第45話 乾き潤って

お母さんっマンマッ!」


 急に目の前で叫ばれた少年は目を丸くしていた。しかし、すぐに表情は安堵に変わる。

「良かった」

 心の底から出た言葉を聞いて、カーラの意識は一気に覚醒した。


 目の前には洋介の顔越しに見える真っ青な空。その蒼を見れば、全てを察することができた。


(そうか、自分は敗けたのか)

 悔しさもなく、すっきりとした心持ちの自分に、カーラはなぜか納得できていた。


 それにしても、自分はどんな体勢でいるんだろうか。顔を覗き込んでいる洋介を睨みつける。

「酔狂なやつだ」

 ジトッとした呆れ目と視線の合った洋介は気恥ずかしくて顔をかいた。


 カーラの体はひどく脱力している。立とうと思えば立つことができるだろうが、その気すら起こらないほどに。

 眠らせた相手と繋いだ線も切れてしまっているから力は流れ込んでいない。その相手も、しばらくすれば目覚めるだろう。

 あらためて、抵抗する方法を失ったことをカーラは悟った。


 あの時、ライツが放った光に飲まれて意識を失ったのだ。そして、その後しばらく目覚めなかった自分をどうやら洋介がずっと抱きかかえていたらしいことを知ったカーラの率直な感想が、先程の一言だ。


「酔狂……まぁ、そうなんだけど」

 なぜそういう行動を取ったのか、洋介もよく分かっていない。


 ライツの術の効果により、カーラの術が無効化された。結界が晴れ、青空が見えた瞬間に自分の足がとてつもなく軽くなったことを洋介は覚えている。

 同時に、落下してくるカーラを目の当たりにした時に体が動いていた。落下地点まで走ったはいいが、カーラの質量は人間程度はあったために支えきれずに下敷きになったのが現状である。


 まだカーラには浮力が残っていたし、ゆっくりと落ちてきたから間に合ったが、最後の最後で格好がつかなかった。洋介は正直、女の子一人を抱えられなかった自分の細腕を恥じている。


(体、鍛えよう)


 腰が痛くて動けないので、そのままカーラの上半身を地面につかないように支えていた。その分、洋介の制服は土にまみれているが。


「まぁ、いい。それよりも」

 先程からチラチラとこちらを覗き見ている瑠璃色の瞳がカーラは気になっていた。

「星の姫、貴様は何してる?」

 こちらは抵抗する気力が一切無くなっているというのに、様子を見ているライツに堪えきれずにカーラは声をかける。こうしている間も、カーラは寝転がったままだ。


「え、えっとね」


 カーラから声をかけられるとは思っていなかったライツは慌てている。

 おかしなものだ、とカーラは思う。対峙していた時は恐怖すら感じた金髪の少女が、落ち着かない様子でそわそわしているのを見ると庇護欲ひごよくにかられる。ライツの純真な精神性が、今のカーラには伝わっていた。


 しばらく視線を泳がせていたライツだったが、意を決してカーラに駆け寄る。そして、その右手を差し出した。


「これで、あたし達トモダチになれるかな?」


「「……はい?」」

 あまりに予想から外れた言動に、カーラと洋介の声が重なった。


 特に、カーラの困惑は激しい。

 あれだけの大技に直撃したというのに、カーラの身に傷一つついていない。その事実が、ライツにカーラを傷つける想いがなかったことを示唆している。カーラも、今ならそれはよく分かる。

 しかし、カーラはライツを本気で排除しようとしていたのだ。そんな相手に、事もあろうに友達という言葉を使ってきた。


 それが、カーラは理解し難かった。


 対して、洋介は何か思い出せそうで首を捻っていた。倒れている相手に右手を差し出すライツに既視感を覚えたのだ。


 どこかで見た覚えがある。それはどこだったろうか。

「あっ」

 母の前に座ってテレビに釘付けになっていたライツを思い出す。途端、洋介はあまりのおかしさに吹き出していた。


「はははっ! そっか、そういうことか。おまえ、ずっと勘違いしてたんだな」


 洋介に笑われたことで自分がおかしなことをしていると気づいたライツだったが、何が違っているのか分からずに小首を傾げている。目線の上で爆笑している洋介を見るカーラの表情はさらに困惑の色が強くなっていた。


 ずっと、洋介は心に引っかかっていた。いくら、自分がカーラを止めたいと思ったからと言って純粋なライツに何て残酷なことを頼んでしまったのだろうと。

 だから、戦うライツを何とか助けられないかと奔走したのも、そんな罪悪感もあってのことだ。自分はライツの信頼を利用してしまったのではないかと、ずっと気がかりだった。


 もちろん、そういった面もあったろう。しかし、ライツは本当にやりたいからカーラに立ち向かっていたのだと洋介は今になって理解した。


 友情。それをライツは「敵対した者達が全力で殴り合った後に芽生えるもの」と誤解しているのだ。


(こいつ、そんなにあのドラマ気に入ってんだ)

 確かに実際にありえることであろうが、それにしてもライツは信じ過ぎである。他の方法を教えてあげないといけないと洋介は笑いながら思った。


 そんな二人を見ながら、完全に毒気を抜かれたカーラはもとの冷ややかな視線に戻っている。


 そんな彼女の両腕に、ぐるっと何かが巻き付いた。

「ん?」

 カーラは視線だけ、自分の右腕に向けた。そこには黒い縄がギュッと彼女の腕を縛り付けている。左腕も同様だ。

(そうか、結界がなくなったからな)

 カーラの位置を把握した闇妖精の誰かが仕掛けた術だということを、カーラは慌てることなく認識する。


 その縄から感じる意思は、カーラを連れて行こうとするもの。

 カーラが逃げ出そうとすれば解けるほどの緩さであったが、相手も彼女の心境の変化には気づいているのだろう。それほど強く縛り付けていない。


(ああ、連れ戻すって言うなら反抗はしない)

 生まれてからずっとカラカラに乾いていたカーラの心は、初めて満ち足りていた。闇妖精の領域に戻ったら、おそらく処刑されるだろう。

 それでも、今生の命はここまででいいかと思えるほどにカーラは満足していた。


(たとえ、幻だったとしても。母の顔を初めて知ることができた)


 それだけで十分だった。


(それでも、望むとしたら)


――これで、あたし達トモダチになれるかな?


 勘違いだったとしても、ライツの言葉に少し嬉しさを感じたのは事実だった。

 ここまで自分と向き合った者をカーラは知らない。今に至るまで、ただ真っ直ぐにカーラの心に深く踏み入ってきたのは彼女達しかいなかった。


(できるなら、このような友を私も……)


 転送されていく己の体が消え去るまで、カーラは二人をずっと見つめていたのだった。

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