紅玻璃篇:第一章

『【識士(クオリア)】・・・特定の物質を意のままに操り、またその物質を自らの新たな感覚器として用いることで、異常に発達した知覚を持つ超能力者のこと。名前の由来は人が持つ感覚(=眼、耳、鼻、舌、身、意)を自在に操ることによる』


 辞書を引けばおおかたこのように定義される、『現代の魔法使いたち』がいた。

 かつて人が神や精霊といった精神体に近しかった時代、ある者はそれらと合一して魔術師や仙人と呼ばれる超常の存在になった。

 やがて時代が下り、徐々に生活や文明の中心からそれらの精神体が消え、溢れる物質モノがそれに置き換わるようになると、かつての魔術師らと同じように、それら『物質』と合一する術を編み出す者が現れた。こうして産業革命以降、古くからの魔女たちと置き換わるようにして、新たなタイプの魔法使いが増えていったとされている。


 こうして近世以降になって現れた識士クオリアたちだったが、その力は今日の物質文明の中においては、かつてのまじない士などとは比較にならないほど大きなものとなっていた。


 新素材の研究開発。

 自然災害の予知・防止。

 諜報や工作活動。

 「生体兵器」としての軍事利用。

 

 その力は巨万の富を生み、人々の生活を支えたが、使い道によっては多くの血を流し、深刻な社会不安にもなっていた。ありとあらゆる分野で華々しい活躍(あるいは暗躍)を遂げる彼らは、産業界、財界、時に政治にすら影響を及ぼす存在感を持ち始めていた―――


(……以上、第一章 第一節、と)


 そう書かれた教科書の序章から目を離し、誓は車窓の外の景色に視線を移す。

 大僧正から言われる通りに荷物をまとめたり身辺の諸々の整理を済ませ、総本山を下りたのが今朝のことだ。バスや電車を乗り継いではや3時間、ようやく目的地に到着しようとしていた。


私立古宮ふるみや学園高等学校、全日制識術しきじゅつ科。識士クオリアの能力養成と共に、高卒資格も取得可能……ってことらしいけど……)


 暇つぶしにめくっていた教科書の替わりにバッグから取り出したのは、これから転入することになる学校の入学案内のパンフレットだ。しかし。


(大丈夫か、この学校……?)


 誓の不安も無理からぬことであろう。それはどう見てもきちんと印刷所で刷られたものではなく、個人が文書ソフトで手打ちしたものを、市販のプリンターから出力したと思われる安っぽい紙とインクで書かれていた。

 そこに書かれた内容が、これまた不安をあおる。

 識士クオリアの養成学校といえば、潤沢な資金に恵まれたホテルと見まがうような豪奢な校舎、トップアスリートが通う訓練施設もかくはやと思うような設備であることが珍しくないが、そういう教育環境に関する記述が一切ない。

「どんな生徒であっても、歓迎します! 全寮制」という文言は、このパンフレットにあっては胡散臭さしか感じさせない。


 とはいえ、どのような学校であろうと命令であれば迷う余地は無い。誓はため息と共に、足元の大きなボストンバッグに学校案内をしまった。バッグの中には着替え、わずかな日用品、そして誓にとっては大切な武器である様々な仏具や法具が入っており、かなりの重さになっている。

 身にまとった、濃紺のブレザーとチェックのパンツという新品の制服は気に入っている。サイズをぴったり合わせてくれたようで、動きやすそうだ。頭に手をやると、かつては剃っていた髪も、荒行あらぎょうで山に篭っている間にすっかり伸び、ソフトモヒカンに近いくらいの長さにまでなっている。見た目には、どこから見ても普通の男子高校生だろう。



 最寄の駅に着いた瞬間、誓は思わぬ胸の高鳴りを感じた。大型の百貨店などが立ち並ぶ駅周辺の中心街の喧騒も、駅のホームからかすかに見える海も、山に篭りきりの生活からは縁遠いものだ。無論、たまの休日に他の若い修行僧たちと共に街に繰り出すことはあったが、これからこの街で暮らすということが奇妙な緊張感と期待感を抱かせていた。

「えっと、確か出迎えが来てくれてるはずなんだけど」

 改札を出たところで、重いボストンバッグを抱えなおして周囲を見渡す。同じように出迎えや待ち合わせのために多くの人でごった返す中、誓はその少女を見つけた。


 誓の制服と同じデザインの、濃紺のブレザーにチェックのスカート。女子にしては長身で、すらりと伸びた足には紺のハイソックスとローファーを履いている。駅の柱にもたれかかり、スマホをいじる姿はありふれた女子高生のものだが、サイドポニーテールに結った艶やかな髪、意思の強そうな目と鼻梁の通った端正な顔立ちは、道行く若い男性たちの足をつい止めてしまうほどのものだった。

