トップシークレットで

春義久志

1.

「居眠りでもしてたのかい?」

最後の頼まれ事を済ませた時点で部活動終了のチャイムは校内に鳴り響いていたし、昇降口に着いた時には生徒の姿はもう見えなくなっていた。ひとり脱いだ内履きを下駄箱に突っ込んだその時、親しげで、しかし聴き慣れない声が僕に向かって投げ掛けられた。

  声の主を探そうと周りを見渡すと、セーラー服を纏った生徒がひとり。スカートの下に履いたジャージのポケットに手を突っ込んだ、玄関の前で佇むベリーショートの女子生徒。彼女がキリエである事に気付くのに若干の時間を要したのは、夕闇のせいだけではなかった。

 「眠たいなら家に帰って布団で寝る方を選ぶよ」

スニーカーを履いて階段を降り、校門へと向かう。放課後になった途端やたら頼み事や雑用を押し付けられた。片付けている内にこんな時間になってしまった。

「いやいや。他の生徒が授業や部活中に保健室で寝てるのは案外気分がいいし。校長室や応接室のソファーはフカフカで、寝転ぶと実に心地良いって聞くよ?」

軽口を叩きながらキリエは僕の後を追っかけて来た。この分だと、帰宅する頃には七時半を回るかもしれない。少し気が逸る僕とは対照的にキリエはマイペースだ。徒歩通学圏内ギリギリに住む僕とは違い、キリエは自転車通学なのである。気合を入れてペダルを回せば20分と経たずに帰宅できるかもしれない。今のキリエにそれが出来るかは分からないけれど。 

「キリエの方こそ、こんな遅くまで校舎で何してたのさ」

尋ねる僕にキリエは答える。

「ん、トップシークレットってやつ?」

校舎を出て自転車小屋まで来たキリエは、自分の自転車を引いて、僕の前までやって来た。

「久々に一緒に帰らない?お互い積もる話ってやつもあるでしょ」

「悪い、夕飯が焼き肉だって言ってたから、急いで帰らないと肉がなくっちまうんだ」

「お昼に「朝昼夜とカレーは勘弁だわ」って言ってたのはどこの誰だったかな?」

僕の苦しい言い訳を突っぱねて、自転車を押しながらキリエは歩き出す。有無を言わさぬその態度に僕が若干気を悪くした事を知ってか知らずか、明るい声でキリエは僕に話しかける。

「そうだ、夕飯のカレーライスご馳走してくんない?あの言い方だと結構余ってるっぽかったし。今日母さんも姉ちゃんも帰り遅いらしくて飯作るの面倒だったんだ。サエのお母さんのカレー、美味いし」

早く帰らないと、カレーとご飯が冷めちまうぜ?そう言いながらキリエは少し早足で歩き出す。カレーは冷めかけくらいのが一番美味いだろう、なんてどうでも事を考えつつ、僕も早歩きで我が家へと向かう。


「サエさ、期末後に学校に顔出してからずっと、俺の事避けてたろ」

周りには田んぼしかない農道を突っ切りながら、キリエが僕に言う。

「別に。リハビリとか勉強とかいろいろ忙しかっただろうし、教室も一緒じゃないから変に邪魔したら悪いかもなって」

嘘ではないけど、だからといって本心でもない。

「ばーか、逆に構って欲しかったつうの。入院中はベッドで横になってるだけだし、退院したところで体調が落ち着いたばかりで運動もできないから、通院以外は家に引きこもるだけだし。そうなりゃ話し相手なんて家族と病院の先生と看護師くらいなもんさ。そりゃな、リハビリだとか今後どうしていくかとか、そういう相談事はいくらでもあるからバタバタした時もあったけど、そういうのばっかじゃ気疲れだってするし、それが原因で母さんや姉ちゃんと喧嘩になったこともあったし。ただただ愚痴ったり駄弁ったりする相手が欲しかったってば。学校の他の連中は、それでも週一くらいで代わる代わる顔出してたのに、お前だけ全然出さないんだもんよ。普段一番話してる奴が来ないんだから、つまんないに決まってるだろ?学校来るようになってもサエだけ変わらずにそんなだったし。って話聴いてんの?」

 キリエの放つマシンガン文句に適当に相槌を打ちつつ、内心では少し照れくさかった。

 付き合い自体は決して長いわけではない。小学5年生で初めて同じ教室になったけど、中学2年からはまたクラスが別れた。さほど趣味が合う訳でもなく、性格やノリも結構違う。些細な事で言い合った事も少なくないし、面倒くさい奴だと感じたことも多かった。それでも不思議とつるんでばかりだったし、部活でも二人揃って仲良く補欠だった。確かに一番キリエと仲が良かったのは僕だったろうし、君と話ができなくて退屈だったと言われれば、例え相手が野郎でも結構うれしいものじゃないかと思う。

そんなキリエが急病で緊急入院したのは、ニュースで梅雨入りの発表を聴いた6月半ばの事だった。試験がサボれて羨ましい奴だと思ったことを覚えている。試験期間中に一回だけお見舞いに行ったが、キリエは丁度体調を崩していて面会は出来なかった。今思えば、その日は急病の症状が一番重い日だったのだろう。結局そうして顔を合わせることがないまま数週間が過ぎた。

梅雨明けが発表された7月上旬のある日、隣の教室が俄に騒がしくなった。休み時間にその事を教室の生徒に尋ねた。曰く、初めて袖を通したかのようなセーラー服を来た少女が教師に連れられ、どこか所在なげに自己紹介をしたという。

「キリエ・シノブです、ご心配をお掛けしました」

と。

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