能ある虎は爪を隠す

かずほ

第1話 能ある虎は爪を隠す

私はある日ある時死んだらしい。


そしてある日、ある世界に生まれ変わった。


人間ではなく、虎として。


私の前世は人間だった。

けれど生まれたのは虎の姿。

しかもただの虎ではない。

言葉を話す虎だ。

前世の私の国の言葉でないのは残念だった。

お陰で私は再び1から言葉を学び直す羽目になった。


「この世界」と言っていいのかわからないが、すくなくとも此処は私の知らない世界であるので、「この世界」と言わせてもらいたい。


この世界の虎は独特だった。

人のように集落があり、そこかしこに洞窟があり、虎達はそこを住処と定め、家族で生活を送る。中には小屋を住処とするモノ達も少なからずいる。集落は「ムラ」と表するが、私の知る「むら」とは若干意味合いが異なっているのだと思う。具体的にどうとは言えないが、違和感がするのだ。


因みに我が家は洞窟派であり、以前、両親に小屋マイホーム強請ねだった処、小屋は色々面倒臭いと、あっさり却下された。

どうやら小屋はマメな性分を持ったモノ達の住処であるらしいと、その時初めて知った。


それから私は成長するにつれ、様々な事を知り、常識を覚え、前世で得た、様々な知識と常識をドブに捨てる事になった。


第一に、虎の世界に民主主義は存在しない。では、この「ムラ」を纏めているのは何かと言えば、


ずばり、「力」である。


言葉を話し、知性を持つ存在でありながら、虎は本能に忠実のうきんだった。


かつて、生前の私の信条たる「可愛いは正義」を幼い我が身を以って全力で訴えたが、それは両親によって、一笑に伏されて終わった。


虎の世界では可愛さなど、何の役にも立たないのだと思い知った瞬間であった。


さて、月日もあっと言う間に過ぎ去り、私も年頃になった。


つまり婚期が訪れたのである。






どうっ!


大きな虎の身体が地面に投げ出され、滑ってこんもりとした山にぶつかり止まった。


相手は完全に気を失っているらしく、ぴくりとも動かない。


「もう、終わりか」


口の中にわずかな不快感を感じ、私はぺっと唾を吐き捨てた。


周囲をぐるりと見回せば、私の眼力に怖気づいたオス達が後ずさる。


「次はお、俺だ!」


ぶるぶると震えながらもお見合い果たし合いに一頭のオスが名乗りをあげる。


「その心意気や良し」


「ひっ!」


にやりと笑えば、相手はその場で竦み上がった。


「馬鹿め」


私は相手が我に返るより先に素早く飛びかかり、押し倒し、喉元に形だけ喰らい付く。


「ひっ!!こ!降参だ!!」


その声を聞いてのしかかった上体を起こしたと同時に組み敷かれていたオスはバネ仕掛けの人形のように跳び起きて輪の中から出て行った。


「根性なしが」


そして、先程私が投げ出したオス共へと目をむける。


さて、婚期が訪れた私がたった今まで何をしていたかと言えば、そのものズバリ



婚活である。



そこの人間のお嬢さん、引かないでほしい。

出来れば私だって、そっち側でドン引きしたい。


いやもう、ホント切実に。


コレが虎の婚活なのだ。


虎は基本肉食で、草食は存在しない。

ロールキャベツなんて面倒臭いものには見向きもしない。

肉か草かハッキリしないモノに興味はない。

虎に「〜系」などとふんわりした表現はない。


虎はガッツリ肉食なのである。


そんなオスメスも肉食しか存在しないムラで、結婚相手をどのように獲得するか。


そんなものは考えるまでもない。力づくである。


前世では相手を了承なしに押し倒すのは犯罪であった。

一応、知恵ある虎というタテマエ的にそれっぽい常識は掲げてはいるが、実際、どんな手段を使おうが、最終的に相手からオッケーを引き出してしまえばそれで良いのだ。


力づくである。


因みに私は美人の母と逞しい父から生まれた。

虎のメスの中で私は上位5本の指に入る。

上位2名は既婚者である。


そして、結婚相手として選ぶ基準はオスメスも変わらない。


強く、逞しく、美しく。


しつこいようだがもう一度言おう。


私は美人の母と逞しい父から生まれた。



史上稀に見るモテ期が私に訪れたのである。


モテ期って、こんな感じだったっけ?


