8.電話

 優喜は、葛藤していた。

 膨大な時間を費やして考えていたが、結局、結論を見いだせないまま、前日を迎えているのだ。

「明日は、バスケの大会……雪をどうしよう」

 バスケの大会が控えているのは、かなり前から知らされていたし、この状況を迎えるであろうことも十分に理解していた。

 しかし、<加賀谷なつき>という人物の乱入が、それらの邪魔をして、何も思いつかないまま、スマホの前で頭を悩ます。

 現段階で、提示することができる案はいくつかあった。

 1つ、バスケの大会を休む。

 しかし、部長である自分が休むということは、チーム全体への迷惑に繋がるし、そんなこと、雪が許すはずもない……却下だ。

 2つ、雪が学校を休む。

 これは、学校大好きの雪が休むはずない、という理由で、早い段階から却下されていた。

 3つ……これは、優喜が、思いついた中で、唯一、絶対性はあるが、信用性に欠けているものだ。

 優喜は、自分との葛藤の末、しぶしぶ声に出す。

「加賀谷に頼む……か」

 なつきが、転校してきて、1週間くらいが経とうとしていた。

 優喜は、雪繋がりでなつきと話をする場面も多くなり、犬猿の仲ではあるものの、知り合いと呼べるくらいまでの関係になっていた。

 それに、なつきは、自分とは別のクラスの雪を、大切に扱って、ことによっては自分の身までも犠牲にする。

 なつきは、毎朝、雪を見つけると、深呼吸をして、ぶつぶつと何かを自分に言い聞かせてから話しかけてくる。

「……雪のこと、好きなのか?」

 優喜の思考の隅で、そんな考えが過り、即刻、否定。

 その勢いに任せて、スマホをタップして、なつきに電話を掛けた。


   ***


 暗号のように並べられた数式を前に、冷めたコーヒーをすすりながらシャーペンを走らせていた。

 教師の気まぐれでだされた課題は結構な量だ。

 前もって計画的に出していればこんなことにはなっていなかっただろう。いまさら、そんな愚痴をこぼしていても何も始まらない。

 なつきは、目の前の暗号解読を進めていく。

 あと少しで解読が終了するかと思ったとき、目の間に置かれているスマホが点滅しながら着信音を流す。

 ふと時計に目をやると、午後11時を回ったくらい。

 スマホに目を落とせば、課題同様に11桁の電話番号が並んでいた。電話帳に登録してあれば、名前が表示されるはず。だが、それがない。

 なつきは、なんとなく後ろを振り返り、スマホの画面をスライドした。


「もしもし……」


「……」


 返事はない。


「もしもし!」


 少し強めに話しかけても、一向に返事が返ってくる様子はない。

 スマホの電話を切るマークに指を持ってきかけとき、スピーカーから声が聞こえてきた。

「あ、加賀谷なつきの電話ですか」

 女性の声でぶっきらぼうに言われた言葉は、なつきを不快にさせると同時に、声の主を簡単に想像することができた。

「なんで、伊波が俺の電話番号知ってるの」

 優喜に電話番号を教えた記憶は全くない。

「何か問題でもあるの?」

 別に、問題はない……いや、問題しかない。

 文句の一つでも言ってやろうと思ったが、要件を聞いてこの電話を1秒でも早く切ることが先決だと判断し言葉を続ける。

「こんな時間に何か用?」

「用が無かったら、お前なんかにかけない」

(こっちだってお前だってわかってたら電話になんか出るか!)

 パキッ、と音を立てて、手に握られていらシャーペンの芯が折れた。

「で、なに……忙しいんだけど」

「明日さ、私、部活の遠征があるんだよ。 で、結構、朝早くからいかなきゃいけないんだよ」

 優喜がバスケ部に入っていることは知っていたし、明日が大会であることも知っていた。だけど、それを伝えてどうするのだろう。

 なつきの頭の中をたくさんの憶測が行きかう。

「それで、朝、雪を家まで迎えに行って、一緒に登校してほしいんだけど」

「は?」

 理解するのに時間がかかった。

 あれだけ自分を嫌ってい人が、一番大切にしている子と登校しろと言っているのだ。混乱しないわけがない。

「おーい! おーい! 聞こえてますか!」

 混乱した頭を整理しながら叫び声に対応する。

「え、なんで俺が。 そもそも、雪に近づくのすら怒ってたじゃん」

「まぁ……そうなんだけど。 ほら、ね?」

 言葉を選びながら言われるのも気分がいいものではない。 

「わかったよ」

「おぉ! 優しいじゃないか! じゃ、雪の家の地図とか送るから! じゃーね!」

 伝えることを伝えて乱暴に切られた通話はツーツーとうるさく耳に残る。

 それとほぼ同時に、メールの着信音が鳴った。


『これが雪の家の地図! 朝は、少しゆっくり目に行ってあげてね!』


 添付された画像を開くと、決して絵心のあるものとは言い難い地図がついていた。

 幸いにも、雪の家からの最寄駅がなつきの通学途中、電車で通る駅で少し安心した。

 地図アプリと絵心のない地図を見比べていると、着信音が鳴った。

 また、覚えのない番号。

 夜遅いのにやけに電話が多いなと思いながら耳にスマホを当てる。

「あ、こんばんは。 なつきくん?」

 この声……

 なつきは、この声を聞くと、ものすごく嬉しい気分になる。

 その理由は――今は、何も考えないで、この声に耳を傾けていたい気分だ。

「あれ? 雪?」

「そうそう。 明日はよろしくね」

 きっと小声で話しているのはなつきに対する雪の精一杯の配慮なんだろう――聞き取りずらい。

「はいよ。 ちゃんと起きてろよ」

「わかった。 おやすみね」

「うん。 おやすみ」

 雪との短い会話の終わりは、寂しく感じて、ツーツーという音がずっと耳に残っていてほしかった。でも、それはすぐに止み時計の音だけになる。

 暗号の解読はあと数分もあれば終わるのだが、ノートを閉じ、ベットに入った。

 目を閉じるとさっきまで鳴っていた時計の音も心地の良いものに変わっていた。

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