凍りついて容器と蓋が一体化してしまっている。


 それでも諦めることなく、むむむ、と顔を真っ赤にして力むライツ。

「あ、やったぁ!」

 歓喜の声と共に、蓋がどこかに飛んでいった。


 まさに宙を舞う蓋を目の当たりにした洋介は、人がいなくてよかったと胸を撫で下ろす。そんな風に横目でチラチラとライツの様子を確認している彼には気づかずに、バニラの香りが溢れ出てくるアイスクリームを前にライツはスプーンを突き刺そうとしている。


 カッ、という食べ物にあるまじき感触が返ってきてライツは顔を強張こわばらせた。


(お、刺さった)


 ちょっとしかアイスクリームに先が入っていないというのに、直立するプラスチックのスプーン。その様を見るライツの瑠璃色の瞳は大きく瞳孔が開いてしまっている。


 さて、次はどうするのかなと洋介が観察しているとライツはアイスクリームに直接顔を近づけてペロペロと舐め始めた。

(意地汚いな、もうっ!)

 さすがに文句を言おうかと思ったが、花が開いたかのように笑顔を見せるライツを見て洋介は何も言えなくなるのであった。

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