第4章 後/WONDER WORD

4-7

 生徒会室に戻ると、既に他のメンバーは全員揃っていた。


「一年生クラス展示のチェック、終わりました! 全部問題なしです」


「ご苦労」


 名取会長は満足そうにうなずいてから、あたしに着席するよう促した。


「これで本日中に生徒会としてやれることは全てやりきった。正木、ツネ、キヨ、カワ、それにトモ――ここまで来ることができたのはお前たちのおかげだ。本当に感謝している」


 そう言って、会長は深々と頭を下げた。お辞儀ってこんなに美しいものなのかと思えるくらい乱れのないお辞儀だった。


「本来なら今日のところはさっさと家に帰って鋭気を養ってくれと言うべきところなんだが、残念ながら五十海東高生徒会には悪しき伝統というものがあってな」


「伝統、ですか」


 仲井君が呟くように言うと、会長は制服の胸ポケットから一本の鍵を取り出した。


「それは……?」


「文化祭当日だけの特例で、生徒会のメンバーと文化祭実行員は六時から学校に入って良いことになっていてな。生徒会長が一時的にマスターキーを預かることになっているんだ。セキュリティの観点から見てどうなんだと思わなくもないが、何十年も前に鍵開けの担当教諭が寝坊したことがあって以来、こういうことになっているのだそうだ」


「――悪しき伝統だな」


 何となく状況をわかっているらしい正木先輩が、あくどい笑みを浮かべて言った。


「ああ。悪しき伝統だ。教師たちもこっちがマスターキーを持っていることは知っているから、多少遅くまで居残っていても、うるさいことは言わない。と、言うわけで正木、買い出しを頼んで良いか?」


「りょーかい。仲ちゃんの手も借りるぜ」


「え、えっと。僕は構いませんけど、何をするんですか?」


「わからないか? だよ」


 わぁと可愛らしい声をあげたのは常日で、よっしゃとたくましい声をあげたのが清乃。


「では、買い出し部隊は正木とナカに任せたぞ。残りのメンバーは生徒会室の掃除をしていよう」


 名取会長の持ち味は即断即決。他の執行部役員も少なからずその影響を受けている。あたしたちはだから、すぐに行動を開始した。


 会長と清乃が書類の整理を始めたので、あたしと常日は掃除用具を取りに向かう。


「鮎、今日はお疲れ様」


「常日こそ。やっぱ演劇経験者は違うね」


「そう? 鮎だってすごく頑張ったと思うよ」


 常日にそう言われると満更でもない。


 実際、『至高のトリック』の反響はかなりのものだった。文化祭実行委員たちは幕が下りると自然発生的な拍手であたしたちを称えてくれたし、出番待ちのバンドグループも「いきなりハードルをあげられちまった」と苦笑いをしていた。


 大畑さん――リハーサル開始の直前に駆け込んで来たらしい――にいたっては、ステージを降りたあたしにわざわざ近づいてきて「お前に演劇の才能があるとは思わなかった。それに脚本も良いな。福屋先生と脚本を書いたのは誰なんだろうな、って話をしていたくらいだ」と手放しであたしたちの演劇を褒めてくれた。


「そう言えば、常日はどうして高校で演劇部に入らなかったの?」


「うーん、自分でもよくわからない。勉強と両立できるのかなって、悩んでいるうちに何となく機を逸してしまったというか。名取会長に誘われて、生徒会にも入っちゃったしね」


 積極的にやめようと思ったわけではなかったということか。


「正直、一鯨で演劇をやるって決まったときは微妙な気持ちになったよ。焼けぼっくいに何とかじゃないけどさ。でも、やってみてわかった。私は演劇をやめちゃったけど、ちゃんとやりたいことだってあったんだって」


「やりたいこと?」


「うん。この間、名取会長から生徒会長選挙に立候補するよう言われて、ずっと迷っていたんだけど、決めたよ。私、立候補する――」


 廊下は真っ暗だったから表情はわからなかったけれど、多分常日は――いつになく饒舌になっている彼女は、決意を秘めた笑みを浮かべているのだと思った。


「他のみんなにはまだ内緒だよ」


「わかってる」


 掃除用具を持って生徒会室に戻ると、名取会長と清乃が大学ノートを眺めているところだった。


「おう、遅かったな」


「すいません。ちょっと常日と話し込んでいて」


「気にするな。こっちも書類の整理が終わったのでちょっとだらけていた」


「何を見てたんですか?」


 常日が尋ねると、清乃がにっこり笑って「生徒会の会議録だよん」と答える。


「なついよねー。神託とか、もうすごい昔のことのような気がする」


 言われてみれば確かに。


 あたしは清乃の横に回って、一緒にノートを見る。書記の仲井君は字がとても綺麗でちょっと羨ましい。


「そう言えば――とうとう名乗り出なかったね」


「脚本家のこと?」


 あたしが尋ねると、清乃はこくりとうなずく。


「でも私は会長がこの脚本で行くって決断してくれて良かったなって思ってる」


 そう口を挟んだのは常日だった。


「まーねー。それは同感」


「あたしも」


「はは。お前たちそう言ってくれると、私としてもほっとする」


「多分、正木先輩と仲井君も同じことを思っていますよ」


「そうか。なら――明日の一鯨は絶対に成功させないとな」


 けれど、あたしたちが『至高のトリック』を演じることはもう二度となかった。

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