暗くて長い夜(オチ有)
あまりに前回のがオチてなかったので、オチを付けました。オチ以外はほとんど一緒です。
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外は、どうやら雨のようだった。
パラパラと薄い屋根を打つ雨音が、先ほどからひどくうるさく響く。窓から外に目を遣っても、あたりは深々とした夜闇に包まれていて、視界は無い。
雲が出ているのだろうな、と思う。
厚い雨雲が月も星も隠してしまって、このような無明の世界を構成しているのだろう。
もっともこの暗さでは雨粒を見ることもかなわないから、雨が降っているというのも雨音からの推測でしかない。
今日は、災難続きだった。
倒したシートに寝そべりながら、ごちる。
人と会うために他県くんだりまで出向いたというのに約束をすっかりすっぽかされて、帰りにこの峠道でガス欠だ。後者は自分の落ち度とはいえ、腹立たしいものは腹立たしい。
しかも運の無いことに、この一帯は人家もなければ電波もない。最寄りの集落まで、5キロばかりはあろうか。歩いて行けない距離ではないが、西の空に日が落ちて空が紺色に染まりだせば、出歩く気も失せた。
どうせ明日に予定はないのだから、ここで車中泊すればよかろう。
うんともすんとも言わなくなった車を何とか路肩に停めて、その時はそう断じたのだが、少しばかり見誤ったかもしれない。
右手に竹林、左手に杉林のこの道は目立った灯りもなく、そもそもにして車通りが少ない。ゆえにこの暗闇と静けさである。
正直に白状してしまうならば、心細い。
別に遭難したという訳ではないにしろ、山中に一人。バッテリーの心配をして車内灯もラジオもつけられない現状である。前述のとおり、携帯電話の電波もない。
すっかり夜の帳が落ちてしまえば迂闊に出歩けもしないから、すっかり手持無沙汰で、暇で。暇であればあるほど考えずとも良いようなことに考えを巡らせてしまって、身震いしたりもする。
人は音も光もない場所に長く閉じ込められると正気を失うというから、薄い屋根を叩くパラパラという雨音や、ざらざらと擦れ合う木々のざわめきは助けであるかもしれない。
そんな益体もないことをつらつらと考えるほどには暇を持て余している。さっさと眠ってしまおうとは思っているのだが、枕が違うどころの騒ぎではないから、まったくと言って寝つけない。
だから仕方なく、茫洋とした気分でルーフを眺めたり、窓の外の暗闇に視線を遣ったりしている。
雨はいつの間にか止んで、しかしいまだ夜は明けない。当然だ。腕時計の短針は、まだ8時を指したばかりなのだから。寝つけもしない。
ふと、夜というのは、実はこうも長く暗いものだったのか、と思う。
ここのところは、帰宅して、飯を食って、風呂で汗を流して、少しばかりの趣味に興じて、寝るという生活を繰り返してきた。
常ならば就寝の寸前まで灯りに包まれて、振り返る間もないほど一瞬に過ぎ行く夜が、今日はこうも長く、暗い。
雨音がなくなると、車内はぐっと静かになった。時折ざわめく林が音を届けてくれるが、それだけになってしまった。
雨は止んでも雲は晴れず、あたりはまだ一様に暗く深い。
こうなってくると、否が応にも心細さが鎌首をもたげてくる。
――歌でも歌うか。
唐突にそう考え付いた。それも、知る中でとびきり楽しい歌をだ。手持無沙汰の極致に至ってしまえば、もうそれくらいしか思い浮かばなかった。羊はもう数えたが、100匹を越えたあたりで馬鹿らしくなってやめた。
幸いにして、ここは人里から離れた山中である。誰憚ることもない。
いざ歌いだしてみると、これはこれでなかなかに調子が良かった。
体全体でリズムをとりながら、へたくそなアカペラを続けているうちに、気分が高揚してきたというべきか、少なくとも心細さは霧散していた。
