第17話 過熱する体躯

「驚いたでしょ? あの子、どうも野性味が強すぎるところがあって……」

「なるほどね。どうりで話が噛み合ってないと。当たり前な話なんだけど、僕達と同じように考えちゃいけないところは、やっぱりあるよね。気をつけないと」


 優香と洋介がひそひそとリィルのことについて話している。


(そうそう。同じように考えちゃダメなんだよ。オレもにぃさん達も)

 リィルは、ライツから妖精界の話を聞きつつ彼等の話にも耳を傾けていた。リィルは自戒の意味も込めて、心の中で洋介の意見に頷いている。

(ちょっと油断すると、オレもオレの常識で物事を考えちゃうからさぁ)

 こうして、二人から離れた位置にいるのに聞こえてしまっていることに洋介達は気づいていない。これも、人間と妖精族の違いに人間の彼等が気づいていないということなのだ。


 気をつけないと、と洋介が言っている傍から、この状態なのだから問題は根深い。


 リィルの能力、その一部は人間を遥かに凌駕りょうがしているものがある。聴覚もその一端だ。優香達は気を使って聞こえないようにしてくれているが、全く意味はない。


「隣の領域には入っちゃいけないってママ達が言うんだ」

「ふぅん、星妖精って、意外と窮屈きゅうくつなんだなぁ。オレと違って飛べるのにさ」


 ライツと会話していたって、リィルはその同時処理を難なくこなしている。


(本当は聞こうとしなけりゃいいんだけど、勝手に音を拾っちゃうんだよね……。うん、気にならないって言ったら嘘だしさ)


 リィルの耳は全ての音を捕まえているのではなく、指向性がある。リィル本人が聞こうとすれば、どこまででも研ぎ澄まされるし、騒音の多いところではピタッと門を閉じることもできる。本人が意識していなければ、聞き逃すことだってある。


 それはリィル個人の力というよりも、氷妖精という種族の持つ特性だ。


 氷妖精という種の誕生は、近縁の水妖精から派生したものだと伝えられている。リィルも詳しくは知らない。母から聞いてはいたが、あまり興味を惹かれなかったから聞き流してしまった。

 そして、さらにその水妖精の原初は狩猟を守護する神の姿を真似て生まれたものだと聞いた覚えがリィルにはあった。だから、氷妖精も他の動物を狩る能力に特化しやすいのだ。


(つっても、オレは相棒・・を使ったことはないんだけどな)


 いつか、自分の力を全て発揮する機会が来るのであれば、それは大事なものを守る為に使いたい。母はそう言っていたし、リィル自身もそれを願っていた。


(だからさぁ、もうちょっと何とかならないもんか?)


 今現在、リィルにとって一番大事なものはロォルだ。彼女を見つけるために、リィルは今まで使っていなかった能力をフル稼働させている。

 しかし、もともと、こういった失せ物探しは不得手なのか。一日経ってしまったというのに、それでも良い結果を生むことはできない。


 ロォルなら近くにいるよ、生命力は満タンだよ、とリィルの本能は語りかけてきてくれるが、それだけである。どうしたら再会することができるのか、一向に教えてくれはしない。


(う~ん、このままねぇさん達に迷惑かけっぱなしってのはなぁ)


 そんな風に考え事をしながらライツの話も聞いていたのだが、さすがにだんだんとおざなりになっていく。

「どしたの?」

 返事が返ってこなくて会話が途切れたしまったので、ライツはリィルを呼んだ。小首を傾げて、彼の顔を覗き込んでいる。


 しかし、それでも先程まで遠くの二人の会話を聞き取っていたリィルの耳に、こんなに近いライツの言葉は届かない。


「もっと、こう、力を入れると……どうかな?」

 そして、リィルは熟考の末に辿り着いた対処法を実施しようとする。


 その瞬間。


「あ、あれ?」

 リィルの視界は暗転した。



(む……)