 思わぬ美少女にやや気後れしながら、誓は声をかける。

「……あの、古宮学園の人……だよな?」

「そうだけど?」

 綺麗だが、遠慮のない声。少女はスマホをしまうと、誓の頭の先から足の先までをじろじろと眺める。

「あんたが転校生? ふーん、結構使えそうじゃん」

 誓の識士クオリアとしての能力を察知しての一言だろう。それが分かるということは、この少女自身がかなりの使い手という証左でもある。 

「ついてきて」

 少女が案内したのは、駅に併設された駐輪場だった。そこに停められた水色の原チャリ、その座席からヘルメットを取り出し、誓に投げ渡す。

「乗って」

「お、おい、2ケツかよ?」

 なんと荒っぽい送迎だろう。周囲に警察がいないか、気が気ではない誓だったが、少女は構わずに発車させた。


「……チッ、この先にパトカーいるから回り道するわよ」 

 視覚化ビジュアライズで周辺を察知しているのだろう、少女の操る原チャリは、確かに誰に咎められることもなく、順調に進んでいた。

 海岸に近い駅を離れ、山のほうへと坂道を登っていく。4月も半ばを迎えて花の季節はもう過ぎてしまったが、桜並木がどこまでも続くすがすがしいドライブウェイである。並木が途切れ、中心街を一望できる場所に来た時には、

「ここ、景色いいでしょ」

「…………………」

 そう紹介してくれた少女だが、誓はせっかくの景色を楽しむ余裕も無かった。幼馴染以外の女子とはろくに口をきいたこともない身に、身体をほぼ密着させた現在の状態はあまりに酷であった。風にたなびく長い髪が、シャンプーだかコンディショナーだか知らないがとにかくいい匂いをさせながら顔をくすぐり、恐る恐る少女のお腹に回した手からは、華奢で柔らかい身体の感触が伝わってくる。

 思わず下半身を後ろに下げながら、ボストンバッグの加重と不安定な体勢の中、誓は落下の危険と自らの煩悩に必死に耐えた。

「(仏説摩訶般若波羅蜜多心経、観自在菩薩行深般若波羅蜜多……ッ!)」

「ちょっと、聞いてんの!?」


 やがて見えてきたのは、アーチ状の外門に、精緻な彫刻が施された鉄門。ヨーロッパのカレッジを意識したと思われる、一見してそうと分かる贅沢な普請ふしんの校舎であった。

 駐輪場に原チャリを置き、下駄箱に向かう。

「上履きないの? とりあえず来客用のスリッパ使って」

「ああ」

 言われるままに下足を下駄箱に入れるが、しかしガラガラに空いた下駄箱である。使われているのはほんの数箇所だけで、残りは埃をかぶっていた。果たして生徒数はどのくらいなのだろう。

 ふと、誓は少女の手元が気になった。下駄箱の上にはネームプレートがあり、氏名を書き込むようになっているようだが、少女の名前が書かれたと思しきそれは、黒いマジックで上から何重にも塗りつぶされていたのだ。

「……お前、もしかしてイジメられてる?」

「!?」

 軽い気持ちで言ってみただけだったが、それまでポーカーフェイスだった少女は急に顔を真っ赤にさせた。

「ンなわけないでしょーが!! ほっとけ、このハゲ!!」

「!?」

 今度は誓が顔を赤くする番である。

「オレは確かに髪は短いがハゲじゃねぇ!! なんだよいきなり!?」


 どうやら、ひどく機嫌を損ねてしまったらしい。少女は無言になると、足早に歩き出した。重い荷物を背負った誓にはきついペースだ。

「ちょっと。ついてこないでよ」

「お、お前案内してくれるんだろ?」

 駆け足で誓が少女に追いつくと、少女はさらに歩みを速める。そうやって抜きつ抜かれつしている間に、二人はいつしか駆け出していた。

「(……は、速ぇぇ!?)」

 荷物を背負っているとはいえ、峻険な山の修行で鍛えた誓の足で本気で走っても、少女との差は縮まるどころか開く一方だった。見上げた運動能力である。

 二人は教室の並ぶ1階を相当なスピードで駆け抜け、階段を駆け上がって2階の廊下に達したところで――――。


「わっ!」

「きゃっ!」

 唐突に、何もない廊下の上で、二人は全く同時に派手に転んでしまった。何かにつまづいたり、足が滑ったわけではない。強いて言うなら、何か見えない力に足を引っ張られたかのような……。

