ゆうもあ先生の夏合宿

【良い子は読んじゃダメ!】


 運動部じゃないんだから、ウチのゼミは自宅で読書をしていればいいと、ゆうもあ先生こと有象無蔵は毎年思っていた。だからゼミ合宿のゼの字も頭の中になかった。それが三年生の前田優子と大島敦子が言い出して、有象の家で三泊四日のゼミ合宿をやることになった。このクソ暑いのに四年生も含めて全員参加である。それに、お手伝いとして中森明美まで来る。姉の裕子さんの補助がしたいそうだ。断るわけにはいかない。明美というと、北海道での狂おしい二夜がいやがうえにも思い出されてしまう。有象は明美と関係を持ちたいとは思っていなかった。裕子さんと安らいだひと時を過ごしたかったのだ。なのに、あの姉妹ときたら渡したルームキーを取り替えるという暴挙を働いたのだ。これは絶対、明美が怪しい。問いただしたいのは山々だが、こっちもヤッてしまったという事実が脳裏にこびりついている。しかも二回だ。変なところを突いて、ワーギャー騒がれたらたまらない。ここは静かに達磨になるしかなかった。それにしても姉妹であっても愛情の表現方法が全く違った。これ以上深く書くと倫理的に問題があるから避けるが、明美は猛獣、裕子さんは洗練された野獣であった。どういう意味だかわからない? それはそれでいい。


 若い女性を家に迎える気苦労がこんなに大きいとは去年までゼミ合宿なんてお遊びはやらなかったから有象は考えもしなかった。二十歳過ぎた女性が六人も来るのだ。男は有象と、御年七十の吉田の二人。有象は聞いたことなんか当然ないが吉田は現役でないだろう。有象だって滅多にもよおさない。一方、敵方は体力充分だ。この前の明美で懲りた。若い彼氏でも作ればいいのに、少なくとも三人、前田優子、大島敦子、中森明美は有象を気に入っている。自信過剰ではなく事実だ。この三人からどう逃げるかが問題である。いっそ、四年生にべったりくっついて守ってもらおうか、と思って気がついた。四年生が有象にどういう気持ちを持っているか分からない。飛び込んだ先にも何があるのかも分からない。有象は決めた。ゼミの課題を大広間でやる。その間、有象は書斎で仕事があるから(本当はないけど)立ち入り禁止。食事は皆で摂る。その後は自由時間だが、有象は忙しいので、やっぱり書斎立ち入り禁止とした。


「先生、忙しいんですね。すみません」

 ゼミ合宿当日、リーダー格の四年生、柏木麻里子が頭を下げてきた。

「いや、急にエッセーの仕事が立て込んじゃってね。徹夜が続きそうだよ。あまり君たちに構ってあげられないが、課題があるだろ。それに集中してくれ。みんなノートパソコンは持ってきたかな?」

「先生、あたしデスクトップしか持ってないんです」

 と大島優子が言う。

「なら私のを貸そう」

「ありがとうございます」

「夏休みなんだからのんびりやりなさい。ただし、打ち上げ花火はダメだよ。お隣の高木さんに怒られる」

「わしに怒られるだと」

 突然、当の高木老人が現れた。

「かわいいギャルが大勢来ると裕子さんに聞いて、西瓜と桃を持ってきたぞい」

「ありがとうございます」

「打ち上げ花火がどうとか言ってたが」

「いや、なんでもないです」

 有象が慌てる。

「五年前のゼミ生が打ち上げ花火をやって、高木さんに怒られたとか」

 前田優子が余計なことを聞く。

「そんなことあったかな。それにわしは耳が遠くて花火の音なんてよう聞こえん」

「えー、そうなんですか?」

 皆が有象を見る。悪かったな嘘ついて。有象は打ち上げ花火が怖くて嫌いなのだ。

「じゃあ先生、そういえばいいのに」

「男として恥ずかしくてな」

「男として恥ずかしいのは肝心な時立たないことよ」

 明美が猛烈な下ネタを言った。誰もが半笑いになった。


 夕食は庭で焼肉になった。みんな、虫刺されよけのスプレーをして、思い思いに楽しんでいる。有象は裕子さんに、

「迷惑をかけますねえ」

と声をかけた。裕子さんは、

「迷惑っていうのは肝心な時に立たない男よ」

 と言って、有象の尻を思いっきりつねった。明美とのことがバレたか?


 夕食後、有象は書斎にこもって、憔悴していた。女に嘘や秘密は通じない。分かってはいたが、これは手痛い。裕子さんが婆やをやめるなんて言ったらどうしよう。気分転換にテレビを付けた。プロ野球をやっていた。マリンズは1−7でぼろ負けだ。テレビのスイッチを消した。そこへ戸を叩く音が聞こえる。

「はい」

 返事をすると大島敦子だった。

「来ちゃいました」

 酔っている。相当に。

「書斎は出入り禁止だぞ」

「あたし、前の奥さんに似てるんですってね」

「誰が言った。そんなこと」

「高木さん」

 クソジジイ余計なことを!

