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「おかえりなさいませ、アルタイル様」
2日目も王子が寝室にくるよりも前に王子の寝室へと案内され、王子が入ってくるとすぐに足元に正座して頭を床につけて出迎えた。
「……顔を上げろ」
「はいっ」
王子はそれだけ言うと昨日と同じように歩いて部屋の奥にあるベッドへ向かいながら上着を脱ぐ仕草をしたので、今日はすかさず上着を受け取りハンガーにかける。
王子は昨日と同じようにベッドサイドで着替え始めたが、着替えの介助は昨日断られたので、黙って着替え終わるのを見届け、脱ぎ捨てられた着替えをたたんでカゴに入れる。
この寝室は一応お風呂も備え付けられているようだが、それは事後などに使用する簡易的な物(…といってもオレの家の2部屋くらいの広さ)なので、王子は基本的に自室のお風呂で入浴を済ませてからこちらに来られるようだ。
着替えが済んだ王子は綺麗な動作でベッドに腰掛け、オレの方へ目線をやった。
「…おい」
「はい!もうお休みになられますか?」
電気を消せるようさっとスイッチのあるところへ向かおうとすると、
「そうだが…お前は今晩どうするつもりだ?」
と王子に問われた。
「はい…?昨日のように、夜伽をさせて頂きます」
「床に座ることが夜伽か…?」
王子はまだ怪訝な顔をしている。
(それが夜伽かと聞かれると困るけど…でも昨日はそういう趣味はないって言われたし…ここにいて証明すればいいと言われたし…)
瞬時に色々思考を巡らせた後に1つの考えに思い至り、はっとする。
「申し訳ありません!アルタイル様の許可なく腰を下ろすような真似をして!」
「………」
慌てて頭を下げていると、王子が深くため息をつくのが聞こえた。
「……腰を下ろすなと言ってるわけではない。床は座る場所ではないだろう。座るならもっと適した場所があるだろう」
王子はそう言うと目線でソファーを指した。
「……で、ですが、私はアルタイル様に仕える身ですので…勝手にアルタイル様の家具を拝借する訳には…それに、あちらからでは少し遠くて、暗くて…アルタイル様の様子がよく見えませんので…」
「勝手ではない、今許可してるだろう。だいたいそんなに私を見続ける必要はない。…もし心配なら椅子をこっちへ持ってくればいいだろう」
そう言って王子はベッドから立ち上がったかと思うと、1人掛けではなく3人掛けのソファーを引きずり始めた。
「っアルタイル様!そんなっ!結構ですので!」
「……」
慌てて制止すると、王子は不服そうな顔でオレの方をギロリと睨んで一言。
「…明日の朝また床に座っててみろ。お前はクビだからな」
そう言うとベッドに戻って布団の中にすぽっと収まった。
オレは唖然としながらもすぐさま電気を消し、しばらく立ち尽くして悩んだ挙句、音をたてないよう静かに1人掛けのソファーを昨日の場所へと持っていき、ゆっくりと腰掛けた。
コンコン
「失礼します」
朝になって昨日のようにお茶のワゴンが運ばれてくると、王子がゆっくりと起き上がって、そしてオレを見た。
「おはようございます、アルタイル様!ソファーお借りしました!ありがとうございました!」
「………」
ソファーから立ち上がり頭を下げてから顔を上げると、王子は昨夜と同じ憮然とした顔をして、そして無言だった。
ちゃんと床ではなくソファーに座っていたのに、それでも王子を不機嫌にしてしまうオレはいたたまれなくなって
「……では、朝になりましたので、失礼いたします」
そう言ってすぐにソファーを元に戻して、王子の鋭い視線から逃げるようにそそくさと部屋を後にした。
(アルタイル様、クビとは言わなかったけど…よく考えたらオレ、まだアルタイル様の不機嫌な顔しか見たことが無いや…)
こんなんじゃ従者失格だなぁ…と悶々と悩みながら迎えた夜。
まだ主のいない寝室に入ると、ソファーが昨日の場所から移動されており、3人掛けのソファーがオレの定位置となっていた窓際に置かれていた。
「……え?」
部屋の模様替えにしては明らかに不自然なその配置。この部屋の主以外、こんな配置にする人はいないだろう。
そう思っていると、後ろからギィ…っと扉の開く音がした。
「おかえりなさいませ、アルタイル様!」
いつものように慌てて床にひれ伏すと、
「…床は座る場所ではないと言ったはずだが?」と、いつもと違う言葉が返ってきた。
「…は?」
顔を上げると、王子は既にベッドの方へと歩き出していたので慌てて後を追い、上着を受け取る。
(床に座るの…夜伽だけじゃなくて、今の挨拶もダメってことなのかな??)
