井の中の蛙、大海を知る。

度会アル

井の中の蛙、大海を知る。

 僕たちはジャンクだった。社会のギアワークに組み込まれなかった、欠けた歯車。何が欠けているかは言うまでもない。想像力が、僕たちには無かった。結果を予測できない。上の世界では何が起こっているのか知らない。言葉だって誰かの受け売りでしかない。ただ、今を生きているだけだった。想像などではなく経験のみによって物事を進める。だから僕は、経験したこと以外は何も知らない。


 空高くから、とある機械のジャンクが降ってくるまでは。


                 *


「サッカーしようぜー」

「おー」

 友人からの誘いを受け、僕は家を飛び出した。空はいつでも青いが、見える範囲はわずかだった。家々が組み込まれた鉄筋コンクリートと合金板でできた壁は数百キロメートルの高さまで堂々とそびえ立っており、上の世界へ行く手段は無い。当然だ。僕たちのように想像力の欠如した人間は、上の世界に生きる人に干渉できる立場にはない。

 路地裏が僕らのサッカー場だった。ゴールポストは転がしたゴミ箱。他にはルール無用、壁だろうと通りすがりのおっさんだろうと何を使っても相手に暴行を加えない限りはファウルにならなかった。

「今度こそお前には勝つ……!」

「望むところだ」

 このルールでは僕が強かった。壁に当てる角度を調整することで、確実にゴールを狙えるのだ。実は密かに何千回とその練習をして、やっとのことでコツを掴んでいたことをあいつは知らない。

 事実、今日も何度と無くあいつはリベンジを挑んできたものの結果は僕の完勝だった。

「ふざけんなよー。どうやったらそんなに上手くゴールに入るんだよ」

「勘だよ勘。なんとなくで入る」

 体に染み込ませた感覚だ。角度を計算する為に上から見た図を思い浮かべるなんて真似、僕たちにはできないから。そう、僕たちは想像力が無いからこのじめじめとした薄暗い路地で生きているという。


 僕たちが生まれる百年ほど前から「想像力」はこんなにも重視され始めたとは、社会の教科書の言葉だ。機械化が進み肉体労働はその殆どが人の手を離れ完全機械制御、一つの大工場を数人のみによって管理する時代になった。

 結果として当然ながら失業者は相当な数を記録したが、有象無象の工場からは新たな雇用が生まれた。「想像力」としての頭脳労働である。工場では設計図を作ることから実際に製品を出荷するまで一連の流れを全て掌握しているが、その設計図を作る為の企画、新たな商品のイメージは工場の手に余る。

 企業からの受注では自由度の面において頭打ち気味であったから、そこを一般市民に求めた。それが「想像力」を個人の能力として捉える社会の始まりだった。工場は人々の想像を買い取り、そこから生まれた設計図を基に実現可能な範囲で様々な製品を売る。

 その流れができてしまえば、アイディアを提供し続けられる人とそうでない人で貧富の差ができるのは当たり前だ。

 いつしか工場はどこまでも高さによってその規模を拡大し、想像力の欠如した人々を置き去りにした。


 それが僕たちに空が無い理由だった。


                  *


 普段通りに夕食を摂り、風呂上がりになんとなく外へ出てみた。風が頬を撫ぜる。心地の良い風だ。空を見上げれば僅かな隙間から、一等星が微かに輝いていた。それ以上に眩しく映るのは、上の世界から漏れた光だった。夜間は眩しいほどにあの光がこの谷間を照らす。

 と。鈍い金属音が聞こえた気がした。気のせいかな、と最初は思ったが、耳を澄ませてみればその音が一定の方向から何度も聞こえる。不規則で段々と大きくなっていくその音は――まるで空から何かが、壁にぶつかりながら落ちてくるような。しかも近い。

 その音を頼りに、僕はにわかに走り出した。今日も辿ったばかりの道、いつもサッカーをしている路地裏の方角だ。走っている間にも音はどんどん大きく、近くなっているように感じる。まだ着かない、ここの路地では無い。やはりあそこに降ってきているような、音の響き方。いつもそこで音を立てているからこそ、そんな気がする。