何曲歌ったころだろうか。いや、同じ歌も何度も歌ったから、さっぱりわからないのだけれど。何ともいい程度の疲労感がたまってきて、ようやく睡魔がやって来てくれた。
そんな具合で、やあ、これでもう眠れようと思った矢先である。
こんこん、と、かすかな音が耳に入って、しばらくの後にそれがドアをノックする音と気が付く。
こんこん、こんこんと立て続けにドアをノックされ、霧散したはずの心細さが夜露のように、恐怖となって凝結した。たらり、と、冷や汗が一筋頬を伝う。
こんな人里離れた山道で、さらにこんな夜更けに。コンコンとドアをノックされるなど。考えたくもなかったが。それはもはやステレオタイプな怪談であった。
ゆえに意識を向けたくはなかったが、ゆえに背け続けることを好奇心が許さない。好奇心は猫を殺す。やめろ、とかすかに理性が怒鳴り立てたが、遅い。
恐る恐る視線を窓の外に向けると、そこには強烈な光と、しわだらけの大きな顔が浮かび上がっていた。
わあっ、と、柄にもなく大声で悲鳴を上げて飛びのこうとするも、狭い車内だ。身をよじるくらいしかできない。南無三。などと覚悟を決めていたら、はて、窓の向こうのそれも驚いたように後ずさった。
おや、おかしな反応だと目を凝らしてみれば、何のことはない。強い光は懐中電灯のそれだったし、しわだらけの大きな顔はお年を召した男性のそれだった。
赤面を隠してくれる暗がりに感謝しつつも、すみません、なんでしょうと窓を開けて言うと、向こうは警察です、こんなところでどうしたんです、と聞いてきた。
ルームミラーをみれば、ちょうど後ろにパトカーが一台止まっていた。すっかり歌に夢中になっていたせいで、音も光もとらえそこなっていたようだ。
これこれこういう事で、ガス欠で立ち往生ですと警官に告げると、ハァ、そりゃあ災難でしたなと言った後に一応アルコールだけはからしてくださいと言ってきた。
どうやら、酒気帯び運転の疑いをかけられているらしい。こんな路肩に車を止めて熱唱していたようじゃあ、とてもではないが反論できなかった。
そんなこんなで言われるがままに呼気のアルコールを測る機械をくわえたところで、はたと気が付いてしまった。
足が無い。
ひぇ、という悲鳴は、辛うじておしこめられた。なんたることだ、まさか本当に幽霊の類であったとは。
戦々恐々と警官を見ると、彼は年齢を刻んだ顔を少しばかり不思議そうに眺めて、もういいですよといって器具を取り上げた。
無論、アルコールは陰性であった。
そういやこの辺電波がありませんもんね、一応三角表示板は出しといてください。と言って、警官たちのパトカーはさっさと行ってしまった。赤色灯が峠の向こうに消えたのを見送って、一つ呼吸を整える。
私は慄きながらも、ハッチバックを開けて四苦八苦しながら表示板を探し、道路に設置し終えるとどっと疲れが出たので、すんなりと眠ることができた。
暗く、暗く、ずいぶんと長い夜も、ようやくこれで終わるだろうか。
あくる日の昼である。
一台のパトカーが峠に差し掛かると、路肩に車を停めた。車から出てきたのは、昨晩の警官である。
彼はきょろきょろとあたりを見回すと、道と林の混じり合う境目にプラスチックのすっかり腐った三角表示板を見つけて、身震いをした。
彼はパトカーの中から小さな花束を引っ張り出して路傍に添えると、なんまんだぶと手を合わせ、しめやかに峠を去って行った。
数年前、路肩に停車中の軽乗用車にハンドル操作を誤った大型トラックが突っ込み、乗用車で仮眠をとっていた男性が死亡するという痛ましい事故があったという。
以来、この時期の雨の日に、路肩で車中泊をする男の霊が出るそうだ。
<終>
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