living on killing,living on working.
きよすけ
手にした得物が、てらりと鈍く瞬いた。
ねっとりと錆びくさい“それ”は、路地裏にうっすらと差し込む表通りの光を受けて赤く見える。
否、実際に赤いのだ。“それ”は。
足元に転がった肢体……死体は、まさにその赤色の源泉である。首と腹を掻き切られたソイツに生命が宿っていないのは、もはや誰がどう見ても明白であった。
足元に転がっているのは若い……むしろ若すぎる―――少女というべき年の頃の女性の体だった。
そして、そんな場所に立っているこの男を見た誰もが、彼を犯人だ、と指差し、鞄の中から携帯電話を取り出して通報するだろう。
男は冷静だった。むしろ、楽しそうに笑みを浮かべていたくらいだ。
彼の様相は、誰が見ても異常だろう。
男は手に持った鉈を狭い夜空に透かしてみては、うっとりと目を細めた。
にたりと唇が、いやらしく弧を描く。どこか淫靡で、どこまでも陰湿な微笑みだった。
男の視線が、足元に転がる少女へ向く。
彼はおもむろにその場にしゃがみ込むと、彼女の顔面を愛撫するように撫でまわし、あまつさえ抱き上げ顔面を嘗め回しさえもした。
唾液という名の死に化粧が、彼女の死に顔を彩った。彼女が仮に生きていたら、耐え難い屈辱であるだろう。とはいえ、死んでしまったという結果に比べれば生きたまま顔を嘗め回されるほうが遥かにマシである。
ねちゃりと音を鳴らしながら、男は少女の顔の隅々を嘗め回す。顎のライン、耳の裏、耳の中、鼻筋、鼻腔、唇、眉のライン、眼窩の縁、そして、見開かれた目玉を特に執拗に舐めた。舐めて舐めて舐めて―――そうしてしまいには、目玉と眼窩の隙間に舌を押入れ、舌先で目玉を穿り出し、目玉を口に含んでしまうと視神経を歯で噛み切った。
口の中で転がすには些か大きい眼球を、それでも丹念に味わうように男はしゃぶった。
しばらくして満足したのか、男はそれを口から出すと、腰に下げていたポーチから小瓶を取り出して目玉を大切そうにその中へ仕舞いこんだ。
もう片方の目玉も、同じ手順を踏んで小瓶へ仕舞いこんだ。
小瓶の中には、仲良く目玉が二つ並んでいる。
男はそれを見ると、まるで大粒のダイヤモンドを見る貴婦人のような感嘆の息を漏らした。
それが、巷で噂の殺人鬼『目玉狩り』、篠塚伊代の最期の夜であった。
篠塚伊代は、有名宝石店の従業員だ。
彼は生来、美しいものが好きだった。
花を愛し、絵画を愛し、そして何よりも宝石が好きだった。幼い頃は、母の不在の間にこっそりと母のアクセサリーボックスを開いてキラキラと輝く貴金属を眺めているのが趣味だった。中にはイミテーションも少なくなかったが、気にならなかった。
宝石店で働こうと決心したのも、単純に宝石というものが好きだったからだ。
いつ見ようと、宝石の美しさは変わらない。ただそこに、美しさが目に見える形となって存在している。
変わらないそれを、次第に篠塚はつまらないものと感じ始めていた。
篠塚はそれらを毎日見ているうちに、その美しさに慣れてしまったのだ。
永遠の美しさを持つ、その代わり、永遠に変化のない美しさ。
篠塚は得心した。幼い頃、あんなにも母のアクセサリーボックスの中身が美しく見えたのは、それが限られたときにしか見ることが出来ないものだったからだ。
常に見ていると、段々と目が肥えてしまう。変化のない美しさは、篠塚を物足りなく感じさせた。
出会う宝石は、いつも美しい。それは心を満たすのに、だのに心の深いところまでは浸透しない。子供の頃の、宝石を目の前にしたときの高揚感は訪れない。
いつかの仕事のときだった。
とある若い男女が、結婚指輪につける宝石を選びに訪れた。
篠塚は、宝石を差し出しながらその片割れ……女性の瞳に目を奪われた。
宝石の輝きを、夢見るように見つめる瞳は、寧ろそれ自体が宝石のようだった。傍らの男性と言葉を交わすたび、瞳は万華鏡のように表情を変え輝きを変え、篠塚の心を深く穿った。
男女が店を出て、仕事も終わり帰宅する時間になっても、篠塚の脳裏には今日ふと気がついてしまった、人間の瞳の美しさが焼きついていた。