「あたしが、先生のこと好きなの知っているでしょ」

「ああ」

「先生は?」

「…………」

「せ・ん・せ・い・は?」

「……好きだ」

「抱いてください」

「……今、布団を敷く」

 有象の倫理は初日から崩れ去った。


 大島敦子を愛した夜。そうっと、みんなの元へ返した。書斎は大広間から遠いのでバレることはないだろう。さて、疲れた。寝室に戻って眠ろうと戸を開けると柏木麻里子がいた。

「書斎は立ち入り禁止だぞ」

「嘘つき。大島さんを入れてたじゃない」

 バレてたか、やばいなあ。

「だからって君まで入っていいとは言っていない」

「好きなんです。先生」

「なに!」

「ずっと隠していました。でもここを出る大島さんを見て、嫉妬の炎が上がりました。もう止められません。先生」

「分かった。君、初めてなんだろう。優しく教えてあげるよ」

「ありがとうございます」

 有象は半袖のシャツを優しく脱がした。そして柔らかく胸を揉んだ。下半身はミニスカートだったので下着だけを取った。柏木麻里子は右の人差し指で必死に声を抑えようとしている。「書斎は防音だよ」と教えてあげた。有象の中で何かが壊れていくようだった。同様に柏木麻里子は壊れてしまい、歓びの声を何度もあげた。初めて体験する行為に柏木麻里子は乱れ、悶えた。一つ違いで大島優子とは体の成熟度が違う。結局朝まで有象は柏木麻里子を離さなかった。


 初日にしてこれだ。有象は朝、柏木麻里子を帰すと、自己嫌悪に陥った。教え子とはすまい。これが有象の信念だった。教え子と結婚したばかりに、悲しい離婚を味わっている。女性との交際すら避けていたのだ。これも全部、北海道での中森明美が悪い。心の奥にしまっていた野獣が目覚めてしまった。肉食中年だ。午前中、有象は寝室から出なかった。

「先生、どうしました?」

 と見に来た裕子さんの手を引っ張って布団に押入れ、服を着せたまま愛した。さすがの裕子さんも動揺して走り去った。

「どうしたん、先生」

 今度は明美が入って来たので、後ろから抱きしめてキスをした。

「先生、上手だわ」

 明美がとろけたような瞳で、有象を見つめた。


 ゼミの学生五人のうち、二人と愛し合ってしまった。同意の上だが教師として学生をそのような目で見てしまったことに愕然とした。ああ、中森明美を含めば三人の学生だ。時刻は十二時、昼食の時間だ。気が重いが、朝から何も食べていない。ここは私の家だ。と心太くして食堂に行くと皆が揃って素麺を食べていた。みんな笑顔だ。柏木麻里子が少し、眠そうなくらいだ。みんなかしましい。

「先生、なくなりますよ」

 裕子さんが普段通りの声で言う。そういうものかなと思う。

 大島敦子も前田優子とニコニコしている。これも普段と変わりない。もしかすると気に病むことはないのか? 変な趣味に走らなければ犯罪じゃないんじゃないか。となんとか心を持ち直した。そんな時明美が、

「ここにいる女はみんな先生が好き」

と耳元だ囁いた。えっマジ?

 有象の声が大きかったのだろう。皆が振り向いた。

「いや、なんでもない」

 エアコンが効いているのに汗が吹き出た。


 午後は真面目に課題の指導をした。四年生は原稿用紙五枚でいいと言ったのだが。

「書くのが面白い。もっと書きたい」

 というので、無制限に変更した。

 三年生は、原稿用紙百枚だが好調に進んでいるようだ。

「先生、風花監督ってブロックサインが覚えられなくて、ヘッドコーチの宗谷さんに口で言ってるそうですよ」

「ほう」

 感心したが、有名な話だ。大島敦子はいいルポライターにはなれないな。一方前田優子は、

「樋口くん、彼女ができたみたいです。今度、彼女の独占インタビューしちゃいます」

と鋭いところを見せてくれる。ここで有象は妄想してしまう。前田とキスした日のことを。

「どうしたんですか?」

 問いかける前田に赤面する有象であった。

 その日の夜は疲れ果てて眠ってしまった。熟睡したので翌日はすっきりした。今日いちにち耐え切れば学生たちは帰る。穏やかな日常が待っているだろう。有象はその日も書斎にこもることにした。夕方の食事会に顔を出せばいいだろう。

 しかし、午前中にこっそりと前田優子が来たのには驚いた。驚いたが、もう慣れてしまった。ルーティンのように前田を抱くと、続けざまに渡辺由紀、横山亜紀と立て続けにやってきて有象の下で歓びの声を上げた。有象は「私の体力を弄んでいるのか。腎虚で死ぬぞ」と独り言して横になった。


 夕方の食事会は有象を除いて大いに盛り上がった。みんな、憑き物が取れたように快活に喋り、食べ、飲む。そんな中みんなの憑き物を一身に背負ったような有象が一人ビールを飲む。なぜか誰も近づいてこない。多分牽制しあって居るんだ。そこに神経の太い中森明美が来て、

「何人か妊娠するね。どう責任取るの?」

と有象を責めてきた。有象はニヤリと笑い、

「私は無精子症なんだ。子供はできない」

と反撃した。

「都合いい!」

 明美が叫んだとき、

『ダダーン』

 と誰かが打ち上げ花火をあげた。有象は恐怖で明美の胸に顔を埋めた。

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