第22話 好きだからこそ
空は青天。
会社の屋上は、昼食を食べる社員達で賑わっていた。
そんなベンチの1つに、2人の女性社員が並んで座っていた。
「ねえねえ美祢ちゃん、聞いた?」
「はい、何をですか?」
どちらもお弁当組である。
久仁は好奇心がありありと分かる表情で、小さく囁く。
「海外事業部の
「もう、一週間もですか」
「そ。当然その間は無断欠勤で、かなり騒ぎになってるみたい。みんな、心配しているみたいね」
「脇谷さんは、違うみたいですけど」
「し、しし、心配してるわよ? 一応は」
ギクリ、と身を仰け反らせ、久仁は視線を泳がせる。
「……って言ってもあまり接点ないし、どこか他人事なのはしょうがないかもね。でも、それどころじゃない人も多いわよ。ほら、あそこにいる、秘書室の人、沈んでるでしょ?」
「ですね」
美祢は久仁と一緒に、少し離れた場所で食事を取っている女性社員達に視線を向ける。
その中でもかなり可愛い子が、あからさまにやつれている風だった。
「あの子、付き合ってたららしいわよ。……もっとも、他にも社内外問わずあちこちにそれっぽい女性の噂が聞こえてたみたいだけど」
「あの、脇谷さん。噂のレベルなら、あまり吹聴しない方がいいかと思いますよ?」
「うん。でも美祢ちゃんは口が堅いじゃない。だから大丈夫よ」
「……それはあまり大丈夫とは言わないような気がしますよ?」
「まあまあ。それで茂木先輩の付き合ってた女性といえば、人事部や広報部の誰それとか、取引先の社員とか……むぐ」
美祢は自分の弁当の中から鶏の唐揚げを一つ取り、久仁の口に突っこんだ。
「ひとまず口を動かすなら、ご飯を食べる方に専念しませんか?」
「……ううむ、相変わらずいい腕してるわね。いいお嫁さんになれるわ。どれもう1つ」
美祢は、照焼きにした骨付き肉を取ろうとする久仁の箸を防いだ。
「こっちは駄目です」
「何でよう」
「脇谷さん用のおかずはこちらになります」
仕切りで区切られた場所に詰められている、唐揚げや卵焼きを指し示す。
「住み分けされてるの!?」
「いらないんですか?」
「頂きます」
ぺこりと頭を下げて、久仁はそこからおかずを摘んでいく。
「頬にタレがついていますよ」
美祢は嫌な顔1つせず、ポケットからハンカチを取り出した。それで久仁の頬を拭う。
「本当にいい子ねえ、美祢ちゃん。うちにお嫁に来ない?」
「女同士じゃ結婚できませんよ」
「じゃあ、このハンカチだけでも形見に頂戴?」
「あの、形見ってちょっと縁起でもないんですけど」
「……週末にちょっと、富士の樹海に旅行に行こうと思ってるの」
「本当ですか?」
「いや、嘘。……ううん、でもこれ、出すとこ出せば高値でいけそうなのよねぇ……経理の田中とか企画部の佐藤とか……」
「ちゃんと、返して下さいね?」
その日の夜。
一人暮しをしている美祢のマンションに、来客があった。
「はい?」
ドアを開けると男は手帳を取り出した。
「夜分にすみません。私、こういう者です」
「刑事さん、ですか?」
「ええ、少しお話を伺ってもよろしいですか? この男性についてなんですが……」
懐から取り出した写真には、二枚目の青年が写っていた。
もちろん、美祢は知っている。
「茂木先輩ですね」
「はい。付き合っていたというお話ですが事実ですか?」
「はい。そうですけど……」
そう、美祢は
しかし、それを知る人物はほとんどいないはずだ。
となると、一番有り得るのは本人の家を捜索した可能性だろう。
美祢は考えるが、それには構わず刑事は話を続ける。
「彼が行方不明になっているという話はご存じですか? 我々が伺ったのは、その事についてなんです。行方に心当たりはないでしょうか?」
「行方ですか」
美祢は部屋を振り返った。
すると刑事は驚いたようだ。
「まさか、いるんですか?」
「あいえ、料理の途中だったので火が点きっぱなしなんです」
「それはいけません。もう少しで終わりますから、消してきて下さい」
「はい」
急いで部屋に戻り、鍋の火を消す。
そして再び玄関に戻った。
「最後に彼を見たのはいつですか?」
「そうですね。一週間前の朝でしょうか」
「その時の様子は?」
「特に変わりはなかったと思います」
ふむ、と刑事は手帳にメモを取り、唸る。
「……とすると、今の所、貴方が彼を見た最後の人間ですか」
「そうなんですか?」
「ええ。何か手掛かりになるモノなどありませんか?」
「手掛かりと言われましても……」
具体的に、どういうモノを渡せばいいのか分からない。戸惑う美祢に、刑事が助け船を出してくれた。
「彼の所持品のようなモノなどは?」
「ああ、あります。でも、やっぱりどれを渡せばいいのか困るんですけど」
「多いんですか?」
「そうですね。シャツやズボンの替えが幾つか。私物のCDや本、お箸、お茶碗、マグカップ、歯ブラシにスペアの靴……」
指折り数える美祢に、刑事は慌てて手を振った。
「あ、ああ、結構です。その、定期券や携帯電話、財布はなかったですか?」
「そういうのはちょっとないですね」
「まあ、こういうのは自分で所持しているモノですからね」
さして期待もしていなかったのだろう。
それから短い質問を終え、刑事は手帳を閉じた。
「協力ありがとうございました。何か、気がついた事がありましたら、ご連絡下さい」
「はい」
「っと、料理の最中でしたね。それでは我々はこれで」
「はい。お巡りさん達も頑張って下さいね」
刑事が去り、美祢はドアを閉じた。
部屋に戻り、中断していた食事の準備を再開。
肉料理中心の夕食が完成し、美祢は手を合わせた。
「いただきます」
名残惜しいと言えば名残惜しい。
この肉の味も、今日が最後だ。
まさに肉の一片、血の1滴まで『彼』は美祢のモノとなったのだ。
これで『彼』はもうこれ以上歳も取らない。
いつまでも若々しいまま美祢の記憶に残るし、他の女に気を向ける事もなくなった。
「これからは、ずっと一緒ですよ、先輩」
ワインを飲みながら、美祢は胃の辺りをそっと撫でるのだった。
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