 そしてついにと、着いた路地裏はまさしく当たりだった。小さく黒い物体が、狭い路地の両壁にぶつかりながら降ってくる。クラシック映画に空から女の子が降ってくるアニメ作品があったと思うが、それよりずっと味気なく、もっといえば、ショボかった。上の世界から何かが降ってくることなど普通はあり得ないが、どうも興ざめな光景だ。結構な重力加速によってぶつかれば即死してしまうかもしれない。少なくとも降ってくるもの自体は無事ではないだろう。ただ呆然と、少し離れたところから眺めているくらいしかできなかった。

 それそのものは、ぶつかって欠けた破片をまき散らしながら降下してくる。複雑なパーツからできているようで、細かい何かの部品が本体とは別にまっすぐ降ってきたりする。

 しかし本体はバラけずに、とうとう僕の目の前まできた。

 それは完璧な放物線を描いて、壁からゴールポストに、ゴミのいっぱい詰まったゴミ箱に、投げ込まれた。

 ゴール。僕は小さく呟いて、そのボールを漁りにかかった。


                 *


「で、それが問題のブツか」

 声を潜めて、あいつが言った。その表現の仕方が面白くて、僕は思わず椅子の背もたれに寄っかかってくつくつと笑ってしまう。

「シーッ! どこで誰が見ているか分からねぇんだ、静かにしてくれ」

「はいはい、悪かったよ。そう、これが空から降ってきたもの」

 僕がこっそりと学校に持ち込んだブリキ缶の中には、バラけた細かい部品とともに手のひら大の真っ黒な、タマゴのような形をした機械だった。正確にはその殻が半分ほど欠けて、中の基盤やよく分からないギミックの大部分が露出しているわけだが。

「にしても、どうやって使うんだろうね?」

「どうせ俺たちには想像力が無いんだ、動かしてみなきゃ分からないさ」

 しかしそのままでは動く気配は無い。スイッチらしきものはあるのだが、いくら押しても動かない。電池はこちらのものと同じだったので新品と交換したものの、何も起こらなかった。

「やっぱ無理か……なんとか俺たちで直してみるしかないかな。あ、先生来たわ」

 仕方ないな、と僕は慌てて缶を閉まって、前を向いた。


                  *


 それからは学校から帰った後にサッカーもせず、二人で修復作業だった。慎重にパーツを一つ一つ外しながら配線をメモする。幸いと友人は少しばかり電子工作に通じていたので、どこが悪いのかに検討をつけてくれた。どう見てもコードが断線しているのと、コンデンサがやられていそうだということ、あとは外側の殻が実は重要だということ。それ以上は分からん、とりあえず動かしてみないと。こいつはそう言った。僕は慣れないながらも半田を持ったりとなんとか手伝う。

「基盤には外傷が無さそうで良かったけど……見たことないチップばっかで、どれかがやられていたら動かなさそうだな」

 上の世界で生産されたものがこちらまで流れてくることは滅多に無く、闇市場で口利きしてもらうしかない。そこには紹介料、運搬料、元の定価。どれも高額で、現金前払いでしか受け付けてくれない為に頼む人はせいぜい数ヶ月に一人程度だ。そんな大金を支払うことのできる人はそもそも上の世界で生きようとする。

「よし、コンデンサの半田は吸い取れた。新しいのに変えるぞ」

 基本的なパーツ、電池やコンデンサなどは性能こそ違えど規格は同じだ。それを間違えなければ上の世界から回ってきた時代遅れの型落ち品だろうと何年でも使える。だからもっとジャンクを回してくれたら楽しいのになぁ、とこいつはこぼした。けど、としかしながら後に続ける。

