後編(完)
水と涙でぬれた顔をハンドタオルで拭い、着替えを済ませる。
着ていたものを鞄にしまい込む途中、棚に置きっぱなしにしていた青い兎のキーホルダーとチョコ菓子に目がいった。
それを見るとさっきまでの夢のような時間やプリクラに映った自分たちの姿を思い出し、何とも言えない胸の苦しさがよみがえる。
「……」
きっとこれを見るたびにこの胸の痛みを思い出すのだろう。
だけどどうしてもそれらを捨てる気にはなれず、バッグに押し込もうとするが、キーホルダーは入ったもののお菓子はパッケージがでかすぎて入りきらない。
仕方なくそれはゲーセンのビニール袋のまま手に持って行くことにした。
東京に来る前に帰りの電車も調べてあったが、確か地元への特急は1時間おきだった。
(帰りの電車は18:50だったっけか…)
携帯を取り出しもう一度時刻表と時計を確認すると17時台の便がちょうど出てしまった後で、次の電車まで約1時間もある。
大きな荷物を抱えたまま知らない土地を遠くまでうろうろする気にはとてもなれず…とにかく気持ちを休めたくて、目についた駅付近のコーヒーチェーン店に入った。
抹茶ラテを購入して空いてる席がないか周りを見回すが、店内はほぼ満席でテーブル席に空きはなく、大きなガラス張りの壁に外に向かって座る席しか残されていなかった。
田舎でそんな座席はほとんどないのでその席に座ることに抵抗はあったが、そこしか場所が空いていないので仕方なく大きなバッグを膝に乗せ、テーブルにチョコ菓子と購入した抹茶ラテを置いて一息つく。
(…なんかこの席、ガラス張りの檻に入れられた気分だな)
まるで見せ物になったみたいだ。
そんな風に思いながら外を行きかう人々を眺めるが、行きかう人は自分など見向きもしていない。
抹茶ラテをちびちび飲みながら、目の前にあるチョコ菓子を視界に入れては、また胸が痛くなる。
(…家帰ったらこれ全部やけ食いしよっかな)
ぼんやりとした頭で傷心に浸っていると、どこからか視線を感じふと顔を上げる。すると…
「……え?」
ガラス張りの向こう側に、先ほどまで自分の彼氏役をしていた優斗さんが立っていた。
ほんのだけ一瞬目が合った気がしたが、優斗さんはすぐに踵を返してどこかへと走り出した。
(ビックリした…目が合ったかと思ったけど、気のせいか…)
ドキドキした胸をなでおろしてから抹茶ラテをぐいっと飲みこむと、急に後ろから影が落ち、ぽんと肩を叩かれる。
「…青、だ。はぁ、よかった、見つかって…っ」
「……っ!」
勢い良く振り向いた先にいた人は、先ほどどこかへ走って行った筈の優斗さんだった。
(え、なんでここに…?!てかオレもう女装してないのに、何で青ってバレてんの?!)
血の気がサーっと引いて頭が真っ白になっていく中で、彼はさっきまでのように優しく、それでいて情けない顔で話しかけてきた。
「青、ちょっと話したい。…オレはここでもいいけど、青が嫌なら別の場所でもいいからさ。ちょっと話そ?」
そう言われてはっと周りを見ますと、オレの隣の席は片方だけ空いていたが相変わらずのほぼ満席状態で、店内の女性客のほとんどがイケメンな優斗さんに注目しているのが分かった。
(どうしよう…っ)
とにかくこのままここにいるのはまずい。訳が分からないながらもそう思って無言で席を立ちあがると、
「荷物はオレが持つよ」とあっという間に荷物を人質に取られてしまい、逃げるに逃げられなくなってしまった。
仕方なく優斗さんの後をついて少し歩くと、小さな居酒屋へ着き、個室へ案内される。
オレは何も注文する気はないのに、お通しとメニューが目の前に置かれた。
そして肝心の優斗さんは個室へ入ってからオレをジロジロと見ているだけで一向に話す気配がない。
…一体どうすればいいのだろうか。
「………あの、なんで青って、わかったんですか」
沈黙と視線に耐えきれずに口を開く。
オレは青じゃないです人違いですと言ってみようかとも思ったが、ここまでのこのこ着いてきといてそれは今更すぎる気がした。
「…青と話したくて、そのチョコ持ってる人探してたんだ。でっかいから目印になると思って。…最初見た時男だから違うかと思ったけど、よく見たら靴とパンツ同じだし…顔もよく見たら、青だし…」
(最初から男ってわかってたわけじゃないんだ…)
だからこそやっぱり、デートであんなに優しくしてくれたんだろう。
(…なのに探してみたら男だったとか)
そう思うと騙してしまった挙句、そんな風に探させてしまったことをすごく申し訳なく感じてしまう。
「…すみませんでした。男が利用したらダメだって、規約違反だってわかってたのに…どうしてもデートしてみたくて…ほんとすみません。もう2度としませんので…」
「え!や、うん。大丈夫だよ?規約違反かもだけど…オレは別に関係ないし、気にしてないし…会社にも言わないから。そんな、謝らせたくて声かけた訳じゃないんだ」
「…はぁ」
じゃあ何で追いかけてきたんだろうと言葉を待ってみても、やっぱり優斗さんはオレを見ているだけでなかなか話し出さない。
「……あの、もう18時過ぎてますけど、オレ、延長料金とか持ってないですよ?」
「え?あ、そういうんじゃないから!お金なんかいらない!お金かかるんだったらむしろオレが話したいって頼んだんだから、オレが青にお金払わなきゃいけないよね!」
「…はぁ…?」
なぜかあわあわし出した優斗さんに、一体この人は何をしたいんだろうかと思いながら視線を落とすと、目線の先に来たお通しの卵焼きにそぼろが入ってるのが見えて、それがやけにおいしそうで目が釘づけになる。
(…これ、食べていいのかな…?でも今日のためにお金使ったせいで金欠だしな…てかお通しだから食べなくてもお金払わなきゃなんだし、食べていいかな?)
