待ってた。
anringo
待ってた。
「ずっと待ってた。この日が来るのを。」
そうだ、お前いつも言っていたよな。
でも、まさかこんな風に待ってるなんて、思わないじゃないか。
答えてくれよ。俺をもっと、納得させてくれよ。
なあ、頼むよ。
俺の名前は、佐伯亮、21歳。
地元の小さな花屋で働いている。
祖父の代から続くお店で、俺は3代目…になると思っていたが、6個上の兄貴が結婚してその奥さんが花が大好きだったので、「是非私達にここを任せて欲しい。」と言われては過ぎる日々が何日が続いていた。
俺はそれに対して特にこれといった理由もなかったので、そのまま兄貴夫婦に3代目を明け渡したというのが今の実情だ。
「亮!これ全部同じ住所なんだけど、時間指定とかないしどうしようかな。とりあえず配達行くか。お客様には30分後にって連絡しといたし、大丈夫だろ。」
「何それ。退院のお祝いとかかな。送り主は別々なんだし、きっと相当な人気者なんじゃねーの?」
「とりあえず行くぞ。そういえば、1名様だけ時間指定あったんだった。さっき電話かかってきたんだよ。」
「へえ。しかしこの量凄いな。店始まって以来じゃないのこれ。」
「そんなこと言うな。繁盛してるわ。ほら、行くぞ。」
「はいはい。」
突然の大量注文が来たのは、ちょうどバレンタインの日だった。
何処ぞの人気者がこんな大量の花を注文されているのかと思うと、その届け先の相手がいったいどんな顔をしているのか気になってしょうがなかったので、ハンドルを握る俺の手は少し強張っていた。
「しかし、すげーでかいマンションだな。」
「もしかして、芸能人かな。」
「俺の店で?俺のしがない花屋さんで?嘘だろ。」
「さっき繁盛してるって言ってたの誰だよ。」
「え、あ、そうだな。」
配達先は、都内有数の高級マンションで、ラウンジには何やらお堅そうなスーツの男性が二人常駐していた。
「あれって、コンシェルジュって言うんだろ?テレビで見たぞ。」
兄貴が俺にこそっと耳打ちする。
「ちょっと恥ずかしいだろ。早く行こうぜ。」
慣れない場所に戸惑いつつ、最初の関門である受付を済ませ、俺達は21階の届け先に向かった。
チャイムを鳴らし、少し高めの声で返事があったので、緊張しながらも兄貴は重々しいドアを開けた。
「こんにちは。先程お電話差し上げた佐伯ふるーるです。お花をお届けに伺いました。」
「あ、はい。わざわざお電話ありがとうございます。こちらへどうぞ。」
そこにいたのは、体の線が細くて、色白で感じの良さそうな男性だった。
若く見えるが、俺と同じくらいの年じゃないかと思いながらも、世の中はこうも不平等なものなのかと、少し部屋を見渡しながら思った。
「何か、気になりますか?」
やべ、見られてたか。
「おい、お客様に失礼だろ。すみません、弟なんですよ。こんなに注文があったの初めてで舞い上がってるんですよ。おい、お前はこっちから運べ。」
舞い上がってるのは、兄貴の方だろ。
「いえ、大丈夫ですよ。あまり人を入れないので、変なものとかあったらすみません。」
俺はその男性に少し深めに一礼をして作業に取り掛かった。
「びっくりしました。小説家さんなんですね。何処かで拝見したお名前だなと思っていたので、失礼かと思ったのですが調べてしまいまして。すみません、ミーハーなもので。ははは。」
「いえいえ、構いませんよ。よくあることですので。」
へえ。小説家って儲かるんだな。
印税とかあるんだっけ?いいよな、才能ある人っていうのは。
「もし宜しければ、お花を生けて差し上げましょうか?サービスでやっているんです。こんなに沢山のお花達、枯らしてしまうのはもったないですし。」
男性は少し考えてから、キッチンに向かい花瓶になりそうな物を探し始めた。
「綺麗な薔薇の御注文でしたので、かすみ草と合わせてより薔薇が際立つように出来ますよ。この薔薇達は本当に元気がいい。」
「あの、これでも大丈夫ですか?」
男性は綺麗なパステルカラーの水差しを手に持っていた。
凄く高そうで、俺の劣等感はさらに増していった。
「貰い物なんですけど、使い道がなかったので。ありがとうございます。」
「いえいえ、こちらこそお役に立てて光栄ですよ。おい、亮。生けて差し上げろ。」
俺は、花を生けるのには自信があった。
資格とかを持ってるわけではないが、これだけは誰にも負けないと自負している。
「やっぱり上手だ。」
声が聞えた気がした。
「だから花には自信が…」
俺の前にいたのは、兄貴ではなく、色白の男性だった。