「うん、やっぱりだ。これは使えたらすごいぞ」

「どういうこと?」

 僕にはどこがどうなっているのやらさっぱりだ。構造は複雑だし、そもそもこの機械が何に使えるのか分からない。

「空を飛ぶ為の機械さ。上の世界では何に使っているのか知らないけど、これを使って飛んでいるんだと思う。つまり、だ」

 これを使えば俺たちも上の世界に行けるかもしれないぞ。こいつはやたら興奮気味にまくし立てた。しかし言う通りそれができれば――上の世界に行ける。上の世界に行ける、イコールきっと何かが変わるに違いない。生活を変えることができるかもしれない。

「それは……何がなんでも直さなきゃいけないね」

「当然だ。アメリカンドリームだぜ」

 歴史の授業で習ったばかりの言葉をいきなり持ち出してきて、意味を把握するのに時間がかかった。バカなくせにこういう変な言葉だけは覚えてくるんだよな。

 もちろん僕も、そこに夢は持つのだけれど。


                  *


 その修理は案外早かった。二、三日で見た目は格好悪いながらもどうやら動きそうな代物を仕上げてきた友人はすごいと思う。

「まあ、基盤が案外大丈夫そうだったっていうのもあるんだけどな。とりあえず動かしてみようぜ」

 いつもの路地裏で、二人向かい合わせに立つ。おそるおそる、といった風にボタンを押すのを僕は真剣に見つめていた。


 カチリ、と。


 その音を合図にしたかのように、モーターの駆動音が静かにうなりを上げ始めた。それは耳障りなほど大きくはないものの、徐々にトーンを上げていきやがて甲殻類のような一対の黒い羽を広げた。それと同時に中から、指にはまりそうな大きさの穴が姿を現す。

「いくぞ」

 言い残してそれを右手にはめる。きっと飛ぶから、と願をかけるようにして優しくそっと――僕の中指に。

「えっ――――」

 それが言葉になる前に、僕の体は右手から、一気に上の方へと引っ張られた。小さな羽は、懸命に羽ばたいている。僕の友人は、下から叫んだ。

「お前が見つけたんだ、土産話持って帰ってこい!」

 その一言だけにも関わらず、あいつはもう小人サイズだ。ありがとう、と僕は手を振った。


 路地裏はやがてただの線になり、しかし両脇は依然として分厚いコンクリートに挟まれている。そして見上げれば、段々と広がりゆく青空。かつてない広さを持った、雲一つ無い深みだけを持った青。更には毎日一瞬しか見ることのできない、眩しい限りに光り輝く巨大な太陽が当たり前のように鎮座している。これほど近くて手の届きそうな、しかし絶対に辿り着けない場所がそこにはあって、僕は目を見張った。

 それからしてついに、双璧が途切れる縁がせり出してくる。新世界は、すぐそこだ。


 そして見えた世界は――、


                  *


「ただいま」

 結局、僕はすぐにあの路地裏に戻ってきた。まだ、こいつは僕のことをここで待ってくれていた。

「どうだった!?」

 やや興奮気味なのは分かる。けれども君が期待しているようなものは何も無かったよ、という言葉が口をついで出るところだった。それを無理矢理に押し込める。

「なんていうか……すごかったよ。みんな空を飛んでいるし、見たこともない色んな機械を使っているんだ」


 僕には、言えない。


「でも、すぐに見つかった。ここは君が来るような場所じゃないって」


 僕には、言えない。


「だからすぐに帰されちゃったよ。この機械も、上から降りてくるだけでもう飛べない」


 上の世界の、真実を。だから、僕は嘘を。


「けど、諦めちゃ駄目だよな。『アメリカンドリーム』だから」


 夢は、夢でしか無い。こんなジャンクに期待をかけるのは子供だから、と僕は今にして思う。

 上の世界には、人間はいなかった。いや、「ヒトだったモノ」の保存された量子コンピュータ、そして最低限の物理活動のみを可能にする為に人格を投影するコピーロイドはそこにあった。その一人からその現状を教えられ、同時にそれを地上には伝えないでくれ、とも頼まれた。説明は任せる、と言われた。


 みんな、何も知らないんだな。かわいそうに。

 僕らは機械に生かされているんだ。


                                   [了]

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