Anti!
新一郎
第1話【邂逅】
──その人は美しい笑みを浮かべた化け物でした
†††
夕陽が世界を朱く焼き、闇が徐々に空での支配力を増す頃。
街の喧騒が穏やかになり始め、家路を急ぐ人々が我が家の温もりを求めて足早に歩を進める
街に光が溢れる現代とはいえ、宵闇が子供達にもたらす本能的な恐怖を払拭できる筈もない。多くの子供は既に在るべき家族の庇護下に帰り、まだ帰路にある者は日暮れまで精一杯遊びながらなお遊び足りないと路上でじゃれ合い、その余韻を楽しむ事で夜の恐怖を押し返している。
そんな刻限に、わざわざこんな公園へと足はおろか目を向ける者すらいるはずもなかった。
塗装が剥がれ落ちあちこちに赤く錆の浮いた滑り台とその目の前の小さな砂場の他には少女が腰掛けるブランコしか見あたらない。今時男女共用の公衆トイレに意外と清掃が行き届いているのは、近隣に住む老人会の努力のたまものだ。
きぃ……きぃ……と、いかにも錆のひどい音をさせながら、規則的に行ったり来たり。
意識的に足を上げていないと通学用のスニーカーを汚してしまう。明らかにサイズが合っていないのは、この公園の規模から見ても分かる通りの子供向けの公園だからだ。セーラー服を着た少女には小さすぎて当たり前である。
それでも、きぃ……きぃ……とブランコを揺らし続ける。別段思い詰めた風でもなく、かと言ってブランコを楽しんでいるわけでもない。強いて言えば、ボーッと何も考えていないような、そんな
朱から紫のグラデーションを経て黒に近い濃紺へ。
空が装いを完全に変えるまで、ブランコは止まらない。
「ふぅ……」
きぃ……とようやくブランコが止まると面倒くさそうに立ち上がり、手前に設置されたコレも錆だらけの安全バーに立てかけられたら学生鞄を拾い上げる。
「……帰りたくない」
俯き加減にボソッと聞こえた少女の声。まだ幼さを残す声音。制服の胸元には中央に「中」と文字の入った
この住宅街の子供が通う公立中学の制服。
黒いショートヘアがびゅうっと吹き抜けた風に乱されても気にする様子もない。
「どうしたの?」
突然話しかけられ、少女がはっと顔を上げた。
確かに誰もいなかった空間──少女の目の前に忽然と現れた女と視線が交差し、少女は息を飲む。
その女の、なんと美しいことか。
誰なのか、いつ現れたのか。そんな謎を置き去りにして少女の脳裏に去来したのはそんな感想だった。
「私の顔に何かついてる? あんまり見つめられると穴が開いちゃう」
冗談めかしてクスクスと笑う。
長い黒髪をさぁっと掻き上げ、
「もう子供は帰る時間よ。暗くなると危ないわ。色々と、ね」
優しい
子供扱いされたことで、美しさに見とれていた意識が引き戻された。
「子供じゃない」
中学生という微妙な年齢は、大人として扱われるのも子供扱いされるのも気に入らない難しい年頃だ。
「子供よ。大人からしてみたら若い子なんてみーんな子供。年が幾つかは関係ないわ」
再びクスクスと微笑みながら歩み寄ってくる。
少しだけ口を尖らせ反論を失う少女。
不思議な雰囲気を纏った女だった。
年齢は確かに上だが、少女と極端に離れているわけではない。せいぜいが十歳。だが、年齢相応の若々しさと同居する、成熟した──否、老成した雰囲気。
「ね、訊きたいことがあるの。この辺で一番大きい病院ってどこかな?」
突然の質問に、少女は僅かに眉をひそめた。
確かに女は蒼白い、と言えなくはなかったが、張りのある声と艶のある肌から与えられる印象はむしろ健康的で力強い美しい白。即ち美白の
少女の極僅かな反応を見逃さず、女はまた優しく笑った。
「私が病院なんておかしい?」
からかうように言いながら、少女の言葉を待たずに女が続けた。
「ま、野暮用よ。診察を受けるんじゃないの」
病院へ野暮用。変な言い方をすると思いながらも、少女は女の質問に応じることにした。調べればすぐに分かるような内容であるし、何より、病院で何かしでかすようには到底見えないからだ。
「
私立の医科大学附属の病院が、この地区では最大の総合病院だった。
「そっか。ありがとう」
簡単に礼を言い、一人公園の出入り口の方へ。
その背中越しに、
「本当にもう帰りなさい。満月の夜は危ないわ」
言われるままにふと空を見上げると、その女の言葉が示す通り、一際大きく見える満月が夜空に鎮座していた。
†††††
「かーれん! おっはよ!」
翌朝。
いつものように誰よりも早く登校した少女は、これでもかと言うくらい元気な声をかけてきた級友に肩を叩かれ、これもいつものように苦笑を浮かべる。
「カレン、聞いた?」
そう言いながら少女の顔を覗き込む級友。
常に自分を気にかけ側にいてくれるこの級友が、カレンと呼ばれた少女は正直苦手だった。
底抜けに明るく、誰からも好かれ、クラス委員を任されている。名実ともにクラスのリーダーであるそんな彼女にカレン自身好感は持てはするのだが、基本的に誰とも深い関わりを持ちたくないと考えているせいか、彼女の明るさも、気安さも、カレンにとっては重たいモノだからだ。
何故、自分なんかの側にいるのだろう?