 徐々に光が戻ってきたリィルが感じたのは、額の冷たさと、その冷感があっても存在感のある暖かさだった。


「あ、気づいたみたい」

 濡れたタオルでリィルの顔を拭いていた優香は、彼の目が開いたのを確認して安堵の息を吐く。どうやら、リィルは石の塀に体を預けられているようで、背中がひんやりとして心地よかった。


「あー、やっちまったかぁ」


 リィルは気の抜けた声を出す。どうやら、また優香に介抱されていたらしい事実に気づくとリィルの心は申し訳無さでいっぱいになってくる。

「急に倒れたから、どうしたのかと思ったわ」

 穏やかな優香に対して、リィルはひどく恐縮した様子を見せていた。


「ご、ごめん」


 リィルは小さな体をさらに小さくさせている。


 どこで覚えたのか、優香の近くに居たライツはリィルに近寄り、彼の頭をよしよしと撫でる仕草を見せていた。ただ、大きさの違いからライツの掌をあまりリィルは感じることができない。彼女の腕が、リィルの髪をくしのようになっている。

 リィルの顔は蒸気した感じで、その黒い瞳はボンヤリと焦点が合っていない。


「なんか顔が赤いけど、熱中症かな。氷いる? 食べちゃダメだけど」


 洋介は小さく砕かれた氷の入った袋をリィルに手渡そうとする。それは、優香の馴染みの店でもらってきたものだ。生鮮食品を家に持ち帰るために用意されているものだから、食用には適さない。しかし、熱くなった体を冷やすのには十分だろう。


「う~ん、そこまではいらない。ねぇさんのおかげで、けっこう冷えたから。ありがと」


 ふらついていた視線が、ようやく定まってきたリィルは洋介の申し出を断り、優香に礼を言う。

 冷静になってくれば自分の状態がどうなのか、リィルは自身で把握ができる。体に熱が溜まっていたのは事実だが、今はそれほど問題はない。問題があるとすれば、一つだが、あまりリィルは口に出したくはなかった。


「でも、まだ辛そうだけど。なんか、他にあるんじゃないの?」

 それなのに、洋介はリィルの顔色を見て、彼がまだ問題を抱えてることに気づいてしまう。


「い、いや、にぃさんに心配してもらうようなことはないですって」

 リィルはごまかそうとするが、動揺は隠しきれない。彼の口調はらしくなく、洋介でなくても彼が隠し事をしているのは分かってしまう。


「リィルくん、あなたに隠し事されると物事が円滑に進まないのだけれども」

 そう、先程まで心配そうにリィルを見ていた優香の目つきまで鋭くなってきたのだ。


「や、やだなぁ、ねぇさん。そん、そんな大したことはないんだって」


 リィルは自尊心に傷がつきそうで言いたがらないが、口ごもっている。


 しかし、そんなのは今更の話だ。ここまでどれだけ恥ずかしい姿を優香達に見せてきたか。じとっとした視線が突き刺さることに耐えられなくなったリィルは、口を開く。


「えっと、これは……」


 リィルが答えようとした瞬間、ぐぅ~という大きな腹の音が彼の代わりに返事をした。


「あ、あはははは」


 リィルの照れ笑いの後、しばらく周囲の時間が止まる。


 そんな、固まった空気を洋介の呆れ混じりの息が動かした。


「なるほど、エネルギー切れガス欠か。おまけに、無理に体を動かしていて排熱が追いつかなかったんオーバーヒートだな」


 リィルの体調を、エンジンに例えた洋介の台詞の意味が、リィル本人には分からない。分からないのだが、優香も洋介と同じような表情をしているのを見ると、ずいぶん的を射た表現なんだなとリィルは思う。


「たぶん、それ」

「それで、熱の方は何とかなったけど肝心の燃料は」


「すっからかん。ほんと、腹減った……」

 もう隠すこともなくなったリィルは力尽きて、がっくりと項垂うなだれる。そんなリィルに、彼の空腹感はこれでもかといじめてくるのであった。

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