「痛てて…」

「……ちぇっ、そういやこの辺りは、会長の仕掛けたトラップがあったっけ」


トラップ、とは心外ね。『廊下を走るな』の張り紙が見えないのかしら?」


 二人の背後から聞こえた静かな声に振り返れば、そこには冷たい視線で二人を見下ろす一人の少女がいた。

 上背はないが、姿勢が良いせいで長身に見える。少女と揃いの制服に、腰まで届く漆黒のストレートヘアと、同じく黒のストッキング。そして黒が基調の装いとは対照的な、白い肌。眼光鋭い吊り目と、きりりと結ばれた口元には、同年代とは思えぬ威圧感があった。クールビューティ、という表現がぴったりな女生徒である。


「か、会長……」

「遅かったわね、きずな

 絆。それが案内役の少女の名前だろうか。黒髪の少女は転んだままの二人に手を差し伸べてくれた。

「転ばせてしまってごめんなさいね、転校生くん。このが、何度言っても廊下をバタバタ走るものだから」

「あ、ああ」

 体温が低いのか、ひんやりとした感触の手に引き上げられる。話しぶりから察するに、先ほどの転倒はこの会長と呼ばれた少女の力によるものらしい。してみると、この少女も何らかの識士クオリアということか。

「私は御影みかげ紗夜さや。一応、この学園の生徒会長ということになってるわ。この先に先生がいるから、ついてきて」

 そう言うと、紗夜と名乗った黒髪の少女は二人の先に立って廊下を歩き始めた。



「ほ~ら、高い高~い。うっ、重い……っ!」

「ぶにゃぁぁぁぁ」

 職員室の真横に、「生徒会室」というプレートがかけられた小部屋があった。長机とパイプ椅子が並んだその部屋のドアを開くと、そこには一人と一匹の先客が待っていた。

 シックなデザインのロングスカートとセーターを着た若い女性が、丸々と太った黒猫を抱え上げて遊んでいた。

「失礼します。学園長、転校生をお連れしました」

「あ~、二人ともご苦労さまですぅ」

 紗夜の凛々しい声とは対照的な、のんびりした声が返ってきた。


 恐らく3人の生徒の誰よりも小柄な体と、柔和な童顔の女性である。飴色のウェーブがかった長髪が、ふわりと揺れた。

(この人が、学園長……?)

「ルドルフはしばらくお利口さんにしててくださいねぇ」

「なぁぁぁぁお」

 女性に抱き上げられていた黒猫が、机の上に下ろされて濁声だみごえを上げる。こちらは、優に十キロはありそうな巨大な猫である。病気の跡なのか、両目の大きさがわずかに異なっていた。ふてぶてしい顔と緩慢な動作には、なんとも言えぬ貫禄がある。

「はじめまして、皆月誓くん。学園長の古宮ふるみや彩乃あやのですぅ」

「あ、はい。よろしくお願いします」

 慌てて頭を下げる。

「二人はきちんと挨拶は済ませましたかぁ~」

 女生徒二人が顔を合わせる。絆と呼ばれたポニーテールの少女が、ぷいと顔を背けてしまった。

「……こっちは、神崎かんざききずな。少し気難しいだから、あまり気にしないで」

 察した紗夜が紹介してくれたので、ようやく名前が明らかになった。仏頂面でそっぽを向いたまま、絆が言う。

「あたし、名前で呼ばれるのあんまり好きじゃないから。あ、彩乃ちゃんと会長は別だけど」

 転校早々に嫌われてしまったものである。苦笑しながら、学園長がフォローしてくれた。

「だったら、しばらくは『副会長』とでも呼んであげて下さぁい。そのうち仲良しになるんですよぉ~」

「よろしくね、『転校生』!」

 向こうとしても誓を名前で呼ぶつもりは無いらしい。白々しい笑顔と差し出された右手がなんともムカつく。

(ぎゅ~)

「くっ……こちらこそな、『副会長』!!」

 思い切り握ってきた右手(女子とは思えぬ握力である)に顔をしかめながら、誓も(もちろん手加減はしながら)相応の力で返礼した。



 識士団ギルド――――。

 それは、世界中で異端視され、迫害されてきた識士クオリアたちが互助的に作り上げてきた組織である。魔術結社や宗教集団にルーツをもつ、数百年の伝統を誇る組織もあれば、近年になって数人の識士クオリアが結集しただけの所も数多い。

 その形態も様々で、株式会社、学校、NGOに政府お抱えの団体、中にはテロリスト集団すらある。規模の大小や、所属している識士クオリアのランクの差も著しく異なっていた。


