第1話 流れる星の少女

 ――数多あまたの神々の住む天上界、有機の者が命をつむぐ地上界。我らが妖精界はその狭間はざまにあり。苦しみもなく、痛みもない。まさに楽園。

 そんな楽園が、かつて灰色に塗りつぶされたことがある。その様は、まさしく世界の終わり。絶望が大地を支配した。

 しかし、私達には希望が残されていた。うるわしきはねを持つ彼女は、無数の星を従える。そのはねから零れる星々で、荒野に虹をかけていった。

 そうして、灰色に染まった世界は、再び色を取り戻したのであった。


「かくして、その星をまとう姿から彼女は『星使いティンクル』と呼ばれ…………はぁ」


 そこまで話して、ルーミは大げさに溜め息をついた。


 ようやく、自分の声に寝息が混じっていたことに気づいたからだ。すぅ、と息を吸い込む。そして、一気に声とともに吐き出した。


「ライツ!」

「ふぁい!」


 ルーミの一喝で、すこやかな眠りに落ちていたライツは飛び起きた。


 起き上がった反動で、彼女の金色の髪がふわりと舞う。まるで、光の粒子を生み出しているかのように、キラキラと細い髪が輝いている。横になって眠っていたのに乱れもなく、すっと元の位置に戻った。彼女の肩に、髪の先が触れる。

 その瑠璃るり色の目は、未だに寝ぼけて視線が定まっていない。キョロキョロと周囲を見渡した後に、自分をにらんでいるルーミに気づいた。しかし、険しいルーミの表情に対して、ライツのそれはあくまでも朗らかだ。


「おはよう、ルーミ」

 無邪気に挨拶をするライツにルーミは頭を抱えた。

「おはよう、じゃないですよ。もう」


 ルーミは、力強い視線でライツを見据える。ライツの体躯は、ちょうどルーミの顔ぐらいしかない。ライツから見れば、まるで大きな壁が迫ってきているような状況だ。

 そんな、圧迫感のある光景でもライツは意に介さない。にこにこと、ルーミの怒りを受け流している。


貴方あなたが何か話してくれと頼むから話していたのに。その態度は何なんです?」

「だって、ルーミのお話。つまんないもん」


「つまっ」

 身もふたもない感想に、ルーミは絶句する。まるで、直接殴られたような気分になる。

 ルーミはしばし呆然としていた。話すことが苦手なのは自覚しているから、あらためてライツに指摘されて凹んでいるのだ。


 しかし、ライツがつまらない、というのは何もルーミの話術のせいではない。ルーミの話した『星使いティンクル』の伝説。それはライツにとって、聞き飽きた話なのだ。

 大人達はどうやら、その話が好きなようで。ライツの顔を見る度に語ってくる。最初はわくわくしていた物語。それも、さすがに二度目三度目、そして数え切れない程に聞いてしまえば同じ感動は生まれない。それどころか、最初の一言で結末まで思い出してしまって記憶の確認作業になってしまう。

 それは、ひどく単調で、つまらないものだ。


「分かりました。それではつまらなくない話を」

 凹んだ状態から立ち直ったルーミが、目を輝かせている。ライツは嫌な予感がした。ルーミの言う「つまらなくない話」に心当たりがある。


「昔、地上界に大百足おおむかでに立ち向かった武者むしゃがいましてね」

「いぃーーーやぁーーーっ!」


 百足むかで、と言われて間髪入れずにライツは拒絶を叫ぶ。


 ライツは大百足おおむかでがどんな怪物か、知らない。そもそも、百足むかでなどという動物を知らない。それでも、ルーミの話すそれがやけに写実的で、忍び寄る足音とか節を曲げる仕草とか、想像すると実に気持ち悪いのだ。一度、ライツは想像上の大百足おおむかでに襲われる悪夢を見たことがある。

 ルーミは気に入っているのか毎回話そうとしているのだが、ライツからすれば毎回嫌がっているのだから止めてほしいと思っている。ライツは両手で両耳をふさぎながら、頬を膨らませていた。


「もう、ルーミ、キライっ!」

 ふわりと、元いた位置から飛び上がる。服に隠された小さなはねから、体の外へと光が零れる。そして、勢いよく窓から飛び出していった。


「あ、ライツ。どこに行くんですか!?」

 ルーミが声をかけた時にはすでに遅く。部屋には、ライツが残した光の軌跡だけがあった。


「はぁ、まったく。でも、いつものことですね」

 ルーミは呆れながら、立ち上がった。慌てる様子はない。自分から逃げ出すライツの姿を何度見たか分からない。今から追いかけたところで、ライツには追いつけないのも分かっている。いつものように、疲れたら戻ってくるだろう。


