鬼の花
やいろ由季
第一話 合戦場
秋の乾いた風が合戦の
ごろごろと転がる死体、刺さった矢、主をなくした刀、折れた合戦旗。どこの誰が争った痕なのかはわからないが、一つ合戦を総じて言えることがある。戦とは、無残なものだ。
名誉の死とは言うが、死んだ者たちだって生前は生きる未来を見ていただろう。守る家族があったろう。愛する者がいただろう。名誉のその裏側に、無念の思いは必ずある。それから目を背けてはいけない。直視しなければ。
荒野を吹き抜ける土埃の中を、大柄な男が歩いていた。筋肉のたくましい両腕両足、ぼろぼろの粗末な着物をまとった胴。腰のあたりまでぼうぼうに伸びている痛みきった髪は、汚れているものの、見事な
金の髪の隙間からは長くとがった耳がわずかに飛び出ている。鼻先まで伸びた前髪は顔を隠していたが、男の引き締まった口元は露わになっていた。首のあたりから頬にかけては、蔦のように這いあがる真っ赤な
こんな風体の男を人は『鬼』と言ったし、男も自分自身を鬼だと思っている。だがこの鬼にも人の子と同じように名があった。
善治は静寂の合戦痕を歩いた。手に提げていた酒壺を荒野に置き、腰の袋の中から何かをつまみあげ、荒野に撒く。それはさながら麦の種を撒いているようであった。
善治が何かを撒きながら骸の間を歩いていると、ほどなくして村に差し掛かった。村もまた無残な姿になり果てていた。田畑は踏み荒らされ、家々には矢が刺さり、燃え尽きて炭の塊になったものまであった。村人と見られる女子供の死体も転がっており、善治は思わず両手を合わせた。
そして善治が引き返そうとした時であった。わずかに人の声が聞こえた。善治は気のせいかとも思ったが、直感の方を信じ、声のした方へ歩みを進めた。
屋根や壁に幾本もの矢が突き刺さり、投石によって崩れかかった家の裏側だった。若い女が頭から血を流して横たわっていた。
善治は「生きているのか」と低い声をもらすと、かすかなうめき声をあげる女をひょいと担ぎ上げ、村を後にした。
肩には女を、腰には袋を。そして置き去りにしていた酒壺を拾い上げ、善治は土埃の奥へ消えていった。酒壺からは、善治の歩調に合わせてぴちゃぴちゃと赤黒い血がこぼれていた。
◆ ◆ ◆
善治の屋敷は山の中にある。屋敷といってもこれまた粗末なもので、戸は外れて吹きさらしだし、屋根もかろうじて板が乗っている程度で、雨が降れば屋敷の中にも雨が降る。そのせいで床板も腐りかけていた。
そんな屋敷の小さな一間にぼろぼろの莚が敷いてあって、善治はそこに女を寝かせていた。そのままでは申し訳ないので、あまり使っていない比較的綺麗な着物をかけてやった。女の頭の傷は思ったほど酷くなくて、腫れてはいるが、血を拭ってみるとすでに出血は止まっていた。
「心配するほどのものではなかったか」
善治は小さく嘆息すると、鍬を担ぎ、屋敷を出た。
鍬を担いで山奥を歩くのは善治の日課であった。いつもは山の反対側に用がある。しかし今は普段と違う獣道を歩き、目的の葉をみつけると、その下に育つ大きな芋を掘った。芋を掘ったら適当な山菜を積み、偶然見つけた栗もたくさん拾うと、善治は屋敷へ戻ることにした。
屋敷に戻ると、善治は女の顔を覗いた。相変わらず目は覚まさないが、倒れていた時とは違って苦しそうなうめき声などひとつもあげず、すやすやと気持ちよさそうに眠っていた。
女が眠っている間に、善治は滅多に使わない土間でなんとか栗を茹でた。ある程度冷めた頃合いを見計らって、善治は戸の外れた縁側に腰掛けて栗を剥き始めた。二つ三つを剥いた頃だった。娘の細い声が聞こえてきた。
「どこ……?」
振り向くと、女はまだ起き上らずに、ぼんやりと天井を眺めているようだった。善治は一瞥で済ませると、栗剥きの手を進めた。
「気づいたか。頭を打ったようだから、無理はするな。まだ起きない方がいい」
着物の擦れる音が聞こえた。善治の忠告を聞かず、女が体を起こしたのだ。
案の定、すぐに甲高い悲鳴が聞こえた。
予想通りなので、善治は驚くわけでもなく、何があったと問うわけでもなく、ただ栗剥きの手を止めた。みすぼらしい衣を着て、金色の髪を伸ばし放題にしている姿を見れば、たとえ栗を剥いているだけの縁側の後ろ姿でさえ恐ろしいものに見えるだろう。
「鬼……!」
やはり女は引きつった声でそう言った。振り返ってしまったらもっと酷く怖がるに違いない。だから善治は振り向かずに言った。
「山を下る元気があるならここから出るといい。動けないならしばらく休むといい。俺はお前をとって喰ったりはしない」
しばらく沈黙が続いた。気が動転している女の早い呼吸だけが聞こえる。善治は静かに栗を剥いた。
着物の擦れる音が聞こえ、床がきしみ、女が立ち上がったのがわかった。山を下りる方を選んだようだ。ぎしぎしと腐った床の音が聞こえたが、土間に降りた瞬間、女は「うっ!」と声をあげると、そのまま土間に崩れてしまった。
それには善治も驚いて、思わず駆け寄っていた。
「どうした!」
女は痛そうに顔を歪めて、足首に手をやっていた。よく見ると、足首は大きく腫れあがっていた。
「足にもけがをしていたのか」
善治は女の傍によると、嫌だ触るなと暴れる女を軽々と持ち上げて、莚の上に戻した。
「足が治るまでは山も下れまい。俺は人里に降りる気はないから、お前を安全なところまで送ってやれん。動けるようになるまでしばらくここで養生しろ」
「嫌よ、村へ帰して! おとう達が心配しているわ!」
頭を打ったから、記憶がないのだろうか。
「お前の村はもうない。戦に巻き込まれて、村人たちもたくさん死んでいた」
女が蒼白な顔で凍り付いた。
「そうだ……。おとう、おっかあ、ばあさま、六太……。みんな死んだ。みんな……」
どうやら記憶は失っていないようだった。
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