そんな疑問を持ちながら、何故か拒めもしないでいる微妙な関係。
「何?」
カレンの反応に彼女は、
「やっぱり聞いてない? 昨日、出たんだって!」
と目の前の席に後ろ向きに座りながら応える。
「出たって、何が?」
「コレだよ、コレ!」
掌を下に向け力無くプラプラと垂らして見せながら、
「オ・バ・ケ! 幽霊だよ!
そんな級友の言葉に、カレンは昨日の公園で会った女の顔が頭を過ぎる。
「そっか」
確かに、あの女性が件の幽霊だと言うのなら相当な美人であることは間違いない。但し、幽霊に見えたのなら、だ。
「あれ? 反応薄ーい! もっと驚くと思ったのに! カレンって怪談平気な人?」
カレンの反応がつまらなかったのか、級友が口を尖らせた。
そんな彼女に、カレンはやっぱり苦笑いを浮かべてしまう。
こんなに明るい時間に、これだけ元気に話をされれば、大抵の人間が怖さなど感じないのではないのだろうか?
それに、
「怪談って時季でもないでしょう?」
もう秋も深まっている。時季ハズレも良いところだ。
カレンの言葉に今度は今度は彼女が笑っていた。
「確かにね。それよりも連続放火魔の方がよっぽど恐いか」
ここ数ヶ月、この学校の学区を騒がせているニュース。どれもぼや程度で済んでいるが、人の命を奪いかねない現実の事件の方が、幽霊よりよほど恐ろしい。実際に、人の命を奪いかねないのだから。
級友の言葉にびくっと、カレンの身体が震えた。
「あっ……ごめん……嫌なこと想い出させちゃったね……」
カレンの反応に、シュンと肩を落とす。
「本当にごめん……私考え無しだから……」
「い、いいの! 大丈夫だよ? 私が過敏になりすぎてるだけ……」
「そんなこと無い! カレンが一番の被害者なんだよ?!」
そう言う彼女の表情は真剣そのものだ。
級友の言葉が心に染みた。
「
痛い程の優しさだった。
カレン。
バケモノ──十年以上経った今でも、母はカレンを名前で呼ぶことはない。
消火活動をすれども止まらず、焼け落ちた瓦礫の中から生還を果たした少女には火傷の一つもなかった。当時のニュース番組はこぞって奇跡の生還とはやし立てたが、出張先から飛んで帰ってきた母親は彼女にバックを投げつけて、「バケモノ!」と叫んだ。「私の家族を返せ」と。それ以来、二人暮らしは続いているが母との折り合いが改善される事はなかった。
カレン自身、仕方のない事だとは思う。やり場のない怒りの矛先を向ける相手が、実の娘しか居なかったのだ。そうしなければ心が耐えられなかったと言って良い。
犯人が捕まっていれば、或いは違う関係を築けていたかも知れないが、既にそうはならなかったのだ。
家族の絆を引き裂いた火災が今尚心の後遺症としてそれぞれの心を蝕んでいる。
「もう、やめよ? 暗い話になっちゃう」
首を横に振りながらカレンが言った。これ以上、考えたくないし考えるべきではない。一日中、
ちょうどそのタイミングでガラガラと教室のドアが開く。
「ほら、席に着けー。ホームルームやるぞー」
教壇に立ちながら、若い担任が大声を上げた。
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