第40話 彼女との距離

 ライツが幻を打ち破り、カーラのいる空へと再び飛び立った頃。


「くそっ、ホント勘弁してほしい」

 洋介は急に感覚が薄くなった右足を引きずりながら、校舎の壁に体を預けていた。

「ああ、もう。面倒くせぇ!」

 思うように動かない自身への体に苛立ち、洋介はまた口が悪くなっていた。余裕がない証拠であるが、今の洋介に余裕なんて作れるはずがなかった。


 動悸は収まらないし、呼吸は荒いままだ。ちょっと動くだけで汗が吹き出す。

 右の膝から下が、まるで一本の棒にでもなったかのようにブラブラと頼りない。右足の裏が地面についている感じもしないのだ。


 先程から、油断をすれば洋介の心が暴れだす。


 そんなに頑張ったところで自分には何もできない。もうダメだと諦めてしまったほうが楽になるだろうに。さっきから体の動きが鈍いが、ひょっとして限界に達してしまったのでは。無理やり動かしていたらバラバラになってしまう。


(うっさいなぁ、ちょっと黙ってろって)

 自分自身に怒りの言葉をぶつけて、湧き上がってくる負の感情にフタをする。本来であれば生き長らえる為に存在する本能が洋介の足を引っ張ってくる。


 恐い。怖い。無理だ。無駄だ。止まってしまえ。倒れてしまえ。


 そんな感情が襲ってくる度に、洋介はライツの顔を思い出して耐えていた。どれだけ心が壊れそうでも、体が悲鳴をあげても、どんなに頑張ったところで結局は追いつけなかったとしても。

 洋介にはたった一つ、強固な想いがあった。その想いが奈落に落ちそうな洋介を、ギリギリのところで踏みとどまらせていた。


 思い出すのは、ついさっき見た光景。

 想いを託した後のライツが気になって校庭を覗いた。その時に感じた驚愕きょうがくが、洋介の心を奮い立たせている。


 驚いたのは人智を超えた攻防を見たから、ではない。

 見ようと、見なければいけないと、洋介が意識しなければ、途端にかすんでしまうライツ達の姿にだった。


――本来、わし等と汝等は途方も無いほど離れておるからの。


 今更ながら、桔梗の言葉が胸に突き刺さる。洋介とライツの距離が近くなっている、その現状が奇跡的なことを思い知った。

 ライツが力を発揮すればするほど、それは人間から離れていくことを意味する。そうなれば、洋介の視覚で捉えられなくなっていくのだ。


(見えなくなるって、あんな感じなんだろうな)


 もし、本当にライツ達との距離が絶望的なまでに離れてしまったら。

 彼女がたとえ側に居たとしても、自分の為に頑張っていてくれたとしても、洋介には認識できなくなってしまう。


 それは嫌だな、と洋介は素直に感じる。そして、同時に。

「今はまだ、その時じゃない」

 洋介は気合を入れ直す。まだ手を差し出せば届く距離にいるのなら、全力でこの手を伸ばしてやろうと彼は前を向く。


 どれだけ心が弱ったとしても。すぐに壊れてしまう体を持っていたとしても。

「何かできるはずなんだよ」

 奇跡的に運命が交わったが故に出会えた友達の為に、何かしてあげたいのだ。その想いがかげらなければ、洋介はどれだけ心身をむしばまれようとも、決して折れることがない。


 カーラの結界も、洋介の意識を刈り取ることを諦めたのだろう。洋介の肉体に、直接手を下してきた。

「……今更、効いてきたかな。あいつの術」

 結界のいましめによる、神経系の圧迫。それが、右足に感じている違和感の正体だ。最初はつま先、そして右膝まで洋介は自由を奪われている。


「急がないと」

 この違和感が頭まで上ってきたら、自分の想いがどれほど強くとも気絶してしまう。洋介はそんな無慈悲な確信を持っていた。


「あのとき、僕は何をしたんだっけ」

 桔梗の言葉を思い出したと同時に、洋介は彼女との思い出の一片も思い出していた。それは、洋介にとって暗闇に差し込んだ一筋の光明。この現状を打破できるかもしれない希望であった。


「僕も使えるはずなんだ、あの子の術」


 洋介に人間と妖精族の違いをさとした桔梗の言葉。それは、幼い洋介に我儘わがままを言われた桔梗が面倒臭そうに彼に伝えたものだったのだ。


 母親に化けるという悪戯を桔梗に仕掛けられた洋介は、腹立たしさから桔梗に詰め寄った。自分にも使わせろ、と。

 それで仕返しをしてやる算段だったのだが、今思い返せば悪戯の首謀者に教えてもらうことじゃないなと洋介は思い返す。


 そして、さすがにそこまで洋介が怒るとは思っていなかった桔梗は、尊大な態度を崩して、優しく穏やかに人間の体には向いてないことを伝えようとした。


「それでも、僕は諦めきれなくて」

 食い下がる洋介に、渋々といった様子で、人間でも使える可能性のある術を桔梗は教えてくれたのではなかったか。


 出てきそうで出てこない記憶に洋介は頭を叩く。

「ああ、もう。ここまで思い出したのに肝心なところ覚えてないんだから」


 それは幼いが故に結果しか興味がなかったからか。それとも、一度は桔梗との思い出を全て捨ててしまおうと思った自分への罪なのか。

 おそらく両方だろうな、と洋介は思う。


 少し落ち着いた方が良いかもしれない。そのまま眠ってしまいそうで怖かったから、ずっと歩いていた洋介はその場でしゃがみ込む。

「何か、きっかけがあれば……」

 洋介は顔を上げた。


「ん?」


 その目に、キラリと光が入ってくる。この暗い世界で、なおも輝く塊。


「なんだろ、アレ」


 妙に気になった洋介は体を前に倒し、四つん這いになって光源に手を伸ばした。

 怖さはない。穏やかなそれは、安心感すら覚える。こんな光を最近見たなと思い出し、洋介はぐっとその欠片を掴み取った。


 温かい。そう感じた右手を、洋介は眼前まで引き寄せて、その手を開いた。

「これって」

 洋介には何なのか、判別がつかない。それでも、理解できることがある。


「ライツの、だよな」

 暗きおりの中、洋介にまで届いた光。ライツの羽根から溢れた輝きに、その欠片はよく似ていた。


 洋介の手にあるのは、カーラによって斬り裂かれたライツの杖。彼女の手を離れても、なおも辺りを照らそうときらめいている。

 視線が低くなったことで洋介は気づいたが、同じ穏やかな輝きが周囲に点在していた。


「あっ」


 思わず、洋介が声を上げた。バラバラだったピースが、一つの絵を目指して集まっていく感覚。

「思い出した。そうだよ、そうだった」

 洋介は興奮気味に立ち上がる。右足で踏ん張りきれず、体が折れそうになるも何とか姿勢を正した。


「集めよう。そうだ、5つ見つけることができれば!」


 洋介の気分は久々に高揚する。引きずる右足は、もう気にならない。

 桔梗との思い出を取り戻した嬉しさ。そして、ライツの助けになれるかもしれないという期待感。それで胸がいっぱいになったのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る