恋話火花(コイバナヒバナ)

 夜7時半。花絵が仕事から帰宅し、共用リビングで初週末祝賀パーティーが始まった。


 花絵がいつものように、陽気に場を仕切る。

「こういうとき、乾杯挨拶よね? はいじゃ拓海くんお願いしますー!」

「えっ……えー、仲良く楽しくやれるといいなと……」

「はいじゃ乾杯ー!! ワインもビールもたくさんあるからねー」


 料理の準備は、主にヒロさんと優くんが担当した。どれも素晴らしい出来である。特に、優くんは職人のごとくじっくり本格的にビーフシチュー作りに取り組んだ。

「ん! このシチュー、めっちゃくちゃ美味しいじゃん!」

「ありがとうございます!」

「優くんやるねー! ちょっとしたレストランの味ね」

「好きな料理ぐらい美味しく作ってみたいと思って、一人暮らしになってから結構勉強したんです」

「花絵ー、見習うべきね」

「何よお、アタシがカレーと目玉焼き得意なの知ってるでしょ? ね、拓海?」

「あー、うん……普通にね」

「永瀬くん、今の返事はむしろけなしてるよ?パエリアは花絵の好きなムール貝たっぷりにしたからね」

「いやん。ヒロ大好き♪♪」


 そんなこんなで食べておしゃべりするうちに、いい感じにお酒も入ってきた。 

 話はだんだん深層部へ突入していく。


「じゃさ、これまでの『恋愛経験』を話していこうよ!」

「……このメンバーで、それあんまり面白くないと思うけど?」

 花絵の提案に、ヒロさんが素朴な疑問を呈す。

「恋が実った話じゃなくていいのよ? 酷くてあきれるような話とか」

「あー、あるある!!」

 今度はヒロさんも優くんも力強く同意する。なんか怖いなあ……。


「私ね、はっきり言ってモテたのよ、小さい頃からずっと」

 ヒロさんが話し出す。まあこの人だから許される物言いだ。

「私は男に興味がないでしょ? でも、寄ってくるのは当然男。うっとうしさは半端じゃなかった。しかも、相手にしないでいると嫌がらせされたり、乱暴されたりしそうになるわけ。だから、ある時決めたの。体力も学力も、男に馬鹿にされないように完璧に身につけるって」

「ヒロはね、剣道3段、空手も黒帯なんだ。もし男が力ずくで何かしようとしても、絶対かなわないわ」

「……はあー……」

 俺と優くんの情けないリアクションである。

 ヒロさんは涼しげな笑顔で続ける。

「だから、高校になると、男にいくら言い寄られても笑顔でお断りする余裕が持てた。そしたら、せめて思い出にビンタしてくれ、っていうのが何人かいたわね。思いっきりしてあげたわよ、泣いて喜んでたっけ」

 ……うわあ、痛い。イタいなあ……

「ねっ、ヒロかっこいいでしょ! 私のことも、こんなふうに男子からずーっと守ってくれてたんだ」

 花絵はヒロさんの腕に頬をすりつける。

 ……と。

 ヒロさんが、花絵の肩を抱き寄せ、情熱に溢れたキスをした。


「……!……」

 俺と優くんは、がっちりと固まった。かなりの衝撃だ。


「……ヒロっ! ちょっとこれ反則!!」

「ごめん、かわいくてつい」

 ……佐伯ヒロ、文句なく、かっこいい。


「僕もヒロさんみたいに強ければよかったのかな」

 ぼそっと優くんが呟く。

「優くんは、どうだったの?」

 居住まいを正した花絵が聞く。

「僕も、女の子にはずいぶんうるさくされて、付き合えないって言ってるのに、なんでダメなの?とか、好きな子他にいるの?とかさんざんつきまとわれて憂鬱だったな……で、ほっといてくれ、って言うと、泣いたり怒ったり。めんどくさかった」

 まあ、女の子の気持ち踏みにじってるけど……仕方ないよな。

「好きになった男の子はいなかったの?」

「んー……高校時代、ちょっと素敵だな、って思ってた人はいて……結構カッコ良くて優秀で、モテる人だったけど。そのうち、だんだん僕に優しくしてくれるようになって」

「へー、いい感じじゃない? それで?」

「それが、ある日学校の裏山に呼び出されて、どうしたのかと思ったらいきなり無理やりキスされて、『いやだ』って抵抗したら『黙って言う事を聞け』って口塞がれて押し倒されて……」


「……」

 全員固まる。

「……っで、そこで、ヤラれちゃったの……?」

「いえ、金的食らわせて逃げました」

 全員硬直が溶ける。


「はー……それってほぼレイプよね? 相当イタい経験だったわね……。

 だから、男は凶暴性のない優しい人をしっっかり見極めなきゃダメなのよ!!」

「ですよね!」

 花絵と優くんがそう言って、二人とも力を込めて俺を見る。

 そして、ふたりの視線がほんの一瞬、ガチっと音を立ててぶつかりあった。


 いままで頷くだけが仕事だった俺は、突然激しく飛び交う視線にたじろいだ。

 しかも、この流れを見ていたヒロさんまで、俺の表情をじーっと窺っている。

 ……えええ? 待ってくれ。これは一体……?


「……あっっ!? そういえばなんかみんなお酒止まっちゃってない!? ほらほらほらもっと飲まなきゃー、花絵さん赤ワインもう一本開けます?」

 この突如始まった火花バチバチ状態を何とか打開するために、突然アホのようにお酌など始める俺であった。





 だいぶ夜も更け、パーティもお開きになった。

 優くんとヒロさんは、かなりアルコールが入ったのだろう。ソファにもたれて眠ってしまっている。


「今まで大変だったでしょうね、優くん……」

 キッチンでグラスや皿を洗いながら、花絵が言う。

「私はヒロに出会えて、守ってもらえて幸せだったけど……彼は、自分を守る方法も、頼れる人も見つけられなかったのかもしれないわね」

「そうだね……」


 皿を片付けながら、俺も考えていた。

 いつも笑顔で、一生懸命で。その裏で、どれだけひとりきりの時間を乗り越えてきたんだろう。

 多分俺には、その思いは想像もつかない。


「拓海が、あの子を守りたいと思った気持ち、よくわかる」

「うん……」

「さっき優くんと火花が飛んだ時には、驚いたけどね」

 うっかりグラスを落としそうになった。

「……今日、私が仕事の間に、優くんと何かあったの?」

「え……2人で買い出しに行って……みんなで料理しただけだけど」

「ふうん……」


 ……買い出しに行く途中のあの会話で、優くんの何かが変わった……んだろうか?


「優くん、緊張が解けたみたいで、楽しそうにしててよかった……でも」

 花絵が、食器を洗い続けながら、背中で言う。

「退く気にはなれないわ」


 俺は、何という言葉で返事をしたらいいのか、結局わからなかった。



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