5
自分の気持ちに気がついてからは、残された時間があとどのくらいなのか知るのが怖くなり、夜 月を見ることを止めた。
(明日も会えますように…)
そう願いながらも、もしかしたらもう会えないかもしれないと思うと、夜眠ってしまうのが惜しくて…当初のようになるべく昼間に寝るようにして、夜は王子を目に焼き付けながら、王子にばれぬようそっと抱き付いたり頭を撫でたりしている。
これじゃ夜伽の相手どころか、従者失格かもしれないが…それでも、いつ終わってもおかしくない王子とのこの時間を大切にしたかった。
「お帰りなさいませ、アルタイル様」
「あぁ…」
また今日も王子をお迎えできたことに喜びを感じる反面で、終わりに1歩近づいているかと思うと切なくも感じる。
王子はオレのそんな気持ちに気づかぬまま、返事をしながらオレの頭をぽんと撫で、上着を脱ぎながらベッドサイドへ移動し、寝巻に着替える。
定番となった王子のその動作は、いつ見ても優雅で美しい。
「…おいで」
そう言って先に布団に入った王子に、入りやすいように布団をまくられる。
「…失礼します」
王子に抱きしめられることも緊張するが、自分から王子の胸へ飛び込むのもまた緊張する。
緊張を悟られぬように無意識に呼吸を止めたまま王子の真横に並ぶと、王子がオレを抱き寄せながら寝やすい姿勢を探すようにもぞもぞと動いたので、どさくさに紛れて王子の胸に顔を埋める。
ドキドキと高鳴るオレの心臓とは違い、王子の胸は今日もゆっくりどくんどくんと平常運転だ。
「今日は会議で北部地域出身の者も何名か来ていたんだが…北はこの時期雪が降るそうだな。今日は特に吹雪がひどくて王都へ来るのが大変だったと嘆いていた」
優しい声色で髪の毛を梳かすように撫でながら行われる会話…オレにとってはまるでピロートークのように甘く感じる。
「そうなんですか。そうですね…北はこの時期どこも雪が一面に積もって…酷いときには道が完全に閉ざされてしまったり、玄関から出入りできないこともあります」
「玄関から出入りできない?その間どうしているんだ?」
「窓から出入りするんです。でもその場合は積もった雪が柔らかい場合があるので、慎重に出ないと外へ出た途端に雪に埋もれてしまう可能性もあって、とても危険なんですよ」
「そうか…王都では雪は降らないから見て見たかったのだが…そんなになるとはなかなか難儀だな。数日留まるようだから、それまでに少し天候が改善しているといいが…」
「そうですね…」
(アルタイル様は優しいなぁ…)
オレが来た当初もそうだったが、王子は貴族や平民や従者にかかわらず、誰にでも優しく気を使ってくれる。
それから雪や故郷の話をもう少しした後、そろそろ眠る気になったのか、
「…今日はお前の故郷の話をしたから…お前の故郷の子守唄がいい」と言われる。
「はい…」
胸から少し体を離し、息を吸い込んで、歌う。
相変わらず王子はオレが歌う姿をまじまじと見ていて、全く眠る気配がない。
「…お疲れ。何度聞いてもお前の声はいいな」
「…ありがとうございます」
嬉しくて恥ずかしくて顔を俯くが、その先にあるものが王子の胸なので、やっぱり馬鹿みたいに心臓がどきりと跳ねた。
「明日は何を歌ってもらおうか…」
「…私の知ってるものなら何でも」
王子は考えるように目を閉じたまま呼吸がだんだんゆっくり一定になり、そのまま寝てしまったようだ。
試しにやんわりと抱き付いてみるが、気づかれた様子もなければ抱き返されることもない。
(アルタイル様、寝ちゃったか…)
" 明日は何を歌ってもらおうか… "
王子のなかで明日もオレがいることを当たり前に思ってくれてるのかと思うと、心の奥がじんとあったかくなる。
(王子の日常に、当たり前のようにいれたらいいのに…)
いつものように明日も王子のそばにいられることを願いながら、夜が明けた。
コンコン
「失礼します」
お茶のワゴンを押した従者が現れても、王子はまだ眠っていた。
最近お疲れなのか、寒くなってきて布団から出にくいからなのか定かではないが、朝は以前より遅く起きることが多い。
オレはお茶の人が来たら「お前の仕事は終わりだろう」と何度か言われたことがあるので、王子に挨拶できないのは寂しいが、お茶の人が来たら王子が起きていなくても自室へ戻るようにしている。
扉の前で「失礼します」そう声をかけても王子はまだ起きる気配がなかった。
自室へ戻り朝食を食べてからひと眠りする。
カタンと音がして目が覚めるとお昼御飯が小窓に届けられているので、お昼を食べたら少し昼寝。
夕飯の前に目が覚めて、少しぼーっとしてると夕飯が届くので、食事をしてから入浴し、身だしなみを整える。
それが終わって一息すると、夜伽の時間になる。
コンコン、ガチャリ
今日も自室の扉は開いた。
今日も夜伽の仕事があるのだとほっとして立ち上がると、いつもとは違う言葉をかけられる。
「何か食べたいものはありますか?」
「え…」
夕飯は、もう食べた。
そもそもここへ来て食事の好き嫌いや希望について聞かれたことなど1度もない。
…だけど従者であるオレはその言葉の本当の意味を、痛いほどよく知っている。
"何か食べたいものはありますか"
それは従者に…自身の仕事が終わりであることを告げる言葉だ。
本来は長年勤めあげた従者に、感謝の気持ちを込めて雇い主が最後にごちそうを振舞ったことが始まりとされているが、
現在では「今日で仕事が終わり」という…クビや解雇にする時の言葉として使われるようになっていた。
つまり…オレの夜伽の仕事はもう、終わりということ。
「……なにも…ありません…」
「そうですか」
他には何の説明もなく、呆然と立ち尽くしたままのオレを置き去りに、あっさりと扉は閉じられた。
いつもなら王子に会いに行くはずの時間なのに、扉はもう1度開いてはくれなかった。
(本当に、終わり…?)
(こんなにあっけないなんて…)
「………っ」
" 明日は何を歌ってもらおうか… "
そう言った王子の声が、王子の顔が、頭に浮かんで、とめどなく涙が溢れる。
自分の仕事に驚愕しながらも耐え忍ぶことを決めた日。
自分の覚悟をあっさり裏切られた初日。
王子をひたすら見続けた日々。
ソファーの上から歌った1月半。
王子とともに眠った2月。
王子の帰りを待ち続けた2月半。
眠る王子を目に焼き付けた日…
思い出が頭の中を一瞬で駆け巡る。
…振り返るとあっという間の9ヵ月。
それでも王子に恋をするには充分すぎる時間だった。
「…アルタイル様…っ」
いつかは終わりが来るとわかってた。
だけど挨拶どころか顔も見れずに、こんなに突然終わってしまうなんて…
閉ざされた部屋で1人、望んだ明日がもう来ないことに、泣いた。
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