エピローグ - 2

 爽やかな春の香りが漂い始めた三月の初め。


(……僕も泣くべきかな)


 胸に造花のコサージュをつけた洋介は、急に泣き出した藤沢の前で眉根を寄せていた。もちろん、感慨深いものは洋介にだってある。

 しかし、大の大人にここまで感情をむき出しにされると、すっと頭が冷えてしまった。


「正直に言おうか。澤田が挨拶に来てくれるとは思わなかった」


 まぁ、そうだろうなと洋介自身も思う。深く踏み込むこともあるが、基本洋介は傍観者だ。必要がないと、判断した時は後から思い返せば驚くほどに乾いている。

 生徒達に囲まれている藤沢を見て「自分はいいか」と思ったのも事実だ。それでも、その辺をブラブラした後に彼が一人になっているのを見つけて声をかけた。


 とりあえず、ここで個人的に話をせずに学校を去っていくのはさすがに義理がないと洋介は思った。藤沢には世話になったという自覚はある。


 特にこの半年は、時に洋介が鬱陶うっとうしく思うほどに、彼は力を割いてくれたのだ。


「あと、おまえが市大付属に合格するのも予想外だった」

「先生、そこは信じてくださいよ」


 本当に素直な意見を聞いて、洋介の眉はさらに寄った。

 しかし、無理もない。実力テストは最後まで納得できる点数は取れなかったし、進学塾で受けた模擬試験は散々な結果であった。


 合格者一覧に受験番号が載っていた時、洋介は自分の目を疑ったほどだ。


(そういや、それを聞いた時も号泣してたな。この人)


 それも仕方ないことだと洋介は納得する。客観的に見て、三年生の前半の自分は彼にとって相当な問題児だったろうと思うからだ。

 分かりやすい不良の方が御しやすかっただろうな、と洋介は反省する。


「そういえば、親御さんは? 待たせているのか?」

 卒業式から、結構な時間が経っている。藤沢の疑問は当然だ。


「先に帰ってもらいました」

「そうか、誰かと約束でもしたのか」


 洋介は首を横に振る。そもそも友人が少ないのもあるが、ほとんどの卒業生は進路が決まっていない。そんな空気の中に入っていくことは洋介にとって難しかった。

 ちなみに知也は春休みから部活に参加しなければいけないそうで、入寮の準備をする為に足早に去っていった。彼らしく、力強い別れの言葉を残して。


 あと、浮かれてもいられない事情が洋介にある。


「春休みの課題、手をつけなきゃいけなくて」

 合格発表の日に渡された大量の宿題。洋介は早速、進学校の洗礼を浴びていた。


「……まぁ、こっからだな。苦労するのは分かってて受験したんだから」

「はい、頑張ってきます」


 藤沢と別れ、洋介は荷物を置いてある教室に戻る。この廊下も、もう明日から歩かないと思うと不思議な感覚だ。

 色々な思い出が駆け巡る中で、一つ異色なものが頭に浮かんだ。

(う~ん、今出てくるか)

 この廊下でカーラに狙われて逃げた時のことを思い出した洋介は、複雑な気分に顔を歪ませる。


「澤田くん?」

「ふぁい!?」


 そんなことを考えていたものだから、洋介は背中からの呼びかけに異様なほどに反応してしまった。

「ごめんなさい、そんなに驚くとは思わなかったわ」

 振り返ると優香が目を丸くして、洋介を見ていた。


「こっちこそ、ごめん。考え事をしてて」

 落ち着いて優香を見ると、彼女は両腕に何個も袋をぶら下げていた。可愛らしくラッピングされたものが多い。

 ほとんどが軽そうではあるが、中にはずっしりとしたものもある。自分が持つと言うべきか、と考えた洋介に先じて優香が荷物の意味を語りだした。


「後輩の子からもらったんだ。ちょっと重いけど、これもあの子達の気持ちの重さだと思えばね」


 そういう風に言われたら、贈る相手ではない洋介が持つべきではない。


 厳しさは相変わらずでも、最近の優香の態度は明らかに和らいでいた。それを目ざとく見つけた彼女に憧れる後輩達が、ここぞとばかりに優香に付きまといだしたのだ。

 実は優香も踏み込んでくる相手を無下にはできない性格をしているから、何名かは確実に調子にのっている。


(そういえば、前に二年生に睨まれたなぁ)


 今もこうして、真横について他愛もない話をしながら優香は洋介と歩いている。優香が、そうした自然な振る舞いをする相手が洋介くらいしかいないものだから、洋介はその後輩達から嫉妬の対象にされていた。


「知ってる? お父さん、式の途中で中を覗いてたの」

「え、おじさん来てたの? ものすごく忙しいんじゃなかったっけ」

「そう、それなのに合間の時間に来てくれたんだけど……まるで不審者よ。お父さんを知っている先生が見つけてくれたからいいものを」


 表面的には怒っているように見える優香であったが、明らかに口元が緩んでいる。こみ上げる嬉しさは隠せないようであった。


「私、これからお母さんに会いに行かないと」


 優香は玄関にそのまま向かうようだ。靴を履いている間だけは預かっていた荷物を洋介が、彼女にそれを渡す。

(ん?)

 優香はしばらく動かずに、洋介をじっと見ている。何か考えている様子だったので、自然と洋介も静かに待っていた。

 しばらくの間、そんな時間が続いたが「ふぅ」と優香は息を吐いて、いつもの表情に戻った。


「それじゃあね、澤田くん。高校でもよろしくね」

 優香に言われて、そういえばそうだった、と洋介は思い出す。


「うん、またね」


 そう言った洋介の頭に、金色の髪色をした少女の面影が浮かんできた。


(そういえば、あいつの時もこんな感じで言ったんだったな)

 洋介は満足げな様子の優香の背中を見送りながら、そんなことを思っていた。


 あとは特にこれといったイベントもなく家路についた。この後、立ち向かわなければいけない課題のことを考えると気が重い。

(いやいや、あいつにもっとましな人間になるって誓ったろうに)

 直接言ったわけではないが、彼女も頑張っているであろう、そう思うと洋介の気が引き締まった。


 家につくと鍵が閉まっている。

「母さん達。まだ帰っていないのか」


 静まり返った家に入り、階段を上がる。自分の部屋の扉を開いた洋介の頬を、ふわりと風が撫でていった。

「あれ、窓開けっぱ……」


 視線を上げた洋介の瞳孔が大きく開く。力の抜けた手から、ドサッと荷物が落ちた。


「あっ」

 声が漏れた。


 懐かしく思い出すにはまだ新鮮で、しかし、それでも失ったことによる寂しさが心を虐める。そんな光景が、洋介の目の前に広がっている。

 言葉が出てこない。おそらく、自分がその名を呼ぶのを相手はずっと待っている。机に腰掛け、嬉しそうでも、若干の不安に顔を曇らせている彼女の表情をこれ以上険しくするわけにはいかない。


(いやいや、心配するなって。忘れてない。それに、


 動悸が激しくなってきた。その心臓の音に追い出されるように、ようやく洋介は彼女の名を口にすることができた。


「ライツッ!」

「ヨースケッ!!」


 ライツは全力で洋介の胸に飛び込んできた。洋介は彼女を何とか捕まえると、ライツの脇に差し込んだ両手でその体を持ち上げた。


 言いたいことは色々ある。色々あるんだけれども、まず率直な疑問が洋介の口から飛び出した。


「ライツ、おまえ何で縮んでるの?」


 出会った頃のように小さな体。その胸には、首から下げられた鎖の先に付けられた、彼女の髪色を思わせる金色のリングが輝いていた。

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