想いは氷雪のはてに

プロローグ

 丸々と膨らんだ月が中天で輝いている。神々しく、夜の闇空で己の存在を主張していた。


 その、太陽とはまるで違う、淡い光。その光が目に飛び込んできて少年は思わず涙ぐみそうになった。

 まるで、なぐさめてくれているかのように感じたのだ。

「いけない、いけない」

 彼はそでで涙をぬぐう。こんな弱い姿を見せたくない相手がいる。彼女に、さらなる不安の種を与えるわけにはいかない。


 少年はちらりと横を見る。彼の妹は、そんな少年の慌てた様子に気づくこともなく、静かな寝息をたてている。少年は安堵の息を吐くと、もう一度、月へと視線を戻した。


 あれはいつのことだったろうか。誰かから聞いたことがある。月というものは、とんでもなく遠い場所にあるのだと。そして、さらに周囲に瞬いている星の光は、遥か彼方から旅を続けてようやくここに辿り着いたものだと。

 どれくらいの距離なのかは少年には想像もつかない。その話をしていた人も、あまりよく分かっていないようだった。


 それもそのはず。その頃は、誰も月になんて行ったことなかったんだから。全ては想像に過ぎない。しかし、そんな想像でも理解できることがある。


 もし自分が飛ぶことができて、この一生を費やしたとしても、あの光の源には手が届かないんだろうと少年は思った。果てしない、記憶さえ摩耗するほどに長い旅を続けて、やっと少年の目にまで届いた輝き。

 その旅路を思うと、少年は勇気が湧いてきた。


 そうだ。この星々に比べれば、まだまだ自分のこれまでの道程なんて微々たるものだ。泳いでいけるだけ、道程は楽なもの。

 まだまだ体力は余るほどにある。妹の存在は足枷あしかせにならない。いや、彼女がいてくれるからこそ、少年は実力以上の力を発揮できる。


「ただ、なぁ」

 目標が目視できない、というのは辛い。どこに向かっていけばいいのか、時々分からなくなってしまう。それでも目に見えているのに届かないのよりは、気力は保ってくれる。

 旅の果てに、何もない荒野が広がっていたとしても。少年にはそれも見えていない。実際に行ってみなければ、どんなところかは分からない。だから、信じていられる。きっと、少年の仲間がそこで待っていてくれるのだと。


 見えないからこそ、信じられるのだ。


 ここで、もし望みを絶たれるような景色を見てしまえば、気力も体力も一気に尽きてしまうんだろうなと考えてしまって、少年は震え上がった。


「だめだな、今日は。寝れそうにない」


 眼前には漆黒の海が広がっている。波音は静かで、心地よい。本来であれば良い子守唄となってくれるのだが、少年の心はざわついて仕方ない。


 先程から寝てしまおう、寝てしまおうと思えば思うほど意識がはっきりとしていく。どうしても、不安やら恐れやらネガティブな感情が浮かんできてしまう。

 それならいっそのこと、とことん考えてみてはどうだろうか。自分に嘘をついて、弱音を隠して、泳ぎ続けるのよりは吐き出したほうが精神的に楽だろうと少年は思った。


「もし、誰もそこにいなかったら。そうだな……、いっそのこと、どっかの島で王国でも作ってみるか」


 楽園は探すのではなく、創り上げてしまうもの。完成した暁には、国王として君臨してやろうと少年は野心を燃やした。


 それなら、進捗もはっきりしている。どれだけ大変なことでも、目に見えて完成していく。それなら、最後までやり遂げられそうだ。

「そうすると、オレは嫁さん探しの方を先にやらなきゃいけなくなる。王妃のいない王様はかっこ悪いしな」

 今まで色々と理由つけて延期してきた伴侶の探索。本腰を入れて見つけてこないといけないと、少年は未来の結婚生活を頭に描いた。


「でもなぁ、見つかるかな、いい人」


 正直、泳ぐのと比べて、そっちの方は自信がない。昔、何度か挑戦してみたこともある。誰も本気で考えてくれなかった苦い思い出が少年の内によみがえってくる。


「……待てよ。もしかしたら」


 妹に先をこされるかもしれない。


 そんな可能性を見出した少年は額に汗をかく。妹の実力は未知数だ。彼女は少年と違って、相手探しをした経験はない。

 先程の話ではないが、少年は難しさを知っているからこそ自分を信じられない。妹が伴侶を見つけてくる方が現実的ではないかと思えてきた。


 もし、妹が先に結婚相手を見つけてきたらどうするか。王国の覇権は跡継ぎがいないとのことで、妹一家に奪われるだろう。

「とりあえず、王国は置いておいて」

 普通に考えてみよう。妹をくださいと言ってきた旦那候補が目の前にいる。


 ここは、義兄あにとしての威厳いげんを発揮するべきではなかろうか。


「ははは、なんだそれ」


 ふんぞり返った自分の想像図があまりにもおかしくて、少年は笑った。愉快ゆかいな気持ちになってくる。ようやく気分が晴れやかになってきた。

 これなら気分良く眠れそうだ。


「さて、明日も頑張るか」

 中天の月に挨拶あいさつをして、、彼は眠りにつく。少年がずっと一人言を口にしているというのに目覚める様子を全く見せない妹に愛しさを感じながら。



 人は過ちを繰り返す。

 それは無知が故に、そして未熟な故に。


 そして、その惨禍さんかを忘れてしまったが故に、人は同じ過ちを繰り返してしまうのだ。


 進むために切り捨ててきたもの。

 今もなお我らの隣にあるというのに、人は気づかずに今日も通り過ぎていく。

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