 そうして、ルーミは逃げ出したライツを追いかけなかった。この選択を、ルーミは生涯後悔することになる。



『退屈』


 ライツはその言葉の意味を知らない。しかし、今の彼女の現状を一言で表すのならば最適な言葉と言えるだろう。


 彼女の周囲には蒼く輝く野原が広がっている。草花は自らの存在を主張するかのようにきらめいていた。

 そこを抜けて森に入れば、木々の隙間から陽光が差し込んでいた。それは幾重にも折り重なって、おだやかでありながらスポットライトのように激しく光る。大木の足下を力強く照らし出していた。


 もし、この地に住まう者達以外が見れば、そのあまりにも壮大な光の舞台に心奪われることだろう。光と闇、両方のことわりが混じり合うからこそ輝きは増す。


「なんもないなぁ」

 ただ、ライツにとってはありふれた日常の光景に過ぎなかった。そして、この国に生まれた者としては、彼女の好奇心は旺盛おうせいすぎる。他の者はそこまで感じない退屈を、ライツは敏感に感じ取ってしまうのだ。


 妖精界、それは他の世界に住む者達がこの場所を呼ぶ時に使う名称だ。そこにライツはいた。

 隣接する世界から様々な力が集う、そんな土地。その総量によって妖精界は無限の広がりを見せる。事実、果ての無い世界には数多くの妖精達が暮らしていた。


 しかし、自身が認識するものだけを「世界」と呼ぶのであればライツのそれはひどく矮小わいしょうなものである。

 

 ライツは彼女の母から与えられた方針で、外出もよく制限されていた。今日だって、本当はずっとルーミが側にいる日だ。


 物心ついた頃から母はライツを自宅に縛り付けている。それも、ここ最近になって、無断で抜け出したライツをとがめる母の顔は険しさを増していた。

 焦り、不安、そんなものが見え隠れする母の表情。何をそんなに恐れているのか、ライツには全く見当もつかない。


「ママに隠れては、なんかヤだなぁ」

 ただ、ライツも母が本当に心配しているのだだと分かっているから、彼女の命に素直に従っている。そうは言ってもわき上がる好奇心は抑え切れはしないのだ。こうやって、時々は抜け出してしまう。

 

 それでも、もやもやは解消されない。いつも不完全燃焼で、ふつふつと火が残ったままの心をもてあましている。


「トモダチ」


 ふと、そんな言葉が口から出てきた。母のことを思い出していたら、思わず飛び出していた単語。その言葉が出てきた事に、ライツは驚きで目を丸くする。


 トモダチ。その言葉はライツにとって聞き慣れない、不思議な響きを持っていた。だからこそ忘れずに、ずっと心に引っかかっている。


 母も、いつも険しい顔ばかりしているわけではない。優しい顔で、昔話をしてくれたことがある。

 彼女は語った。自分が幼い頃、お互いがお互いのことを信じられる『トモダチ』がいたのだ、と。いつも眉間にしわを寄せて難しそうな顔をしている母が、本当におだやかな表情をしていたのが印象的で、ライツの心にしっかりと刻み込まれている。


 その話から、トモダチとは誰かとの関係性を指すものだということは理解できた。しかし、自身をかえりみてみると納得はできず、首をかしげるばかりだ。そんな存在は、どうしたらできるのだろう。

