第33話 巨人と当惑と峰二綾乃と
「はい、こんなんでいいんじゃない」
綾乃は私の目の前でペンを一本書き終えた。ちょちょ、ちょ、ええ?なになにないこれ?とか、ま、まって、ちょまって?とかを私が言葉にする前に綾乃が遮った。「だからこれ出してきなよ、課題?」課題?じゃないし、私は追いついていない。「いやいやいや」何今の。「課題じゃないなら何?趣味?仕事?とりあえずなんでもいいから、早く済ませて私とお昼を食べに行こう。早く、花山鈴」ええ~、でもちょ、ええ~。「昼食食べてる時間無いんだって!」私はかろうじて何か叫ぶ。「まだ何かあるの?」「だから、これ原稿埋めないと行けないんだよ私は」「何書くの?」「だから、物語、台本、演劇の!」「ん?だからそっち出してきなって」「まだ書いてないじゃん!」「書いたじゃん私が」あ、そうか。「花山鈴のために書いたものだから、それは花山鈴のものだよ」うわぁ、そうか。え、でもそれって道義的にありなの?なしじゃないの?
「したらほら、もう行くよ」
「えぇ、ちょっと待ってよ、あんた」
机の横に吊るされた巾着袋を手に二人、教室を出て行く。
ウチの学校には校舎が二つあって、二つは東と西にあって、古くからある”旧校舎”と数年前に作り直された”新校舎”。二つの建物の間に管理棟兼、購買部があるだけで、生徒は基本的に新校舎に担当教室があって、必然的に生徒の大半が新校舎で一日を過ごす。一方、旧校舎には科学系の専門科目でしか生徒は訪れることはなく、ときおり、実験器具の割れる音が仄かに響き渡るだけで、静かな場所を望むならもってこいの場所。その旧校舎の奥の方、整備の行き届いた裏庭で私と峰二は食事を取っている。何しろそこには縁側よろしく、ルーフがあって、なぜかウッドチェアがあって、二人でランチを取るにはソー・グッドベリベリナイスな雰囲気があるのだ。といっても雨季には使えなくなるだろうことは判るので今のうちに楽しんでおこう。
主食のメロンパンとコーヒー牛乳を一足先に取り終えた綾乃はぼんやりと園内に生えた、どこぞの知らない密集花を見ている。私は昔から食べるのが人より遅くて待たせてばかりだ。よほど暇になったのか綾乃は先程の大学ノートの切れ端を取り出して、精読し始める。そういえばなんで綾乃はササッと台本を書けたのだろう。「峰二、何で?」「んー、判んない」「前々から考えてたことなの?」「多分違うと思う。読んでみる?はい」完成原稿が私の目の前にちらつかされる。「大丈夫、読んだよ、書いてるの見ながら、面白かった、圧力があって、リアルだった」綾乃は腕を組みながらニヤリと笑う。「へへへぇ~ありがと~」綾乃の書いた物語は臆病な巨人と小さな外国の少女の話で、少女は巨人にお近づこうとあの手この手で巨人の気を引くんだけど、その方法もさることながら女の子の言動がいちいち可愛くって、目で追った私は改行ごとに胸キュンしっぱなしだった。いやぁでも「ほんと良かったよ」といったところで私は気がついた。リアルだった。何か思い出せそうな……あ、『リアルじゃなかった』、夢で畑先輩が言ってたじゃん!これが私の手が止まる理由か。なるほどなるほど、凄い畑先輩!あれ?でも夢の中ってことは結局私が凄いのか。私は私の困難の解決を頭の中では実は既に知っていて、それを口には出せなくて、それじゃいつまでも解決さえしなくて、夢の中で畑先輩に投影させてって、もうよく判らん!畑先輩、良い助言してくれた!そうしよう
リアルに書く物語を考えてみて、私は正直戸惑った。私のリアルってなんだ?
今それを生きていて、それはこの数秒の間にもずっと肌に触れていて、これからもこれまでも長く付き合ってきたリアルをそれを私は今すごく遠くにあるもののように感じるのに。綾乃とのお昼時間も、寝過ごした授業も、箸を持つこの右手も、リアルなものなはずなのにそうじゃない。本当のものなのに現実感がない。どうして?取るに足らないことだから?物語から省かれる些細な出来事だから?目の前で何か口走る綾乃の姿が輪郭がだんだんぼやけてきて、ついに曇り硝子の向こうの証言人みたいになっている。本当のものを書くために、原稿に物語を書こうとすると、改まって本当の嘘を探すようになる。これって正解なの?でも嘘を落とせば物語のリアルさは失われていくんじゃないの。そうやって嘘で出来た物語を私は今みたいに綾乃の書いたものみたいに面白いって判別できるの?面白いのはリアルで嘘はつまらないと一概に決められないってことに気づいた。ところで綾乃が言った。
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