 私立古宮学園高等学校――今では想像もつかないが、かつてその名は、国内屈指の識士クオリア養成所として知らぬ者はない名門であったという。自身も高名な識士クオリアであった前学園長は、経営面でも辣腕を発揮し、著名な識士団ギルドからスカウトされるような人材を、数多く輩出していたらしい。

  彩乃が学園を継いでからは経営難のために土地や建物の大部分を売ってしまったため、現在では校舎のごく一部しか見ることはできないが、最盛期には広大な所有地の中に贅を尽くした壮麗な校舎が建っていたという。絆と誓が今しがた通ってきた見事な桜並木は、その数少ない名残であるという。


 順風満帆だった学園にかげりが見えたのは、十年ほど前のこと。

 学園を取り仕切っていた前学園長が、病のせいで五十歳も迎えぬままに亡くなったのだ。運が悪いことに、その頃は折しも規制緩和の影響で、国内に他にも多くの識士クオリア養成施設が建造されるラッシュの時期でもあった。

 外国資本の最新鋭の設備と高額の報酬に惹かれて、多くの有能な教員がそちらに引き抜かれると、彼らを追うようにして学園の上位層の生徒たちも去っていった。

 元々、名物経営者が一代で築いた学園であったために、歴史や伝統といったものに欠けており敵も多かった。人材の流出、それに伴うネームバリューと実績の低下……という悪循環に陥った学園は、急速に衰退していった。


 そんな中、一人の若い女性教師が学園に赴任する。

 前学園長の一人娘である彩乃であった。

 母親と顔つきは瓜二つだそうだが、残念ながら識術と経営のセンスは全く受け継がなかったらしい(識術は後天的に習得するものだから、当然といえば当然だが)。

 識士としての能力はほぼ皆無であり、生来ののんびりした気質に加えて、お嬢様育ちのため銭勘定の基礎も知らない彼女だったが、ともかく母親の遺志を継がんとする情熱だけはあった。

 学園の再興を胸に誓い、取りたての教員免許をたずさえて大学から学園に戻った彼女が見たものは、かつての栄華など見る影も無く落ちぶれた我が家であった。

 そこに残っていたのは、なぜか他の学校に転校せずに義理堅く残っていた紗夜と、識士としての能力が極めて低い者が数名、そしてわずかな逃げ遅れた教員だけだった。


(えらいところに来てしまった……)


 彩乃が語る学園の歴史に、誓は思わず頭を抱えたくなった。

「年度が変わって何人か卒業しちゃったので、現在、生徒はこの御影さんと神崎さんの2人しかいません~。職員も大半が契約切れしちゃいましてぇ、私と色んな雑用をしてくれる用務員さんだけで……」

「先生、大田さんなら給料不払いのせいで、3日前に辞表を」

「男の子なら何でもできますよねぇ、皆月くん!!」

(えらいところに来てしまった……)

 事務職的な仕事もしているのか、紗夜は帳面をめくりながらあくまで冷静な声で続ける。

「先生。毎度のことですが、経営がピンチです。このままではただでさえ狭い敷地をさらに切り売りすることに」

「うぅ……そうだ、連合ユニオンに補助金の申請をしてみましょう!」

 これは名案とばかりに手を合わせる彩乃。しかし、

「すでに何度もしていますが、生徒の数をもう少し増やせ、の一点張りですね」

「わーん!」

 とうとう机に突っ伏してしまった。


 世界識士連合……通称・連合ユニオンとは、その名の通り全世界の識士団ギルドをまとめる国際組織である。といっても歴史も財力もある古くからの識士団ギルドの発言力が強すぎるため、実質的にこれの権限が及ぶのは中小の識士団ギルドに限られるため、有名無実化していることは否めないが。

 とはいえ、倒産寸前の古宮学園にとっては、頼れる数少ない団体であることには違いなかった。


「……補助金はともかく、依頼なら数件案内してくれています」

「何? またイベントの手伝いやれって?」

 椅子にだらしなく座った絆が、うんざりしたような声で言う。

 本来なら識士団ギルドに寄せられる依頼は、様々な調査や新製品の試作、時に諜報活動にも及ぶが、弱小の古宮学園にはその手の真っ当な依頼は少ないらしい。迷子の猫探しや、連合ユニオンが主催するイベントでのティッシュ配りなど、およそ識術とは関係のない瑣末な依頼ばかりであるという。


「いいえ。今朝来たばかりの緊急の依頼があるの。驚きなさい。要人警護、よ」


『マジで(すか)!?』

 彩乃と絆の声が重なった。 

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