私の中で、溝に捨てた筈の前世の常識が全力で訴えかけていた。主に抗議の方で。


私は黄色と黒の縞模様の山を見て思わず遠い目になる。


体格のいいオスの虎が積み上がった様は中々見応えがある。

一番下の奴はムラ三番目の強者とかほざいてたから、多分生きてる。


因みに一番と二番は既婚者である。


(前世の私よ……)


私は自分の中の薄れた記憶に語りかける。


(世界が変われば常識も変わる事だろう)


しかし


(私だってこんなモテ期は嫌だ)


本気で泣きたかった。


そんな時である。


軽い足音と共に新たな求婚者挑戦者が現れた。


振り返り、私は思わず固まった。


雪の如き真っ白な体躯にうっすらと入った灰色のコントラスト。大の男ですら怖気付く私を前にして何の気負いもない無垢な瞳。


私の心を捉えて離さない、そんな虎の中にあって異質な存在はこのムラには一頭しかいない。


「おや、マズい所に紛れ込んでしまったな」


「族長!」


落ち着き払ったその声に我に帰れば、輪の外に、我らの族長が少し困ったといった顔で、白い存在を見つめていた。


「ミャウ!」


このムラでも希少な白虎は愛らしく父たる族長に向かって鳴いた。


「掟は掟だ、悪いがちょっと軽く転がしてやってくれないか?」


「・・・・・・」


族長が一瞬、何を言ったかわからず、無言になる。そしてそのセリフに理解が追いついた瞬間、私は高速で首を横に振った。


「イヤイヤイヤイヤイヤ!!!族長!?私には無理ですって!!手加減の難易度高過ぎますよ!!!!!」


「そこをなんとか。多少怪我を負った所で悪いのはソレだ。お灸にもなろうし、お前に責を問う気もない」


「……」


のほほんとのたまう族長に、私はゴクリ、と喉を鳴らし、目の前の小さな白虎を見る。


私は前世の常識のほとんどをドブに捨てた。

人間と虎の常識に余りにも開きがありすぎたからだ。

けれど、そんな私でも、どれだけ努力しても捨てられなかった常識がある。


それは、「可愛いは正義」である。


来たるべき婚活に備え、逞しい父に鍛えられた私にとって、弱者は淘汰するべきものであり、また小さき弱者は背に守るべきものであって、決して戯れるものではなかった。


愛らしい子虎達に混じった純白のフワッフワの毛皮は何度モフりたいと遠くから眺め、のたうち回った事か。


そんな私を見たムラの虎達は、私を変態としてではなく、不器用な子供好きと判断したらしい。その時ばかりは単細胞万歳と陰で涙を流したものである。

あの時の涙はしょっぱかった。


話を元に戻そう。


目の前には夢にまでみたフワッフワの子虎。

しかし、ここは弱者が淘汰されるべき場所である。

毛皮の下で、嫌な汗がじっとりと流れる。

転がす、と族長は軽く言ってくれたが、私の腕の軽い一振りでも、吹っ飛ばせる自信がある。

端で山盛りに寝っ転がっているオス共とは訳が違うのだ。下手をすれば、転がすだけで内臓破裂する。


手を出しあぐね、悶々と考えている時だった。


「ミャウ?」


白い子虎がこちらを見上げ、愛らしい仕草で小首を傾げてきたのだ。


ズッキューーーン!


そのあざとい仕草はものの見事に私の心臓を撃ち抜いた。


余りの愛らしさによろり、とよろめいた私に遊びのお誘いか何かと勘違いしたらしい白い塊が飛びかかってきた。


「え!?ちょっ!まっ!あ、危な……!?」


受け止めていいのか、避けたらいいのかわからない私は大いに慌てふためいた。


結果、こんな軟い生き物に触れた事のない私は仰向けになり、腹で白い塊を受け止めた。


「ミャウ!」


腹の上で転がる子虎に安心したのもつかの間、子虎は在ろう事かトテトテと私の腹を伝って目前までくると、


かぷり


私の喉笛に噛み付いたのだ。


ペロリ


固まっている私を他所に鼻面を小さな、唯一赤い舌が這わされた。


「ミャーーーウ!!」


そして極め付けがやってやったぜ!!と言わんばかりの雄叫び(?)である。


これは……。


そろり、と族長に目をやれば、呆然とこちらを、正確には己の息子を見つめていた。


この婚活にはルールがある。


勝利の条件は相手を仰向けに転ばせて喉笛に牙を立てる。圧倒的力量をこれで示す事で相手の心を折る事も可能である。

もちろん、ホントに牙を立ててしまったら洒落にならないので、あくまでもフリなのだが。


そして、求婚者が勝った場合、観衆の前で相手の顔を舐め、己が相手の伴侶であると威嚇を込めて吠えるのだ。


しん、とその場が静まり返った。


状況を理解していないのは、やたらと懐っこくこちらの顔をペロペロと舐める白虎の子供だけである。


「あー……」


その静寂を破ったのは、何とも間の抜けた族長の声だった。


「掟は掟であるからな……」


「ミャウン!!」


そうだろう!と言わんばかりに白虎が鳴いた。


こうして私の婚活は終わりを告げた。


そして数年、小さな婚約者が結婚適齢期に至るまで、私にモテ期が訪れる事はなかった。無ければ無いで、ちょっと物足りなく感じるのは、やはり私も虎だったという事だろう。そうしてその間、何故か周囲が優しかったり、視線が生温かったり、理由もなく怯えられたりしたものの、比較的平和な日々を送り、その間に外堀がガッチガチに埋められていようとは、この時の私は想像だにしていなかった。






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