極東奇事

狸穴かざみ

1. 地神

 さてこの時分は、草木も眠る丑三ッ時。

 鋭く尖った月の、おぼろげな明かりにも屋敷の襤褸さ加減が見てとれる。

 わけあって長いこと住む者がおらず、庭も杜甫詠むところの城の春。

 それでもやっと主を得て、奥の一間に、男が一人横になっている。

 ところが床についたはよいものの、どうにも寝付かれない。輾転反側、虫の声ばかりが耳につく。目は冴えてゆくばかりである。

 ふと気が付くと、虫の声がない。

 夏にしてもべったりと生温かい風に襟元を撫でられ、男は全身粟立った。

 途端、激しく家鳴りがして、外で呼ばわる者がある。

 震えながらも太刀だけは掴み、慌てて庭へまろび出る。

 大声が頭の上から呼びかけるので、仰ぎ見ると、門の外から見上げる程の大坊主がこちらを覗き込んでいる。

 男が恐ろしさに声もなく腰を抜かしているところへ、その坊主、剛毛の生えた腕を伸ばし、首根っ子ひっつかんで吊し上げる。男はやっとのことで悲鳴をあげ、持って出た刀で切りつけたけれども刃がたたぬ。

 大坊主は軽々と男を振り回し裏山へ放り投げ、何処ともなくかき消えた。


 「大石殿、大石殿、屋敷替えを所望されたほうがよろしいぞ」

 廊下で声をかけられた新参者の名は大石又之丞またのじょう。やっとのことで浪人生活から抜け出して、本日、禄と屋敷を賜ったのだ。

 さて、今日から無宿者の名を返上できると思っていたところへ、先刻の言葉である。

 「…どういうことです?」

 同僚は辺りをはばかるように、声をおとして心配げに一言。

 「出るんですよ…!」

 「出るって、何ですか…?」

 「お化け。それもたいへんな化けものらしい。大の男が裏山まで投げ飛ばされたっていうんですから」

 「はあ。しかし、移る前から逃げ出すわけにも…」

 「そうですなあ。いきませんなあ。武士の面目というものもありますからなあ。まあ、ご用心ご用心」

 「は、恐れ入ります」

 とは言ったものの、気持ちの良いものではない。とりあえずは、又之丞、屋敷の様子を見にゆくことにした。

 「…………」

 いかにも、である。

 しかし、いくら御下賜のお屋敷がありがたくとも、この荒れようでは、日々の暮らしに差し支えが出ようというもの。

 案内の下人は、調度は前のままですと言うと、早々に退散してしまった。

 「…どこから手をつけりゃいいんだ」

 放心しながらも、庭を見回す。

 片隅に小さな祠があった。これがまた崩れそうなひどい有り様で、祠の屋根だけはまだもっているようだが、柱の一本は虫がついて中がすになっているのが明らかだ。

 例の「出る」との噂もあることだし、神頼みも良かろうと、まずはそこから片付けることにした。手ぬぐいで土埃を払い、祠のまわりだけ草をむしり、神饌を揃えることもできないが、水だけでもと椀に一杯置いてみる。

 二回手を叩いて頭を下げ、次は屋敷の中でもと祠に背を向けると、後ろから名を呼ばわるものがある。

 野太い声で怒ったように又之丞を呼びつける。

 恐る恐る振り返ると、門の外から大坊主がこちらを覗き込み、目をびかびかさせて、また呼ばわる。

 「又之丞! 大石又之丞!」

 半口あけて坊主を見上げ、一度なまつば呑み込んで、動けないまま返事をする。

 「……はい、はい…」

 「ここを開けよ!」

 「…は」

 事態を呑み込めずにぼんやり突っ立っていると、坊主はいらいらと繰り返す。

 「ここを開けよ! 開けずば、破って入るぞ!」

 化けものなら化けものらしく、有無を言わさず押し入ってくればいいものを、おかしなものだと思いながら、慌てて門へ走る。

 前にいた男が裏山まで投げ飛ばされたという話を思い出し、びくびくする心を抑え、ままよとばかりに門を開く。

 どれ程の大足が立ちはだかっているものか、いきなり蹴られたりはしないだろうか。

 そう思いきや、門の外には何もいない。

 いや、そこには一人、袴を着けた十三四の男の子供がてんと立っているのであった。

 又之丞はあまりに拍子抜けして、ただ黙って少年を見た。

 「大石又之丞か」

 少年は鷹揚に訊ねる。

 「あ、ああ」

 「わたしはこの屋敷の乾の隅、書院さきに住む地神である。長い間ここに住むもの、皆わたしを蔑ろにし、取りのけようとしおったので、我が威を知らしめようと祟りをなしておったが、貴様はまず我が祠を祀り、礼を尽くすことを忘れなかった。ありがたく思うぞ」