 仲の良い相手ならば、ライツにだって何人もいる。生まれたばかりの頃から遊び相手として一緒に走り回った相手だっている。

 ただ、誰も彼も母の言う『トモダチ』にはしっくりと当てはまらないのだ。なかよし、とは違っている気がする。


「ライツが子どもで、皆が大人だからかな?」


 この国には子どもは彼女しかいなかった。ライツはそれを不思議とは思わなかった。しかし、やはりゆがんだ状況であるのは間違いがない。

「ルーミもどっか上から目線だしー」

 思い返してみれば、一番仲の良い相手であるルーミからもどこか壁のようなものを感じる。仲良くしていても、時々、突き放されるような気分になるのだ。


「むぅ」


 頬を膨らませて、ライツはふわりと宙を一回転する。視界がぐるりと早回しされると、眼下に蒼く輝く花畑が広がった。

 高度はそのまま、目的もなく地平へと真っ直ぐに向かう。


「ライツも大人になったら何か変わるのかなぁ」

 それでは、自身の成長した姿を思い浮かべてみよう。参考にするのは、自分よりも大きな体をした同族の大人達だ。


 今は肩までしかない髪。それが腰までのびて、金色に輝いている。今は顔に対して大きすぎる瑠璃色の瞳も、シュッとしてかっこよくなるはずだ。

 あとは背中。同族の大人達は、普段は隠していても背中に大きなはねを持っている。今、ライツの翅は服に隠れてしまうほどに小さいけれども、大人になったら同じくらい大きく目立つようになるはずだ。そして、持ち主固有の色に輝く。ルーミの蒼色のはねを思い浮かべて、自分のはね色をライツは思い描く。


 空色も可愛いし、桃色も素敵だと思う。金とか銀とか、はちょっと目立ちすぎるか。ここはあえて、落ち着いた緑色とかどうだろう。


「ふふふふふ」

 とても楽しくなってきた。

 心の加速と共に身体も加速していく。そのまま森に飛び込んだ。鼻歌交じりに、森の木漏れ日とたわむれて。


「……あれ?」

 ライツが気づいた時には、今まで来たことがないほどに深く森に入り込んでしまっていた。


「なんで暗いの?」

 誰もいないのに、誰かに確認するかのようにライツは呟く。


 知らない場所だった。周囲には今まで感じたことのない力を感じ取る。ライツの国にももちろん存在するが、普段は感じ取れないほど微量なものである。

 そんな力が、ここでは彼女の身体を圧迫してくるほどに充ち満ちていた。


 ライツは知らない。ここは闇に近き場所と大人達が呼んでいる場所である。

 妖精界の光と闇の境目であり、存在があやふやだ。双方の力が拮抗しているためか足下さえ危うい危険地帯。その事実を知っている者は、わざわざ近づこうとさえしないだろう。


「え、なに、ここ。すごいっ」


 しかし、少女の好奇心は覚えた見知らぬものへの恐怖心に勝ってしまっていた。

「わぁ」

 少しの不安はスパイスにしかならない。ライツはどんどん奥に進んでいく。見たことがない景色がある、それだけで彼女の幸福感は膨れあがった。


 ふと、暗い眼下に明かりが灯る。

「ん?」

 急に現れたそれに、ライツは首を傾げた。

 

 ゆっくりと高度を下げる。そこにはぽっかりと大きな穴が開いていた。無数の光が穴から飛び出してくる。

 その光に呼ばれるかのように彼女はさらに近寄っていった。光の一つが、ライツの額に当たる。こつん、と質量がないはずなのに、何かがぶつかったような感触をライツは覚えた。

 

「なんか、カタい」


 それはライツの知っている光のどれとも異なる、異質な輝き。視線の奥の方、ずっとずっと遠い場所で生まれたその光は、星のように瞬くことなく一定量の明かりを放っていた。

 しかも、それが一つではない。十、百、いやそれ以上の光源が集まって闇しかない世界を照らしていた。

 息を飲む。こんなものは見たことがない。どきどきが抑えきれない。


「んしょ」

 ライツは、無意識に手を伸ばしていた。あの無数の光に触れることはできないか。どんどん、体が前のめりになる。


 刹那せつな、ドンという音と共に世界が揺れた。

 

「うわっ」

 重心が大きく傾き、ライツは穴に飲み込まれる。

 

 本来、彼女は『落ちる』ことなんてありえない。背中のはねが浮力を生むからだ。

「んぐっ」

 しかし、状況は彼女を浮かせることを許さなかった。


 穴から急に飛び出してきた濃い、あまりにも濃密な気配がライツを取り囲んだ。その瞬間、胸をつぶすかのような痛みが襲い、彼女から全ての意識を奪い去ったのだ。


 ライツを守ろうと、意識の外で身体は光をまとう。ライツは自身が放つ青白い光に包まれて、世界から転げ落ちていった。

 その先が地上界——今は、妖精のことを忘れてしまった人間達が住む世界に繋がっていることも彼女は知らなかった。


 そして、もう一つ知らなかったことがある。その先に、彼女自身の運命を変える出会いが待っているのであった。

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