第39話 剛者の膂力

 ライツが妙な動きをしているのに気づいたカーラは舌打ちをする。

「やつめ、何をしている?」

 ライツが何かしらの術を発動させたのには感づいた。しかし、それはカーラに向かって直接働きかけるものではない。

 むしろ内に、ライツ自身にかけたものだ。その効果までは、さすがに判別がつかない。


「しかけてくる気か」


 ふぅ、とカーラは大きく息を吐く。どのような事態になったとしても、もう後手に回ることのないようにライツの一挙手一投足に注意を払っていた。


 カーラがそんな思いで見下ろしていることに気付かず、ライツは顔を真っ赤にしながら踏み潰されそうになっている状況にあらがっていた。

「むむぅ」

 上からの圧力を押し返そうと、ライツは全力で踏ん張っている。彼女の四肢が千切れそうなほどに痛む。ギチギチと、鳴ってはいけない音を全身が出している。

 それでも、何とか踏みとどまっているのは彼女の腰に輝く三連星の加護があるからだった。


獅子を屠りし蛮勇の剛者オリオン』、そこに込められた意思は純粋な膂力りょりょくの向上だ。


 三つの星を起点として、ライツの力を全身に巡らすことで身体を強化している。今の彼女は、神話に出てくるような、それこそ幻が生み出したカーラみたいな屈強な巨人を彷彿とさせる剛力の持ち主となっていた。

 これが、もしカーラの術に対抗する為のものであればカーラは冷静に対処できたであろう。しかし、『獅子を屠りし蛮勇の剛者オリオン』は、もともと持っている力の転換に過ぎない。ライツが持っている力の総量は変わっていない、そして力を放出する様子も見せていないのであれば、カーラにそれを感知する能力はない。


 ベルトの星がチカチカと点滅する。

(まだだ、足りない、もっともっと)

 ライツの意思に呼応して、その働きをさらに活発化させる。


「ふんにゅうぅぅっ~~」


 歯を食いしばる。今までグランドに押し付けられていたライツの足裏が初めて浮いた。すぐに再び大地についたが、その一瞬の動きで、ライツはより力を込められる体勢を取ることができた。

 ライツの想像に、もう無様に逃げ回っている瀕死の自分はいない。巨大なカーラをひっくり返す、彼女の頭にはそんなイメージしか映っていない。


「んしょっ!」


 気合の一声をあげて、ライツは立ち上がる。幻影のカーラの足裏は、見事に浮き上がった。そのままライツは力を振り絞って、それを天空へと押し上げた。


 ぐらりと、自らの幻影が倒される映像が現実のカーラに伝わってくる。

「まずい、返される!」

 ライツに繋げた線から、逆流してくる呪い。ライツは真正面から、文字通り力業で呪いを打ち返したのだ。


 とっさに線を断ち切るカーラ。しかし、それは同時にライツの目から幻が消えることを意味していた。


「はぁ、はぁ、はぁ」

 カーラの幻影を跳ね返したライツは、さすがに疲れから肩で息をしていた。腕も足も痙攣けいれんして震えている。体中に痛みを感じつつ、それでもライツはすぐに体を起き上がらせて天を見上げた。

「見ぃつけたっ」

 にかっ、と笑ったライツの目に見下ろす現実のカーラの姿が映った。


 まだ『獅子を屠りし蛮勇の剛者オリオン』の効果は続いている。持てる力の全てを注ぎ込んでいるから、今は他の術を使うことはできない。

 しかし、それならそれで何とかできるはずだとライツは本能が命じるままに行動を開始した。

「グーでいくよ」

 腰を落として、姿勢を低くする。獲物を狙う狩人のように。握った拳からは震えが消えていた。


 ライツが地面を蹴る。

「なっ」

 カーラは絶句する。先程まで注視していたはずのライツの姿が消えた。

(いや、消えてない!)