また、ある日のことである。
篠塚は絵画展に訪れていた。
あまり有名ではないが、一部に絶大な人気を持つアンリ・セザンヌという画家の個展であった。
セザンヌ、とは言うが、アンリの絵はかの有名なポール・セザンヌの画風とは全く違う。
作品には人物画、風景画は少なく、抽象画が多い。そして、所謂シュールレアリスム、というカテゴリに分類されそうなものが多かった。
単純に美しいものよりは、どちらかといえば醜かったりどこかグロテスクな雰囲気の作品の方が多い。そういったものは立体感は稀薄だが、それ以上に真に迫るような、首を締め上げてくるような存在感を放っていた。
そして、数少ない風景画や静物画は打って変わってみな清澄な空気を纏っている。目の前に描かれた対象が存在するかのような風情を漂わせる、美しい絵画ばかりだった。
どちらが本当の、アンリ・セザンヌを示す記号なのだろうか。
考えながら通路を往き過ぎて、篠塚は最後の絵画に辿り着いた。
タイトルは『ひとみ』。
他の絵画は流れるような美しい字体で、フランス語でキャプションが書かれていたというのに、この作品のキャプションだけ拙いひらがなで書かれていた。
キャプションはすべてアンリの手書きだ、という風にパンフレットのコラムに載っていたが、これも彼の字なのだろうか。篠塚は、苦戦してひらがなでキャプションを書く外国人を想像して少し可笑しくなった。
キャプションから上に視線をスライドさせると、その『ひとみ』に辿りつく。
この作品は、これまでに掲載されていたアンリの作品のどれにも分類されなかった。
醜さやグロテスクさを持ち合わせ、だが彼の描いた静物画のような清澄で美しい風情も持ち合わせる。ようするに、今までの通路に掲載されていた作品の雰囲気全てをごちゃ混ぜにしたような絵であった。
額縁の中には、色とりどりの目玉があった。それらが、木製のつるりとしたテーブルの上に転がっている。まるで、飴玉のように。
色とりどりといっても、赤や緑や青なんてカラフルさはない。黒や茶色、そんな地味な色合いで、ほんの些細な色合いの違いしかそれらにはない。けれど、それらは決定的に別物であった。
どれひとつとして、同じような瞳がない。全てがそれぞれの輝きを持ってして、そこに転がっているかのようなリアリティと存在感を醸し出していた。
そして、瞳の美しさも。
篠塚は嘆息していた。額縁の向こうに転がっている、人の眼窩に納まっていたはずの宝石にも似た球体の美しさに陶酔していた。
額縁の中の眼球は、見れば見るほどいつかに心奪われた女性の瞳のように煌めきの色を変えているように見えた。
変わらないはずの絵画。だのに、生きてそこに在るように輝いている。
篠塚は手をかざし、眼球をひとつ手に取るような仕草をして見た。
「……欲しい、なぁ」
気がつけば、そんな言葉が口から零れていた。
「それはこの絵がか? それとも、“瞳”がか?」
人気のない通路に静かに溶けたその言葉に、思いもよらぬ問いかけが帰ってきた。
「……? きみは……」
気配もなく、篠塚の隣には一人の男が佇んでいた。
その存在を視認しても、なおその男の存在感は稀薄であった。
フォーマルなスーツの中に奇抜な模様のパーカーを着ていて、表情は深く被ったフードによって窺い知れない。見た目だけならば目を引きそうだというのに、変な表現ではあるが“目に見える透明人間”といった雰囲気の男だ。
「……いい絵だよ。私は好きなんだ、アンリ・セザンヌの絵がね」
「僕も今日はじめて見たが、酷く心を奪われたよ。以前から、噂だけは聞いていたがこれほどのものだとは」
先ほどの質問に答えは必要がなかったのか、男はぽつりと質問に関係しないことを呟いた。篠塚も、さして気にもせず彼の言葉に同調した。
「まるでそこに瞳が転がっているような、リアリティを感じるよ。だのに、現実味がないほどに美しい」
「アンリ・セザンヌの絵は、閉じ込めているからな。モデルを」
閉じ込めているという男の表現に、篠塚はまさにその通りだと頷いた。だが、男は首を振った。
