第46話 約束
気づいたら、カーラを支えていた洋介の手から重さが消えていた。
カーラの姿は、両手の感触と共に消え去っていた。彼女は最初から、ここに存在していなかったかのように静かな時が流れている。
ただ、洋介の記憶にはっきりと残っているのは消える直前のカーラの顔。満ち足りた、穏やかな表情。
笑っているように見えたが、気のせいだったろうか。
(気のせいじゃ……ないと、いいんだけど)
しばらく呆然と座っていた洋介だったが、勢いよく立ち上がった。ズキッと、腰に痛みが走る。
「忘れてた」
この年齢で腰痛持ちにはなりたくない。あまりに痛いようなら病院に行くか、と洋介はゆっくり腰を動かした。そこまで酷い痛みではないようで、安堵の息を吐く。
結界が解けた、ということはしばらくしたら皆が目を覚ますだろう。さすがに事後処理とかで学校は休みになるかな、とまだ静かな校舎を見て洋介は今後を思案する。
ふと、近くにいるはずの少女が静かなのが気になって洋介は視線を動かす。
「ラ」
声をかけようとした洋介だったが、その後の言葉を飲み込んでしまう。
ライツはある一方向をずっと見つめていた。瞬きもせずに、視線を動かさない。
どこか嬉しげでもあり、しかし、それ以上の寂しさが、その嬉々を覆い隠している。そんな複雑な表情をしているライツを、洋介は知らない。
しばらくの間、次の行動を決めかねてライツを見ていた洋介は「ああ」と声を出した。
分かってしまった。彼女の表情の意味を。
(そういや、井上さんにも指摘されたっけ)
あなたに何か隠し事をするのは難しそうだ、と優香に言われたことを洋介は思い出す。優香にしてみれば、洋介の察する力の鋭さに対して、感嘆を込めた言葉であった。
今もこうして、ライツにすらよく分かっていない彼女の感情を読み取ってしまった。分かったからには、自分が何か言ってあげないといけないと洋介は思う。しかし、不意に襲われる喪失感に言葉が出てこない。
(もう少し、鈍感だったらいいのになぁ)
知らないふりができたなら、なんと幸運なことか。自分を傷つけなくてすむ。でも、それではライツに選択の重さを背負わせることになる。
これからの彼女のことを考えたら、言うべき言葉は決まっていた。
(……あの子もこんな気持ちだったのか、な?)
桔梗と別れた頃が思い出される。今も、彼女の本心は分からない。おそらく、当時の洋介では、事情が何も理解できなかったであろうから詳しく話さなかったのだと洋介は思う。
それでも、別れ際のこちらを案じるような表情は彼女にしては珍しかったから、洋介ははっきりと覚えていた。
あの時、せっかく桔梗が自分を想ってかけてくれた言葉を洋介は忘れようとした。しかし、今なら信じることができる。
受け売りだけど、使わせてもらおう。
洋介は精一杯の笑顔を作って、ライツに呼びかけた。
「呼ばれてるんだろ、ライツ」
「……えっ」
色々と思案を続けていたライツは、洋介の呼びかけに一瞬気づかなかった。ライツが彼の方を見ると、洋介は笑って何度か頷いている。
「お母さんか、それとも他の子か知らないけど……迎えに来たんだよな」
その通りだ。この体になってから受信性能が上がったのか、仲間が発する信号をライツは受け取れるようになっていた。
おそらく、ずっと呼び続けていたのだろう。必死なその呼びかけは、悲痛ささえ感じ取れる。
(あれはルーミかな)
その呼びかけに答えれば、彼女はきっとすっ飛んでくるだろう。
(でも)
しかし、それは洋介達との別れを意味していた。
ライツは最早、何も知らなかった頃の自分とは違っていた。母がライツを窮屈な世界に閉じ込めていた理由も、仲間の星妖精がどこか遠巻きにライツを見ていた気持ちも、何となく理解できてしまっていた。
(きっと、もう出してもらえない)
自分はどこか、他の星妖精とは違う変な存在なのだろうとライツは思っている。それでも、比較的自由にさせてもらっていた。こんなことが起こったあとでは、自分の扱いがどうなるかライツには想像つかない。
それでも、自分は戻らなくてはいけないと思う。自分が戻らないことで、何かが壊れる強烈な予感がライツに襲いかかってくるのだ。
母から受け継いだ力の影響だろう。それが間違いないことをライツは自覚している。
それでも、それでも……。
帰る決断をすると失われる、洋介達との時間が狂おしいほどに愛しいのだ。
「なぁ、ライツ。ちょっと聞いて」
洋介はそんなライツの葛藤を察して、彼女の背を押す言葉を言おうとしている。
寂しさはもちろん、あった。しかし、ライツの今後を考えれば、仲間の元へ戻るべきだと洋介は思う。
「お互い、忘れさえしなければさ。また会えるんだ」
それ以上に再会を信じていた。
今なら、あの時とは違う。心の底から信じることができる。
「おまえだって、僕のこと忘れないだろ? 僕は絶対忘れない。だって……」
涙を流してはダメだ。ライツの足を引っ張ってしまう。
洋介は力強く、ニカッと笑うと右拳を突き出した。
「友達だからなっ!」
洋介の一言に、ライツの瞳孔が大きく開く。
「友達……」
ライツの発するその言葉が、初めて意味を持った。
母から「トモダチ」の存在を聞いて憧れた、そんな音の羅列とは違う。はっきりと、熱を持った言葉になった。
「そっか、友達なんだ。洋介は」
友達とは、手に入れるものではなかった。すでに側にいたし、これからもずっと心の中にいる。
洋介の存在が、無限大の勇気をくれる。もうライツに怖いものはなかった。
フワリと、ライツの体が浮き上がる。
「洋介、あたし戻るね」
「うん、気をつけて」
ライツの力みのない、自然な言葉。洋介もつられて、まるで短い旅行に向かう相手に言うような気分で言葉を返した。
ライツの体が光りに包まれる。彼女はもう一度、しっかりと洋介の方を見る。ニッコリと、微笑んだ。
「洋介」
今生の別れになる覚悟はない。絶対に、また洋介に会いに来るという覚悟ならしている。これまで一度も言っていない我儘を、母親に思いっきりぶっ飛ばしてやろうと思っている。
だから、これは「さよなら」ではない。
「またねっ」
「ああ、またな」
今度もつられて、洋介が右手を上げる。その様子を確認してから、ライツは光となって空へ昇っていった。
「仕向けたのはこっちだけどさ。もうちょっと、名残惜しそうにしてくれても……」
洋介はすぐに見えなくなったライツが消えた方向をずっと見つめている。
「まぁ、あいつらしいか」
おかげで涙は引っ込んだ。ずっと上げっぱなしだった手を下ろす。
「そうだな。今度会う時までに、もうちょっとましな人間になっとかないと」
洋介はそのまま、意識を取り戻した教師に声をかけられるまで、ずっと青い空を見上げていたのであった。
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