 反射的にカーラは空中を一蹴り、後ろに飛び退いた。


 ヒュッ、と切り裂くような鋭い風がカーラの眼前を通過する。その風は、ライツの振り上げた右拳が作り出したもの。この一瞬でライツはカーラのいる高さまで上昇し、さらに攻撃をしかけていた。

(ありゃ、外れた)

 そう、ライツは消えたのではなくカーラが見失ったのだ。カーラの認識から外れるほどの速度で、ライツは自在に動いている。


 急加速から急停止。そして、さらに再加速。

「えいっ」

 ライツは右足で回し蹴る。自身の左脇腹を振り抜くように繰り出されたそれに、カーラは何とか反応して腕で受け止めた。

(くっ、重い)

 衝撃にカーラの息が漏れる。腰より上が持っていかれそうになる。このまま耐えるよりは飛ばされた方が傷が浅い。そう判断したカーラは、そのまま勢いよく弾き飛ばされていった。


 しばらく宙に飛ばされ、速度が弱まったところでカーラは羽根を広げた。ぐんとブレーキがかかり、ようやく止まることができた。

「ふう」

 止めていた呼吸を再開するカーラ。じんじんと、蹴られた腕が痛む。しばらく左腕は使いものにならないだろうとカーラは奥歯を噛み締めた。


 同時に、ライツのベルトがパチンと音を立てて壊れてしまった。

「おっ」

 体から力が抜けるのを感じたライツは、腕をぐるぐると回す。無理をした痛みもすでに消えている。間髪入れず、両手を前方に突き出した。


「流れる星のキセキをここに」


 先程まで光が失せていたライツの羽根が、再び虹色に輝き出す。両手に集まった光を握りしめ、ライツは一度カーラにバラバラにされた杖を再生させた。


 まだ、いける。ライツの表情に曇りはない。


 不慣れな体に、経験したことのない負の感情。それらに振り回されていても、なおもライツの意思は揺らがない。やりたいことをやり通すと決めたのだし、それを自分はできると自分自身を信じていた。


 対して、カーラの表情はどんよりと曇る。自身の切り札ともいえる『貴方に奇怪な幻影をストラーナ・イッルジオーネ』を、技術ではなく力だけで跳ね返してきたライツの底力に改めて恐怖を感じていた。

(さて、どうする?)

 それでもライツが向かってくるのなら迎撃するだけだ。カーラの考えにも変化はない。百年の月日、溜め込んできた鬱憤うっぷんは容易に解消できるものではない。


 しかし、現実的に考えると、カーラに次の手は浮かばない。遠距離はそもそも得意ではない、近距離も先程の速度をライツに出されたら対処できる自信はない。

 なにか、ないか。カーラの朱い瞳が輝いたとき、一つ突破口になるものを彼女はライツの変化から見つけ出した。


「なるほど、な」

 口端を歪めるカーラ。彼女の視線の先には、ライツの虹色の羽根があった。星妖精の命そのものである羽根は、今も美しく輝いている。


 しかし、その光に若干の陰りがあることにカーラは気づいたのだ。


(確かに、星の数も相当減っているな)


星使いティンクル』の異名、それは虹色の羽根に蓄えられた力があまりに多く、溢れ出た力が粒子となり塊となって、星のように持ち主の周囲を飛んでいることに由来する。その名はライツの母が持っていたものだが、ライツもその名に相応しい姿をしていた。

 伝説を思い出したカーラが恐れたほどのライツの星であるが、最初に比べるとずいぶん数を減らしていた。


 冷静になってみれば、カーラにも予想がつく。ライツは、ずっと呼吸をせずに走り続けているようなものなのだ。


 本来であれば、自然から力を補給することができる。どんな世界であれ、どんな属性であれ、力はそこら中に満ちている。力を無くした世界は滅ぶだけなのだから、生物が存在する間は補給地はどこにでもあるのだ。

 しかし、今ライツはカーラの作った結界の中。辺りに存在した力は、全てカーラの味方である。


 ライツはそんな状況で、自分の中にもともとあった力だけでカーラと渡り合ってきた。それは凄まじいことであるが、さすがに限界が近づいてきているようだった。


(少々、消極的だが)


 真綿で首を絞めるように、ライツには苦しんでもらおうか。カーラは妖しく微笑んだ。

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