だがそもそも食べるような雰囲気ではないなと悶々としながら卵焼きをガン見していると、優斗さんがやっと口を開いた。
「…デートをさ、予定時間より早く切り上げたのは…体調じゃなくて気分が悪くなったんでしょ?オレ、なんかまずいことしたかな?」
卵焼きから優斗さんへと視線を移すと、デートの時からは想像つかないほど真剣で、そして苦しそうな顔をしていた。
(…そんなことを聞きたくてわざわざオレを探し出したのか?)
そういえば彼氏のデートの後に感想という名の評価項目がいくつもあった気がする。
それに変なことを書かれたら困るのだろうか?
それとも客が不快に思うようなことがあったら徹底的に直すからこその人気NO.1なのだろうか。
オレが考えている間にも、彼の表情はどんどんと曇っていく。
「…優斗さんは、何も悪いことありませんでしたよ。むしろすごく楽しくて…なんか、夢のようでした」
そう言うと優斗さんは少しホッとした表情を見せたが、「じゃあなんで急に切り上げたの?」とさらに聞いてくる。
何て答えればいいのか少し悩んだが、きっと答えるまで解放されないのだろうなぁと思い、正直に口を開いた。
「…オレは、あの、ゲイなんですよ。だけど…今まで男に好意を寄せてもらったことが無くて、デートとかもしたことないんです。だから有料でもフリでもいいから、男とデートしてみたくてこのサービスを頼んだんですけど…なんか自分のデートしてる姿見た途端、急に空しくなって。
優斗さんが恋人のフリしてくれるのも優しいのも、オレだからじゃなくって…オレが女のフリしてるからなんだろうなって。きっと男ってわかってたらお金払ってもこんな風に優しくなんてしてもらえないんだろうなって。
…でもオレは男とデートしてみたかっただけで、女装したいわけでも女になりたいわけでもないのに…お金払ってまで何やってるんだろうなって、思って…
…本当に、優斗さんは悪くないんです。オレが馬鹿だっただけで…」
自分でも整理しきれないぐるぐると渦巻いた感情をスラスラ言葉にできる訳もなく、たどたどしく話すオレの言葉を、優斗さんは馬鹿にしたりせず真剣に聞いてくれた。
「…うん、そっか。じゃあ青は、デートがつまんなかったとか、オレが嫌になったとか、そういうんじゃないんだね?」
「はい…」
「…なんだ、よかったー!」
そう言ってテーブルにごろんとする優斗さんは、さっきまでのシリアスな表情が嘘みたいに満面の笑みだ。
(…もしかして、早く帰られるとか、プライドが許さなかっただけかな?)