「え、あの…」
「あ、ごめんなさい。お花屋さんってやっぱり上手なんですね。」
少し会釈をして、作業机であろう場所へ彼はゆっくりと歩いて行った。
“何処かで聞いたことがある声だな。”
そう思ったのは、俺が最後の薔薇の枝を切り終えた後だった。
「本日はありがとうございました。また御贔屓によろしくお願い致します、真崎様。」
あれ、真崎だったけ名前。
俺は思わず握りしめていた控え伝票を見た。下の名前、下の名前は…
「ありがとうございます。またお願いします。」
真崎…涼…俺と同じ音の名前…あれ何かこの…
「またね、亮ちゃん。」
不意に耳に入ってきた微かな声の主を確認しようと俺はすぐに顔を上げたが、分厚いドアがその欲求を押し潰した。
「さあて。行くぞ、亮。感じの良いお客さんで良かったな。また何か注文してくれるかもしれないな。」
エレベータの前まで来て、俺はどうしても確認したいことがあった。
そして、このまま帰るわけにはいかないと思った。
「俺、ちょっと戻っていい?」
「ん?どした?何か忘れ物か?」
俺はどうしてもこのまま帰るのは違うような気がした。
そして、兄貴に持っていた荷物を全て預け、足早に先程の場所の前まで来た。
ノックではないか、ここはインターホンだな。
俺がボタンを押そうとしたその時、ドアが少しずつ開いていくのがわかった。
「何か、忘れ物ですか?」
「あ…はい。ハサミ…を忘れてないかなと。」
咄嗟につく嘘というのは、こうもぎこちなくなるものなのだろうか。
「どうぞ。上がって下さい。」
さっきの言葉を、さっきあんたが言ったその言葉の意味を知りたい。
なんで名前知ってんだ?なんでちゃん付けなんだよ。
知り合いか?こんな知り合い、俺いたかな。
“亮って名前、なんか嫌いなんだよな。”
“え、かっこいいのに。私好きだよ。”
“なんかもっとこう、凛々しい感じがいいんだよ。シュッとしてる感じ。”
“じゃあ、生まれ変わったらどんな「りょうちゃん」になるの?”
“そうだな…じゃあ「涼」にするよ。涼しげで爽やかだろ。”
“いいじゃん。私好き、その漢字。”
“いいだろ。じゃあ生まれ変わったら俺は「佐伯涼」に決定!”
“決定ね!ははは!もう亮ちゃん面白い。”
ふと蘇る記憶に、俺は戸惑いと疑いに脳を支配されていた。
「亮ちゃん。」
振り返ると、そこには女がいた。
俺が初めて好きになった…なんてそんなわけはない、何の思い出もない浮気相手の女。
どうやって別れたかも覚えてないくらい、記憶の薄い存在だった女。
でも、一緒にいるのが楽しくて、キスは数回したが、体の関係はあまりなかったことを、俺は徐々に思い出してきた。
“何?小説?”
“そう。応募してみたの。そしたら最終選考まで残ったんだよ。”
“へえ。すごいじゃん。”
“結果はね、電話連絡なんだって。私待つの好きだから、この時間が大好き。”
“お前、ほんと待つの好きだよな。”
“だって、来てくれた時すっごい嬉しいじゃん。待てば待つほど、その瞬間がハッピーになるからね。”
“変わってるな、お前。”
「亮ちゃん、覚えてる?」
蘇る思い出が俺の脳をさらに追い込む。
お前、もしかして、あの…
いや、違う。目の前にいるのは、男だ。
体の線が細くて、色白で感じの良さそうな、さっき俺達が花を届けた男だ。
“もしもし、私。なんで電話に出てくれないの?メールも全然返信ないし、私心配です。また電話します。”
“もしもし、私。今、亮ちゃんの家の前に来てるんだけど、いないの?仕事だったら連絡してくれればいいじゃない。どうして電話に出てくれないの?また電話します。”
“もしもし、私。亮ちゃん、私のこと嫌になったの?いつから?どんな風に?直すから、ねえ答えて。また電話します。”
“もしもし、私。亮ちゃん、好きだよ。私、待ってるから。また電話します。”
駄目だ、全く思い出せない。
「あなたになったの。あなたのなりたかった、あなたに。」
男は高めの声に色気を出して、俺をまっすぐ見つめてきた。
名前、名前が全く思い出せない。
この男が、真崎涼という情報しか、俺にはない。
「お前、誰だ。」
男がゆっくり近づく。
俺の体が、この凛とそびえ立つ高級マンションの様に硬直する。
「お前が、ずたずたにした女だよ。」
そこにはもう、俺の知ってる女の面影は何もなかった。
「ずっと待ってた。この日が来るのを。」
俺はもう、逃げられない。そう思った。
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