「きみは勘違いしているんではないか。今のは比喩ではない。事実だ」
「……?」
「事実、これには目玉が閉じ込められている。ひい、ふう、みい、……六人分の目玉だな。この絵には六人分の目玉が入っている」
篠塚は首を傾げるより他になかった。
だが、不思議とこの男が嘘や狂言を言っているとも思えず、それがさらに首をかしげる要因となった。
暫しの沈黙。その間、二人の視線は『ひとみ』に釘付けであった。否、釘付けであったのは篠塚の方だけかもしれない。
「……ああ、ダメだな。もうダメだ」
突然男が、諦めたように呟いた。主語がなかったから、篠塚には何がダメだったのか分からない。
「どうしたんですか」
「きみが、ダメなんだ」
「……はあ」
初めて男は篠塚を見た。篠塚も、初めて男の顔を見た。
何がダメなのだろうか、と突然ダメ呼ばわりされたことになぜか怒りも湧かず、疑問だけが篠塚の頭を巡る。
「きみは“帳簿”に載ってしまった。近いうちに、また私と会うことになるだろう。この絵が運命を帳簿に書き込んだ。それがいいことか、悪いことか、私が判断するべきことでもなければ判断されるべき事象でもない」
男の言うことは意味不明瞭であった。
出会ってその日にこんなわけの分からないことを言われて、なおも篠塚は彼に対して反感も恐怖も抱かず、彼が狂人だとも思わなかった。
「私は屋守菊晴という。きみはいずれこの名を呼ぶことになる。改めてその時が来れば名乗るが、覚えておくといい。死神の名前だからね」
男……屋守は名を名乗り、そして最後にそれが死神の名であると付け加えた。すなわち、彼は彼自身が死神だといっているのだろうか。
これはどういう意味だろうか、やはり篠塚には見当もつかなかった。
「本日の個展の帰り道に、きみの運命は確定する。きみが“完成”してしまった後、また会おう」
不可解な言葉を残し、男は最後の通路を出て行った。
篠塚は呆気に取られたまま男の背を見送った。
そうして、ふと我に帰ると再び『ひとみ』に目を向け、絵画の見つめて閉館時間まで通路に立ち尽くしていたのであった。
個展の帰り道のことだった。
篠塚は、初めて殺人を犯した。
全く計画はなし。完全に突発的なものであった。
一人帰り道を歩いていたら、急に個展で見た『ひとみ』が恋しくなったのだ。
瑞々しい、色とりどりの眼球が見たくて欲しくてたまらなくなった。
篠塚は殆ど衝動的に、近くの適当なデパートに寄るとキッチン用品のコーナーで出刃包丁を購入した。それと、雑貨コーナーで粘着テープとゴム手袋を買った。準備はこれだけでよかった。余裕があったので、ついでに夕飯のおかずも買った。
後は、売春目的で町に立つ少女に財布の中身を渡した。媚びた笑顔で腕に絡みつく少女の頭を撫でて、篠塚は路地裏へ足を運び、少女の腹部に拳を捻りこんだ。
体を句の字に折り、倒れこんだ少女の体を組み敷いて、その口を首尾よく粘着テープで塞いだ。悶えている間に、手も粘着テープで縛っておいた。
恐怖におののく少女の目が、篠塚を映した。潤んだ瞳がきらきらと光って、篠塚を酷く興奮させた。篠塚は、それが酷く欲しいと思った。
買ってきた出刃包丁を、躊躇いなくおもむろに少女の腹に突き立てた。テープ越しに少女は苦悶の声を上げたが、篠塚は意にも介さなかった。
何度か滅多刺しにすると、ついに少女は事切れた。目は恐怖に見開かれ、涙を垂れ流したまま絶命していた。
篠塚は、少女の眼窩に指を差し込んだ。ぐちゅりと音を立てて、指は眼窩の中に侵入した。そのまま、目玉を潰さないように慎重に引き出した。
「……ああ……」
溜め息が口から漏れた。やはり美しかった。実際に手に取った眼球は、きらきらと角度を変えて眺めるたびに違う表情を見せた。
ようやく納得した、篠塚は心の中で呟いた。
自分が求めていた美しさは、宝石のようにどこか遠い場所にある美しさではない。この眼球のようにすぐ近くにある、些細なきらめきだったのだ、と。
『ひとみ』はそれを気付かせた絵画だった。あの絵画の美しさが、気がつかなかった渇望を暴きだしたのだ。
かくて、殺人鬼『目玉狩り』は誕生した。