ぐるぐる悩んでるうちに王子はあっという間に着替え終わり、いつものようにベッドへ腰掛けてこちらを見た。
「お前はその場所がいいようだからな。ソファーを移動しておいた。今日からそれを自分の場所として使うといい」
「ありがたきお言葉……ですが、私には少々豪華すぎるかと…」
会釈をしてから顔を上げると、王子はやはり、不機嫌そうな顔をしていた。
「その椅子では不服か?」
「そんなことはございません!私はこんなに素晴らしい椅子を見たことがありませんので!光栄です!」
慌てて否定をすると、
「…だったら最初からそう言えばいい」
そう言って王子はまた言い逃げるように布団に潜りこんだ。
電気を全て消し、窓際にあるソファーを見つめる。
3人掛け…というか縫い目で3人掛けられるように区切ってあるが、実際には5人は座れそうなそのどでかいソファー。
(今日からこのソファーが、オレの場所…)
王子の真意は分からぬが、王子が優しい人だということはなんとなくわかった。
その次の日の夜、王子を迎える際に試しに立ったまま挨拶し頭を下げてから戻すと、王子の表情が少しだけ、いつもよりも緩んだ気がした。
それから、王子は無表情ではあるけど不機嫌な顔をしなくなったので、オレはあまり不興を買うことはなかったようだ。
だけど王子に注意されることも減った分、会話は極端に減った。
「おかえりなさいませ、アルタイル様」
「ああ」
「もうお休みになりますか?」
「ああ」
交わす言葉がそれだけの日々が何日も続いた。
今日も今日とてその会話だけをして、静まり返った室内でソファーに腰掛けながら、王子の呼吸に合せて上下する布団を見て、
その後に視線を外してカーテンの隙間から窓の外を眺めた。
…じっと王子だけを見つめてこのフカフカなソファーに座っていると、うっかり寝てしまいそうで。
窓から見る景色は、綺麗な夜空と外壁とともに、手入れされた広大な庭が延々と続いている。
真夜中だというのに庭には何人もの兵が見張りをし、出入り口付近に張り付いてる者もいれば庭中を歩き回っている者もいた。
この部屋から見下ろす景色は実家のそれとは何もかもが違うけど、見上げた空に浮かぶ月は変わらずに優しい光で照らしてくれていた。
故郷を思い出しながらぼんやり月を見上げていると、
「……聞かない曲だな。何の歌だ?」
急に声をかけられ、はっとする。
オレはうっかり歌を口ずさんでしまっていたようだ。
「も、申し訳ございません!アルタイル様を起こしてしまうなんて…!まさか口から声が出てたなんて思わなくて…!!」
サーっと血の気が引いたオレに向けられた王子の顔は、意外にも、不機嫌そうではなかった。
「…今日は寝付けなかったからまだ寝ていなかった。今の歌は何の曲だ?」
再度問われ、王子の質問に答えていなかったことに気づく。
「故郷の、子守唄であります!お耳汚しをしてしまい申し訳ございません!」
「…いや、いい曲だった。寝付けなくて困ってたんだ。今の曲と…あとはなんでもいい。何曲か歌ってくれないか?」
アルタイル様に頼まれたのは、これが初めてだった。
オレは初めて仕事らしい事を与えられたことに喜び、好きだけど、そこまで得意ではない歌を、寝付きやすいようになるべく柔らかい声で必死に歌った。
歌い始めた時は、王子はオレをじっと見ていたが、次第にまぶたを閉じ、3曲目を歌い終わって一息つくと、王子は既に夢の世界へ旅立っていた。
次の日の朝、お茶が運ばれるよりも早く目覚めた王子は、「…よく眠れた」と無表情ながらもお喜びだったようで、その日から、オレの夜伽の仕事として子守唄を歌うことが日課となった。
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