 「へ?」

 「末長く加護してやるほどに、くれぐれもわたしを良く祀るべし。我が宮は大破しておる。これは建立しておくように」

 そう言うと少年はすたすたと、件の嗣の方へ歩いてゆく。

 「ちょ、ちょっとちょっとちょっと待て」

 「なんだ?」

 我にかえった又之丞は、せいぜい偉そうに少年を見下ろした。

 「きさま、何者だ」

 「この屋敷を護る地神である」

 「大人をからかうもんじゃない。どこの子供だ? ここの近くか?」

 少年は、真っすぐに又之丞の目を見た。

 「疑り深い奴だ。証を見せてやろう。なんでも望みを言ってみよ」

 少年の自信たっぷりの態度に、又之丞は少々たじろいだ。

 「…じゃあ、…掃除と…煮炊きのできる下人が一人ほしいな」

 「よし。しばし待ちおれ」

 そう言い置いて屋敷のわきにしゃがみ込み、縁の下に呼びかける。

 「東風丸こちまる。これ。東風丸」

 間を置くが返事はない。少年は立ち上がると縁側をがんがん蹴っとばした。

 「東風丸。起きろ。出てまいれ」

 またしばし間を置くと、のそのそと縁の下から獣が一頭這い出してきた。

 少年の前に座って、鼻の先から尻尾の先まで伸びをするように震わせると、真っ赤な口を開けてかあーっと大あくび。

 鼬に似ていなくもないが、大きすぎる。背には滴の形をした斑文がある。

 「人の姿となり、この者に仕えよ」

 「お、おい」

 獣は、抗議の声をあげようとした又之丞にちらりと一瞥くれると、また身を震わせた。

 一陣の風が巻き起こり、又之丞は思わず目をすがめ、次に目を開けると獣のいたところには人が一人現れていた。その男は、ざんばらの短い髪に指を突っ込んで、目を覚まそうというようにぐしゃぐしゃっとかき混ぜた。

 「…化けたのか?」

 そいつから目を引き離して、少年に恐る恐る尋ねる。

 「なんだよ、用事は」

 そいつが口をきいた。

 どうやら本当に人ならぬものであるらしい少年と、又之丞を見比べながら、面倒くさそうに言う声は、人の声だ。

 「この者を使うがよい」

 地神の言葉に又之丞はあわてて抗議した。      

 「いや、お、俺は、普通の下男を自分で探すからけっこうだよ」 

 「そうしてくれよ」

 東風丸と呼ばれた男は大あくび。確かに先ほどの獣の姿に似ている。

 どちらともなく地神は二人の方を見て、にこやかに声をかけた。

 「では、よろしく頼むぞ」

 「相変わらず、あんたは他人の言うことを聞きゃあしねえな」

 東風丸の返事が終らぬうちに、地神の姿は大気の中へかき消えた。

 又之丞は今日何度目か分からぬが、言葉を失って立ち尽くす。

 「で? 何を頼もうってんだ?」

 東風丸は仕事をするつもりであるらしい。

 又之丞は変な顔で東風丸を見やるが、見たところは普通の男にしか見えないので、自分が戸惑っているのがおかしいような気になってくる。

 「ああ、屋敷の掃除だ。修理もしなきゃならんが…」

 「ふん」

 頷いたのか嘲ったのか、東風丸は屋敷に向き直る。

 その後ろから突風が押し寄せ、東風丸の脇を駆け抜け、屋敷に入り込んで中から戸板を吹き飛ばした。そのまま屋敷中を逆巻いて塵芥をさらい、目を見張る又之丞の前に渦巻いて塵を集めると風は止んだ。

 「掃除、終ったぞ。じゃあな」

 行きかけた東風丸の袖を又之丞ははしと捕らえた。

 「雑巾がけも手伝え!」

 「いやだ!」

 東風丸が往生際悪くじたばたしているところへ、晴天の一角から稲妻が走り来て、目の前の地面に落ちた。思わず、二人で身をすくめる。

 東風丸が祠に向かって叫んだ。

 「分かりましたよ! やりますよ! 下男でもなんでも!」


 掃除が終わると、東風丸は台所に立ってたすきがけ。又之丞は一抹の不安を表明する。

 「飯なんか作れるのか?」

 東風丸、じろりと又之丞を見て、包丁の先で追い払った。

 「おれの腹が減ったから作ってんだよ。お前さんにもついでに食わしてやるから座敷で待ってろ」

 出来は上々、がっついて飯を喰いながら、又之丞は東風丸に言う。

 「うまいな」

 汁を一口すすって飯粒を流し込み、息をついて東風丸は顔をあげた。

 「これ、おくれ?」

 東風丸は言いながら、又之丞の残した魚の骨にもう手をだしている。

 「あ、ああ」

 事もなげにばりばりと骨を喰う東風丸を見て、あらためて向こうの膳には骨の残っていないことに気づいた。

 「硬かないか?」

 「あんたらみたいにヤワじゃねえ」

 人外の獣はそう言うと、部屋のすみへ行ってごろりと横になった。

 「おい、そんなとこで寝たら、カゼひくぞ」

 「こちとらお前さんたちとは作りが違うんだよ。又之丞殿はちゃんと床とってお眠りあそばせ」

 又之丞はまったく疲れていたので、東風丸の言うとおりにしたが、床に入る前に東風丸の頭に枕を命中させるのを忘れはしなかった。

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