屋守菊晴の告げた運命が、ここに確定したのを、篠塚伊代は知らない。
小瓶に目玉を入れ、立ち去ろうとした篠塚の背後に影が立っていた。
篠塚は、その存在感のなさを知っている。アンリ・セザンヌの個展で出会ってから半年が経つ。もうあの時に聞いた名前は記憶の彼方だったが、その出で立ちだけは妙に鮮やかに記憶されていた。あの日とは違う服装だが、それでも相変わらずアバンギャルドな出で立ちだった。
「グッドイヴニング、『目玉狩り』。私はきみの名を知っているよ、篠塚伊代」
「あの時、僕は名乗りましたっけ」
「いいや、けれど、私には運命が見えるからね。きみの運命にはきみの名前のラベルが張られている」
篠塚は、得物も目玉の入った小瓶も隠そうとせず、ただ佇む男を見返していた。不思議と隠す必要はないように感じた。
「驚かないんだね、きみ」
「驚いていたら、仕事にならないだろ。ただ、驚いているといえばよくも半年の間にこれだけ運命を変えることが出来たな。確定は別として、承認期間の半年間の間によくもまあ」
「仕事? ……私服警察?」
彼の言葉には、いつぞやの個展のときと変わらず不可解な点しかなかった。とりあえず篠塚としては仕事、という点が引っかかったらしく、そこだけを反問する。あとは聞いても分からないことなのだろうな、と直感的に感じ取っていた。
「私が警察に見えるなら、きみも相当に代わった感性の持ち主だな。さすがは殺人鬼といったところか。言っただろ、私の名前は死神の名前だと。私は死神だよ。きみを“伐採”しにきた」
「悪人殺しの正義の死神?」
「あたらずしも遠からじ。正義や悪は関係ない、私が与えられた業務は“殺人鬼”を殺す“殺人鬼”になることだ」
きらり、男の背中の方で何かが光った。後ろ手に持っていたソレを男はゆっくりと表に出した。大振りの鉈だった。一薙ぎすれば、たちまちに草どころか人の命も刈れそうな代物だった。
「名刺はないが、あの時言ったとおりきちんと名は名乗ろう。そうしないと私の業務に支障が出る。私は屋守菊晴。任期五十年で現に出張中。現在、三十年目。冥府管理局伐採課係長を勤めている」
まるで漫画の台詞のようだと篠塚は思った。だが、やはり嘘には思えなかった。
「残念ながら、きみは有頂天でもなんでもない。ありのままの自然体で欲しいものを集めている子供のようなものだから、どうにも殺してしまうのは気が引けるが……どうか恨まないでくれ。これが私の仕事なんだ」
鉈の刃先が首に当てられた。屋守が殺そうと思った瞬間に、自分は死ぬだろうと篠塚は直感した。
なんとなく、恐怖は感じなかった。
ただ、今日手に入れた目玉をコレクションケースに並べられないことが心残りだった。
だから。
「……悪いね」
不意を突いて、得物を、あの日購入してずっと使っている出刃包丁を篠塚は屋守の足に突き立てた。
「痛、」
にわかに体勢を崩した屋守を、立ち上がり様に篠塚は押し倒した。目玉を持ち帰りたい一心が、自らを死神と名乗った男を殺す原動力になっていた。
躊躇いはなかった。馬乗りになり、篠塚は屋守の喉元に出刃包丁を振り下ろした。
血の噴水が降り注いだ。それを浴びた篠塚は、レインコートを着て殺害を行うようにして正解だったと冷静に思った。
事切れたであろう男を眼下に、篠塚は目玉を無事に持ち帰られる事に安堵した。
篠塚伊代にとって、美しさの前では、道徳や常識といったものはどうでもよいものだった。
生来何かが欠如していたのだろうか、篠塚は時々考える。
思えば美しいものを眺めているとき以外に、何か楽しみを覚えたことがあったろうか。否、なかった。
ならば、と篠塚は考える。人間は楽しみなくて生きてはいけぬ。だとすると、これは生きるための当然の行為なのだと。食事や排泄に近しいものだと。
殺人は、人権だ。当然の権利だと、篠塚伊代はこの瞬間に納得した。
「ああ、やった。持って帰れる……やった」
本当に彼が死神でなくてよかった、篠塚は思う。人間ならばこうやって殺せばいいのだから。
「安心しているところ悪いが……私は死なないよ。痛いのは嫌いだがね」