あまりの変わりように呆気にとられながらも時間を確認すると、もう18時半。そろそろ駅に向かわないと帰りの電車が間に合わない。
(話も終わったし、もういいよな)
「…あの、デートの感想はちゃんと優斗さんが良くなるように書いておきますんで。本当にすみませんでした」
立ち上がって挨拶をし、荷物を手に持つと
「え、えぇ?!ちょっと、どこ行くの?!」
と優斗さんがまたあわあわしだした。
「あの、オレの地元ちょっと遠くて。電車1時間に1本なんで、もう行かないと…」
「え、次の電車でもいいじゃん!終電まだでしょ?食べてこうよ!」
「や、家に着くのが遅くなるんで…それに延長料金はもってないんで…」
「延長料金はいいってば!むしろ奢るし!これはプライベートだから、ね!」
そう言って優斗さんはまたオレの荷物を奪い取った。
「はぁ…」
荷物を人質に取られ、仕方なく元いた席へと戻る。
…決して金欠だから奢ってもらえることになびいたわけではない。決して。
オレが席へ戻ると、優斗さんは「何が食べたいんだ?お兄さんになんでも言ってみ?」と嬉しそうにあれこれ注文しだした。
居酒屋なので食事だけでなく優斗さんはカクテルやチューハイをいくつかたのんでいたが、その中にはお酒を頼んだ覚えのないオレ用の飲み物も含まれていた。
せっかくたのんでくれたのに断るのも申し訳なくて、酔わないようにちびちびと少しずつ飲み進めていたが、1時間経つ頃にはオレも優斗さんもすっかり出来上がっていた。
優斗さんはいつの間にか向かいの席からオレの横へと移り、オレにもたれかかるようにして酒を飲んでいる。
「ねーねー、連絡先。連絡先を交換しようよ」
「もうしてあるじゃないですか」
「えー?あれは仕事用で会社んのだからさー、オレの本当のは別んのだからー」
「…本当のは聞いたりしちゃいけないって、利用規約に書いてあった気がしますよ」
「えー?利用者が聞いてくるのはダメだけど、オレが教えたくて教えるのはいいんだよ。ほら、携帯、携帯ー!」
そう言われて携帯どこだっけなーとぼんやり考えていると、オレのズボンのポケットからずるりと携帯を抜き取られ、優斗さんが勝手に連絡先を入力しだした。
ぼーっとした頭で優斗さんが操作する携帯を覗き込むと、時間は20時半を示していた。
「あれ、もう20時すぎてるんですか…?オレ、終電が…田舎で、特急乗らなきゃいけないんで、もう帰んないと…」
そう言って座ったまま荷物を取ろうとするが、またしても優斗さんに奪われて手の届かない方へと置かれてしまう。
「何言ってんのー?こんな酔っぱらって、夜中に帰るなんて、襲われたらどうすんのー!危ないでしょー!」
優斗さんはそう言いながらオレの背中をベシベシ叩き始めたが、言われてる意味が全く分からない。
「何言ってるんですか?襲われるわけないじゃないですか…オレ、男ですよ?」
「だーめだめだめ!危ないったら危ない!ど―――…しても帰るっていうならオレが家までしっかり送ってくー!」
「何言ってるんですか…ここから特急で2時間ですよ?」
「送ってくー!それが嫌ならオレんち泊まってきなさい。明日祝日だから休みでしょ?泊まっていきなさい。うん、そうだ。それがいい」
笑顔でうんうん頷いている優斗さんは、完全に酔っぱらって自分で何を言ってるのか分かってないんだろう。
「…優斗さんいつもこうなんですか?サービス満点ですね。だからきっと人気NO.1なんですね」
酔っぱらいつつも、お客を大事に優先してくれる。
オレを男と分かってからもこんなに優しいのだから、きっと女性が相手だったら本当に相手の家まで送り届けるんじゃないだろうか。
デートの時も優しくて素敵だったが、飲み始めて酔っぱらってからも、優斗さんを嫌に思うことなど1つもなかった。流石NO.1だ。
うんうん、と1人で納得していると、優斗さんが子供の様に頬を膨らませた。
「…違うから。青だけ特別、青にだけだよ!」
「はいはい」
どこまでもお客の気持ちを上げるのが上手いなぁと感心していたが、結局酔った優斗さんに泣きつかれて、本当に優斗さんのお宅へ泊まることになってしまった。
そしてベッドが1つしかないからと、一緒の布団に入れて頂いた。
「…ねぇ、次いつ会える?」
布団をかぶって目だけを出している状態でも、優斗さんは相変わらずイケメンだ。
「え?またサービス利用していいんですか?でもオレしばらくはもう金欠で…優斗さんNO.1だから料金高いし…」
「え?何言ってんの?お金なんていらないから!てかもう有料彼氏サービスなんて辞めようかな…青だけの無料彼氏になりたいし」
「はは、優斗さん面白い」
そんな寝る前の会話は、オレはてっきり営業トークだと思っていたのに、優斗さんは次の日からマメに連絡をよこしてきて、有料彼氏サービスは予約の入ってた分だけをやり終えると本当に辞めることにしたらしく、そして本当に無料でオレの田舎まで会いに来てくれたから驚きだ。
女装してまで彼氏をレンタルするだなんて…自分でも本当に馬鹿げたことをしたと思うけど、それでもその結果、こんな風に自分の性癖も何でも話せる唯一の人と知り合うことができて、本当に良かったと思う。
優斗さんがオレに会いに来てくれた時、青い兎のキーホルダーが優斗さんの家のカギにつけているのを知り、オレも同じようにアパートのカギにそれをつけるようにした。
毎日毎日目にするようになった青い兎のおそろいのキーホルダー。
それを見て胸が温かくなることはあっても、痛むことはもうない。
終 (2015.7.25)
※利用規約は破ってはいけません。きちんと守りましょう!
「青、逢いたかったー!」
「本当に会いに来てくれたんですね。こんな田舎なのに、ありがとうございます」
「青のためだもん!」
「はは。優斗さん面白い。そんなこと言ってると惚れちゃいますよ?」
「いい加減惚れて下さい」
「はは、またまた~」
(…全然伝わってない…)
(本命だけはなかなか落とせないイケメン×超絶鈍感)
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