「え」
篠塚の首に、死んだはずの屋守の手が絡みついた。そのまま屋守は体を起こすと、すっかり体勢を逆転させてしまった。
「な、ん……で」
締め上げられる喉で、それでも篠塚は疑問を口に出さずにいられなかった。何故ならば、相変わらず屋守の喉からは血が駄々漏れているのだから。
「死神を殺すなら、首を切り落とし、四肢を砕き、脳を割り、心臓を穿て。こう中途半端なんでは、痛くて苦しくて敵わない。さあ、死神の名を呼べ篠塚伊代。これで最期だよ」
屋守菊晴。その名を、呆然と篠塚の白い唇が唱えた。
「確かに許可は戴いた。全く、殺るんなら確実に遣ってくれないと困るぜ、シリアルキラー」
こんな風にな、と屋守はもう片方の手に握っていた鉈を掲げ―――篠塚の脳天をから竹割りしたのだった。
喉の傷は見る見るうちに塞がり、血も出なくなった。
それを確認して、屋守はおもむろに携帯電話を取り出した。
コール音を聞く間、足元に広がった惨状を屋守は眺めた。脳味噌垂れ流しの篠塚伊代の死体と、血塗れの少女の死体が転がっている。ただ、あたりを一番汚しているのは屋守自身の血だった。
やがてコール音が途切れ、落ち着いた男の声が電話口から発せられた。
「よう、部長か。終わったよ。篠塚伊代、伐採完了だ。ただ、久しぶりに反撃されたがね」
屋守の報告を、部長と呼ばれた相手は黙って聞いている。それと、と屋守はさらに続けた。
「篠塚伊代の運命が確定してから、承認まで半年かかるってのはどうなんだ。承認までの半年間、あの男、元々自分の“死の運命”のライン上にいたのよりも多く殺してるぞ。眼球への渇望で運命を変えやがった」
彼ら死神の言う死の運命とは、ある人物の人生に直接関わる死の数を表すものである。本人の死亡の他、その人間が殺す人間の運命も対象の死の運命としてカウントされる。
屋守ら死神は、冥府から現世へやってきて殺人を犯す人間を殺害する任を負っている。冥府ではそれを請け負うものを伐採課、と呼んだ。
伐採課の死神は死の運命を見て、殺しの運命が確定した―――伐採帳簿というものに記録された人間を伐採する。ただし、帳簿に記録されただけでは殺害は許されない。伐採課の上層部によって、その人間が剪定にあたうものか判断がなされ、承認を受けてはじめて伐採することが出来る。
篠塚が殺しの運命を確定させてから、半年も屋守が殺害に来れなかったのはそういった理由があった。
「なあ、これじゃあいつまで経ってもキリないぜ。いっそ紛争伐採課みたいに承認なしにしたらどうだ? ……善処する? その言葉年に十遍は聞いてるぜ部長。……おい切るなよ、話は終わってないんだぜ……」
通話の途切れた携帯電話を、屋守は頭を掻きながらポケットに突っ込んだ。都合が悪くなるといつもこうだ、と無口な上司に些細な悪態をつく。
結局任期を終えてから直談判しに行くしかないか、と屋守は踵を反そうとした。……そんなとき、ふと目玉の入った小瓶が転がっているのが目に留まった。
たしか、篠塚はこの中身を、目玉を嘗め回していた。
屋守はなんとはなしに小瓶を拾い上げると、その中身を取り出して口に含んでみた。
もごもごと口でしばらく転がした後、ぷちゅりと音を立てながらそれを咀嚼した。なんともいえない弾力と、生臭い味が口に広がる。
「……むん」
美味くない。屋守は険しい顔で、咀嚼した目玉を嚥下した。そうして、今度こそ踵を反して路地裏を後にした。
路地裏を出る手前、古びた自販機とすれ違う。
切れ切れに光を発するそれに誘われて、大きな蛾が飛び回っていた。
屋守はその蛾に手を伸ばし、トカゲのようにそれを捕まえた。そしてさらにトカゲのように、まっすぐにそれを口に運んだ。
しゃくしゃくと音を立てながら、屋守は美味そうに蛾を咀嚼した。
「こっちの方が美味い」
人間の味覚はよう分からん、路地裏に死神のぼやきが反響した。
living on killing,living on working. きよすけ @kysk_913
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